第25話「ルカの実」

 ルカの木に戻ると、レグナ達の姿がなかった。


 俺はショルダーバッグだけ持って、食料などが入った重いリュックは預けていたのだが、それもなくなっている。


「レグナ!! ミツバチ!!」


 返事はない。


「おーい!! どこだ!?」


 何か、あったのか? 先程の女性の言葉が頭をよぎる。


 二人の姿を最後に見たのは、二十分程度前。神殿につく少し前に振り返った時には、レグナが木に登っているところだった。だから、何かあったとすれば、俺らが神殿に入ったあとだ。


 レグナ達がいたルカの木は、神殿から走ればすぐに着いた。一分もかからないはずだ。なので「ルカの実を集めながら待ってる」と言われれば、それを渋る理由もなかった。


 それに、こんな見通しの良い場所で、敵の接近に気づかない、ということもないだろうと思ったのだ。


「嘘だろ……、なんで、こう、次から次へと……」


 一刻も早く見つけないと。だが、手がかりがない。何かないのか。何か敵の向かった方向が分かりそうな物は……。


「セ、セトくん、レグナちゃんとミツバチ、さらわれちゃったの?」


 焦って手がかりがない事に取り乱しそうになっていたが、カイコが不安そうに俺の足にしがみついたのを見て、俺はハッとし、深呼吸をした。


 落ち着け。俺が取り乱したらカイコが可哀相だ。ここで俺がしっかりしなくてどうする。


 俺は辺りを見渡して、木の周辺を調べた。レグナはああ見えて勇気と度胸のある子だ。必ず何か手がかりを残しているはず……。


「……ルカの実がたくさん落ちてるな」


 木の近くにはルカの実が散乱しており、そのほとんどは踏み潰されていて、靴跡がたくさん残っていた。争った跡かもしれない。


 他にも何かないかと、辺りの地面をよくよく観察してみると、草を踏んで歩いた跡が二つあった。


「どっちかが来た道で、どっちかが向かった方向だよな」


「どっちかな?」


 俺は少し悩んだが、二つの道を見比べてみると、ちゃんと相違点があった。


「カイコ、こっちの道を見てみろ」


「んー? ……あっ、ルカの実がついてるね」


 片方には、踏み潰された草のところどころにルカの実の屑や汁がこびりついていた。敵が来た方向についているはずがないものだ。


「この跡をたどれば追いつく?」


「多分な」


 カイコを抱えて、跡を辿っていくと、すぐにルカの実の痕跡は目立たなくなった。だが、踏み潰された跡はくっきりと残っていた。奴隷商が四人と連れていた奴隷一人、そこにレグナとミツバチで合計七人。それだけの人数で同じ場所を歩けば当然だろう。


