第3話 一袋のビワ


 ご近所の親しくしている方が、大きなビニール袋をぶら下げて、この時期、私が午後の仕事場にしているウッドデッキのある庭先に立っていました。


 はかどっているって、そう言いながら、私が夢中にMacに向かっている姿をしばらく眺めていたようで、私、ちょっと照れ臭くなってしまったのです。


 ビワがなったんだよって、その方、その大きなビニール袋を高く掲げます。


 私、ウッドデッキの入り口の木戸を開けて、入るように促しますが、道路の方を指差します。

顔を出して、道路を見ますと、一輪車にビニール袋がいくつも載っています。

 親しくしている人たちに、おすそ分けで配りに行かなければならないというのです。

 形は小ぶり、傷もあり、一級品とは言えないけれど、甘さは格別だと、ぜひ賞味あれと、彼、そう言って去って行きました。


 いただいた袋を覗き込みますと、橙色をしたビワがゴロゴロとあります。


 美味しそうだなって、一つ取り出して、皮をむきます。

 皮はさほど容易には剥けませんが、それでもコツを掴めが、わけはありません。

 手のひらにビワから湧き出た果汁がこぼれ落ちます。

 そして、それを口に運びます。そして、口の中から、大きな種四つが出てきました。


 この種、今年は鉢に挿して、ビワの木の盆栽を作って、お返しにしようって、随分と気長なことを考えつきます。

 あまりの甘さに、私は、ビニール袋に再び手を突っ込んでいました。


 それにしても、このビワ、漢字で書けば、琵琶、それとも、枇杷、どっちだろうと、普段気にも留めないことを考えたりします。


 琵琶といえば、平家の物語を語った盲目の法師の姿がすぐに思い起こされます。


 早稲田で中国語を勉強していた時、中野良子先生に誘われて、クラスの皆で、中国琵琶の演奏会に池袋まで行ったことがありました。日本の平家琵琶と異なり、実に、鮮やかな演奏スタイルで、感動したことを覚えています。

 中国琵琶の曲は、平家琵琶のように暗くないのです。

 それに、悲壮感などこれっぽちもありません。演奏を聴いて、広大な草原を思いやることができたのです。


 それもそのはずです。


 この楽器、中央アジアを起源として、世界中に広がったものだと、私、記憶があるのです。

 敦煌で発見されたものと同じものが正倉院にもあるやに記憶しています。

 ペルシャでは、それが出土品に浮き彫りとして描かれているのを見たこともあります。


 日本にやってきて、薩摩琵琶になり、平家琵琶となり、中国では、日本のそれとは違って、巧みに指を操り、メロデイアスな楽曲を奏でるそれになったのです。


 枇杷と書くのと、琵琶と書くのと、どう違うのかしらって、私、三個目のビワの皮を向きながら、思っていました。


 木偏で「比巴」とあるのだから、それは今食べているビワに違いあるまい。


 「琵」「琶」も、この字の部首は、かんむりではなく、「王偏」です。「玉偏」とも言います。ですから、きっと、その音色を奏でる楽器に、古代の人々は、螺鈿を貼り、宝玉を埋め込んだに違いない、そんなことを想像していたのです。


 自宅の庭に出来たビワを収穫し、それを配って回るなんて、素敵なことだと、我が宅の小さなポットでできるトマトやナスを人様にあげられるようにならなくてはと思うのですが、それほどの量が取れるわけではなく、もし、やれるとしたら、一個か二個、そんなものもらっても嬉しくもあるまいと思ったりしながら、私は、四個目のビワに手を出していました。


 でも、この方、いつだったか、自ら作ったという木製の椅子を持ってきてくれたのです。

 門の前に立って、作ったから使って、二階にある玄関から顔を出した私に声をかけてくれたのです。

 趣味で作ったものだけど、使ってよって。

 見れば、作りもしっかりとして、今でも、キッチンの上の棚のものを取り出すのに使っているくらいの立派なものなのです。


 先だっては、役場に通じる道をそそくさと歩いて姿を見かけ、挨拶をしました。どこへ行くのかと問えば、碁会所に行くといいます。

 私にも行かないかと、一緒に頭を使わないかと誘いを受けたのですが、iPhoneでのゲームさえしない私です。ですから、碁などそのような高尚なゲームなど、私には出来ませんからと、丁重にお断りをしたのです。


 それにしても、この方、いい人生を歩んでいると思っているのです。


 もう何十年も昔のことですが、私が、何かの用事で、荒川沖駅から常磐線に乗って東京に向かう時のことでした。

 当時、秋葉原に直通するつくばエクスプレスはなかったのです。

 ですから、つくばに暮らすものたちは、荒川沖駅に出て、常磐線に乗るか、時間にさほどとらわれなければ、渋滞が懸念される高速バスで東京駅に向かうか、いずれかであったのです。


 その日、まだ薄暗い駅のホームで、私は、その方を見つけたのです。そして、上野までの道中、席を隣にして、なんだかんだと語り合ったのです。

 その方、品川まで勤めに出ていたこともその時知りました。

 毎日、暑い時も寒い時も、朝早い電車に乗り、仕事に行っていたのです。

 それは、つくばの田舎で、おっつけやってくる人生の自分でなんでも仕切ることのできる時間を謳歌せんがための苦労なのです。


 それは私にもよくわかることでした。だから、意気投合したというわけなのです。


 ふと、気がつくと、いただいたビワのあらかたを、私は食べてしまっていました。

 テーブルの上は、大きめの種だらけになっています。


 いや、果糖の取りすぎだって嘆くも、一旦、口に入ったものは戻ってきません。でも、なんだか、心地よい感じなのです。

 ビワの果糖のさっぱりしたそれではなく、あの方の生き方を思い起こして、そう感じたのですから。

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