第4話 しっくりといかない文学者のあれこれ


 以前、そう、まだ、私の髪がひどく長かった時代のことです。


 著名な大阪の小説家が、テレビの情報番組の司会に抜擢されて、人気を博していました。

 その方、ある時、何に対して怒りを発散させていたのか、それが一体全体なんであったかなどすっかりと忘れてしまっているのですが、彼は自らの右の手を掲げ、その指をチョキで示し、人差し指と中指をカメラの前に差し出し、そこにあるマメを映し出させたのです。

 しかも、カメラマンにもっと近寄って映せと注文までつけたのです。


 オレは、指にペンダコが出来るほど、ものを書いているんだって、そんなことを言って、怒っていたのです。

 小説家ですから、それに昔のことですから、原稿用紙にペンで文章を書き綴り、それが原因でタコができたのです。


 でも、髪の長い私は、その時、なぜかしっくりといかない思いを抱いたことを覚えているのです。


 その小説家が嫌いなわけでもなく、むしろ、ものを書きながら、昼間、あるいは、深夜にテレビに出て、番組をリードしていくのですから、その才能に敬意を払い、だったら、彼の作品を手にしなくてはなるまいと、そんなことも思っていたくらいなのです。

 しかし、何故に、ペンダコを見せたその一瞬に対して、しっくりいかなったのか、いまだに明確な理由づけもできなくて、私は、そのことのしっくりいかなかったことだけを記憶にとどめているのです。


 そんな記憶を思い出したのは、実は、ある新聞の夕刊の記事であったか、ある作家の書いた文章を読んだ時であったのです。


 その方はこう書いていました。

 自分たち小説を書いているものには、定年はないと。

 そして、引退を表明しない限り、幾つになっても、注文がくるって。

 だから、小説家であり続けるのだと。


 確かに、勤め人と違って、ある一定の年齢が来たら、ご苦労様、あとは後進に職を譲って、自適な生活を送りくださいということはあるまいと。

 そう順繰りに後進が出てくるわけもあるまいと。


 若い、自分よりも素敵な作品をものする後進にその地位を渡すことなどあり得ない話です。

 

 あるとすれば、出版社あたりが、この方の作品はそろそろ売れなくなったから、若手のあの方の作品を取り上げようという営業判断がある時だと思うのです。


 しかし、この方は、新聞に文章を載せるくらいであるから、それなりに評価を受けている方であることは間違いありません。

 自分にも、自分の作品にも矜恃を持ち、堂々としている、そんな感じを抱いたのです。


 私は、初めてその名を聞く方であるので、私の志向とは異なった傾向の作品をものする作家さんであるのかもしれません。それに、そう書く以上、小説家としての相当なる自信と、自らの出版する著作に対する誇りを持っておられる方であることは間違いのないことだと、そのようなことを心の片隅に置いて、記事に目を通していたのです。


 そして、指をかざして、マメを見せた彼の方と、定年はないとする此の方のありように、何故、同じようなしっくりといかないあれこれに思い至ったのかと、思案する羽目になってしまったのです。


 朝日新聞の「ひろば」というサイトに、漱石先生が、東大教授になる道を蹴って、朝日新聞社に転職するくだりが縷々述べられていました。


 東大講師であった漱石先生、その権威と安定を打ち捨てて、今でこそ大新聞社であるけれど、当時は、さほどでもなかったと新聞社自身が言うその業界に勤めることになるのです。

 漱石先生御とし四十の頃合いでした。

 今でいえば、六十の還暦の頃合いでしょうか。


 弟子を新聞社に行かせて、色々と質問をさせていることが、そのサイトに載っていました。


 手当はいかほどなりや、昇給はありやなしや。

 むやみなる免職なきことを保証できようか。

 退職金、恩給はありやなしや。

 小説家として、多方面にものを書くことの自由はありやいなや。

 

 これだけ見ても、漱石先生が生活をしていくことに対して、いくばくかの不安を持っていることがわかろうと言うものです。


 手当は、月給200円で、売れ行きによって増加あり。

 解雇のないこと保証せり。

 早晩、退職金、恩給については、その手の取り決めは社則で決める。

 小説は我が社のみ、他社には執筆無用なり、ただし、「ホトトギス」にはご自由にどうぞ、と朝日新聞社の回答があったのです。


 確かに、退職金も、共済年金もいまだない、そんな新聞社の実情が垣間見えて、面白いと関心を持つことしきりです。


 当時は、新聞の売れ行きがその新聞社お抱えの小説家の作品に影響されていたと言います。

 朝日が読売に勝つには、漱石先生が是非とも必要であると、そんな思いが伝わっても来て、楽しいことこの上ありません。


 それに、200円と言うのは、相当なる大金でありました。

 記憶では、東大教授が40円であったかと。

 

 ともかく、漱石先生は朝日新聞社社員となり、週一回の会議に出て、飯を皆で食い、日本を代表する小説をものしていくのです。


 その漱石先生に対して、私、しっくりといかないなにものも見いだすことがないのです。

 

 生活のたつきのために、先生は、小説を売りに出した。

 そこにはいくばくかのそこはかとない不安があった、それだけで、私は、この先生は尊敬に値する人物だと思ったからに違いないからです。


 新聞にものを書いていたあの作家さん、こんなことも書いていました。


 小説家が作品を発表していれば、小説家であり続けるが、そうでなければただの人だ。

 ネットで作品を発表する手段もあるが、それで収入を得られなければ、それは趣味であり、小説家とは言えないだろうと。


 なるほど、もっともな意見であり、ケチをつけることなど一つもありません。

 まったくもってその通りです。

 しかし、そこにこそ、私がしっくりといかないあれこれを持った原因があると、私は思ったのです。


 俺はただの人ではないのだ。

 指にマメを作って小説を書き、こうしてテレビにも出ているとした方と同じく、自分は注文を滞ることなく受けて、それで本を書き、生活をしている。

 あまたの作家が、ものかきが、芸術家が、クリエーターがいるが、自分は確かに小説で生活をしていると言う、ただの人とは違う何かを持った人間だと言う、差別感がきっと私の中で作用して、しっくりといかなったのではないかと思っているのです。


 東大教授への道を蹴って、新聞社ごときの、はて、いかなることにあいなるか到底わからない転出についての不安をもろに出して、生きていった漱石先生と比べてしまっていたのかもしれませんが……。

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一袋のビワ 中川 弘 @nkgwhiro

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