 少し歩くと、林が見えてきた。足跡はそこに続いている。雑木林のようだった。


「……あそこに行ったのかな」


「ああ、きっとそうだ。急ごう」


*****


 雑木林の奥へと足跡は続いていた。入り口付近はまだ陽の光が入っていたが、奥に行けば行くほど木々の間は狭くなり、暗くなっていった。


「気をつけて進もう」


 辺りを警戒しながら歩いていると、不意に顔の前へ水の塊が浮かんできた。少し驚いたが、目を下に向けると、カイコが俺の腕の中で魔法を使う練習をしていたのだった。


 カイコが空中で両手を振ると、少量の水の塊が出来上がり、その指を振った方向にフヨフヨと移動していく。


「使えそう?」


「うん、少し分かってきたよ」


 カイコは両手の指先に追従する水の塊を眺めてため息をついた。


「どうした?」


「あのね、使ってると頭痛くなってくるの」


「じゃあ練習はまたあとでにしな」


「うん、でも……」


 カイコは水の塊を合わせて一つにすると、首を左右に振った。


「ミツバチとレグナちゃんを魔法で助けてあげたいから、もう少し練習する。ニカちゃんみたいになるの」


「そっか」


 カイコは優しい子で、強い子だ。俺も見習わなくては。


「そんなにすぐ魔法を扱えるんだから、きっとニカより凄い魔法使いになれるよ」


「うん!」


 カイコが笑ったのを見て、俺も笑顔を返す。


 それから少し歩いていると、前方から微かに笑い声が聞こえて、立ち止まった。


 そっと木の陰に隠れて、目を凝らすと、木の下に座って休んでいる二人の男がいた。


「あいつらか……?」


「ミツバチとレグナちゃん、いる?」


 注意深く男二人のそばを探ると、そこには口を塞がれ、後ろ手に縛られたレグナと、同じく口を塞がれロープで体をぐるぐる巻きにされているミツバチの姿があった。


「いた。レグナとミツバチだ」


 それともう一人、レグナと同じように拘束され、丈の長いボロボロのローブを着た、フードの人物がいる。種族や容姿は確認できないが、明らかに奴隷といった格好だ。


 神殿の女性は四人と言っていたが、二人しかいない。


「残りはどこだ……?」


「食べ物採りに行ったのかも。水とか」


「そうだな……どうしようか。やるなら人数が少ない今のうちだけど……」


「なら、カイコが裏からこっそり回ってレグナちゃんの縄を切るよ。カイコは小さいからきっと見つからないと思う」


「何言ってんだ。危ないって」


「でも……じゃあ、どうするの?」


「それは……」


 他に良い案が思いつかないかと、頭の中であれこれと考える。


「セトくん、早くぅ」


 俺は何も思いつかない自分の頭の悪さに苛ついて額を拳で叩くと、言った。


「俺が囮になって気を引く。そしたらカイコは後ろからぐるっと回ってレグナの縄を切ってくれ。それからレグナにナイフを渡して隠れてるんだ。いいな?」


 一か八かになるのが嫌で、ぎりぎりまでカイコにナイフを渡すのを渋っていたが、むっとした表情のカイコに無理矢理ナイフを奪い取られてしまった。


「じゃあ、行くね」


 カイコが貰ったばかりのペンダントを握りしめる。それを見て俺は、慌てて引き止めた。


「もし、あの二人が魔法を使ってきたら……」


「うう、もうっ、早くしないと残りの二人が帰ってきちゃうよぉ!」


 カイコが苛立たしそうにその場で飛び跳ねる。


「それに、魔法ちゃんと使えたら奴隷商なんかしてないよ!」


 確かにそれは一理あるし、そうかもしれないが……。


 迷っている暇はないか。


 俺はカイコの言葉に目をギュッと瞑ると、覚悟を決めて言った。


「分かった、行こう!」


 俺はカイコが木の陰に隠れながら、少しずつレグナ達に近づくのを見つめた。そして、ある程度まで近付いたところで、奴隷商人の所に向かい、声をかけた。


「あの、すいません……」


 恐怖と緊張から第一声が少し震えてしまった。


 俺が奴隷商に声をかけると、レグナとミツバチが驚いた顔をこちらに向けたので、仲間だと気付かれないように、慌てて目を逸らす。


「なんだよ、てめぇは」


 俺の手前には、中肉中背で髭面の男が座っていて、声をかけるなり眉をひそめて立ち上がった。そのすぐ奥にいた男は細身で、頬はこけ、目はぎょろりと大きかった。


 恐ろしいという気持ちに負けないよう、俺は無理矢理、口角を上げた。緊張からか、口元が引きつりそうだ。


「すいません、突然。お二人はその奴隷を町まで売りにいくんですよね」


 髭と細身が顔を見合わせる。すると、細身の男が面倒そうに首を横に振った。


 こちらを見直した髭面は俺を睨みながら言う。


「だったらなんだ。殺されたくなかったら消えな」


 男は腰の剣を抜くと、俺に切っ先を向けた。


 それを見て息を呑み、後ずさりしそうになったが、機を窺っているようなレグナの鋭い視線にぐっと堪えた。


 だめだ。怯むな。声を出し続けろ。


「いや、あのっ、待ってください。実は道に迷ってしまって、もしよかったら町まで一緒に連れてってもらえないかと思ったんですが……」


 俺の言葉に答えるように、細身の男がため息をついて立ち上がる。俺に剣を向けている髭面の隣に立つと、細身の男は俺の頭から足先までをじっと眺めた。


 なんだろう。この細身の男からは嫌な感じがする。威圧感のような……。


「あんた一人か?」


「はい、そうですけど……?」


「見たところ無信仰者のようだが?」


「そ、れは、その……まだ迷っていて……」


「その年で無信仰者だと色々勘違いされるだろ。奴隷か、いや、逃亡奴隷じゃねぇかってさ」


「いや、そんな、まさか……」


「そうかい?」


 細身の男がニヤリといやらしい笑みを浮かべた。


「でもさ、あんたのその手首……そりゃあ手枷の痕だろ?」


 俺は思わず手首を押さえてしまった。重たい鉄の手枷はしばらくつけたままだとすぐに皮膚を傷つけた。それを何度も繰り返す内に跡がくっきりと残ってしまっていたのだ。


「ふはっ、いや、まあ……」


 俺の反応を見て、男が失笑する。


「その目を見りゃあ分かるさ。あんたが奴隷だったことぐらい。奴隷商、なぁんて仕事をしてりゃあな」


 細身の男はそう言って嫌な笑みをたたえたまま、俺の首にナイフを向けた。


「何が目的だ」


 それは、今までずっと見てきた人間の姿だった。俺が十年、ひたすら怯えつづけた視線。これだけは昔から何も変わらない。


 命が惜しければ、服従しろ、と体中が悲鳴をあげている。


「おい、聞いてんのか?」


 二本の刃物を前にして、昔の俺なら土下座していてもおかしくない。だが俺は、震える手を握りしめて男をしっかりと見据えた。


「……目的なんか決まってるだろ。自由に生きたいんだ」


「はぁ? 何を……」


「なあ、そうだろ? レグナ」


「うん」


 自由になったレグナが思い切り土を蹴って、宙に浮かぶ。そして髭面の背中へと飛びかかると、手にしていたナイフを右肩に突き刺した。男が悲鳴をあげて剣を手放す。


 俺はもう、誰かの命令で動いたり、誰かに服従したりしない。


「おっ、おい!? なんだ! なんでロープが……!」


 細身の男が襲われている髭面を助けようとレグナに手を伸ばす。俺はすぐに髭面が落とした剣を拾いあげると、細身の男に後ろから掴みかかり、なるべく恐ろしく聞こえるような声を出した。


「動くな! 動いたら、殺す」


 男の首に刃を押し当てる。


 誰かにそんな風に言ったのは初めてだった(言われた事は何度もあるが)。こんな恐ろしくて不公平な言葉には嫌悪しかない。だが、口にすれば少し分かる。


 相手より優位に立つ事、相手を服従させる事、まるで自分が強くなったみたいだった。そんなことはない、と自分が一番よく分かっているから、勘違いしたりはしないが、それでもやっぱりちょっとは思う。


 男はゆっくりと両手を上げた。その手に握りしめたままのナイフを見て、続けて言う。


「ナイフを離すんだ」


 細身の男は舌打ちをすると、俺が言ったとおりに動いた。


「お前も! 何かしたらこいつを殺すからな!」


 髭面の男にも言うと、こんな奴らでも仲間意識があったようで、大人しく両手を上げた。


 レグナがロープで二人を縛り上げていると、レグナ達よりも先に捕まっていたローブの人物が声を出した。


「お、おい、あんたら俺も助けてくれるよな? な?」


 男の声だ。


「セト、助けてあげて」


 俺は少し迷ったが、レグナの後押しもあり、捕まっていた男を自由にすることにした。


 男は手首をさすったあと、フードを脱ぎ、言った。


「いやあ、助かったよ! ありがとな」


 その男は、レグナと同じラコの男だった。俺より少し背が高く、色黒で、ボサボサの黒髪。ずっしりがっちりとした体に、黒い毛がたっぷり生えた太い尻尾をゆらゆら振りながら、ニカッと歯を見せて笑った。


「俺は、ヒルサ。ラコのヒルサだ」


 俺はヒルサと握手をしながら、自己紹介をした。


「セトです。こっちはレグナ。それに……」


 俺の足元に駆け寄ってきたカイコとミツバチを見下ろす。


「こっちはカイコとミツバチです」


「おお、よろしくな」


 ヒルサが少し屈んで二人を見る。二人は少し怯えた様子で俺の後ろに隠れてしまった。ヒルサはそれを見て、少し耳を伏せると呟いた。


「そんなに怖がるなよ」


「セト」


 急に名前を呼ばれて、レグナの方を見ると、耳をピンと立てて森の奥を睨んでいた。


「どうした?」


「足音、聞こえる」


 そうレグナが言うと、すぐにヒルサも同じように耳を立てて身構える。


「おお、レグナちゃんの言うとおりだ。こっちに来るぞ、さっさとここから……」


 その時、ヒルサの言葉を遮るようにして、ロープで縛られていた細身の男が大きな声で叫んだ。


「おい!! 奴隷が逃げた!! 武器を持ってるぞ!!」


「あっ、てめぇ! 余計なことを……」


 ヒルサが唸り声を出して男の胸ぐらを掴む。すると、レグナが叫んだ。


「来るよ! 早く!!」


 レグナが慌てた様子で自分の荷物に駆け寄る。だが、細身の男の声に反応したのか、残りの二人と思われる男らがこちらにかけてくるのが俺にも見えた。


「まずい……」


 荷物を置いていけば逃げられるかもしれない。だが荷物を捨てて旅を続けるのは厳しい。大体、逃げたとしても、そのまま諦めてくれるかどうかも分からない。


 迷っていると、レグナが弓を構える。ヒルサもナイフを手に、足を大きく開くと、唸り声をあげながら臨戦態勢に入っていた。


 戦うしか、ない。


 俺は自身の剣を抜いた。

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