眼球図鑑

いいの すけこ

眼球図鑑

 【深海 -しんかい-】

  海を思わせる、青色の瞳。

  深海のように深い闇も見通すことができる。


 【琥珀 -こはく-】

  陽光のような、黄金色の瞳。

  遠い過去の光景を見通すことができる。


 緋色の布を張った、美しい装丁の本のページを手繰る。張られた布の、ざらついた手触りにぞくりとした。それは感触のせいなのか、高価そうな本を手にしている恐れなのか、それとも内容のせいなのか。


『眼球図鑑』


 表紙には、焦げ茶色のインクでタイトルが型押しされていた。赤に茶の組み合わせはずいぶんと読みにくくて、どこか秘密めいて見える。


「なにか読んでいるの?」

 背後からの声に、私はゆっくり振り向いた。

 深緑色をしたソファに座った青年が口元だけで笑う。長い前髪に覆われた目元は見えなかった。

「『眼球図鑑』というのを」

「そうか、興味があるのか」

 青年は座卓の上を探るようにして、置かれていた蓋つきの箱に手を伸ばした。留め具を外して蓋を開ける。図鑑よりもう少しだけ深い赤色の箱を開けると、中は外側の鮮やかさとは裏腹、真っ黒だ。箱の中身を保護するための、黒い起毛地が内張りされているつくりだった。正方形の箱の中は細かく区切られていて、その区切りの中に、不思議な輝きが並んでいる。


 【夜 -よる-】

  闇に包まれたかのような、黒い瞳。

  この瞳で見つめたものを隠す力を持つ。


「美しいだろう」

 

 箱の中には目玉が並んでいた。


「少し、恐ろしいです」

 光を受けて、眼球はきらきらと輝く。人の一部だけを切り取ったそれは、単体でも強い視線を放った。

「本物でないことはわかっているのですけれど」

 並んだ眼球は、人の手で作られた紛い物の瞳だ。

 ガラスで作られたそれは、もしかしたら本物よりも精密で、複雑な色合いを映しているかもしれなかった。


「本物でなくても、ちゃんと見えるよ。なにせ魔法がかかってる」

 そういうと、青年は少しだけ指をさ迷わせて、ガラスの瞳の中から赤いものを取り出した。目元を覆っている前髪をかき分けて、目蓋を指先でなぞる。

 前髪の下の、空洞になった眼窩。

 普段は隠されているそれを目の当たりにして、私は思わず目をそらした。

「気持ち悪い?」 

 その間に、青年は眼球をあるべき場所に嵌め込んだようだった。

 

 紅玉のような、深紅の瞳。

 おおよそ人間らしからぬ色の瞳は、美しくもあり、また恐ろしくもある。


【彼岸花 -ひがんばな-】

  花のように鮮やかな色の、赤い瞳。

  この瞳で見つめたものを縛る力を持つ。


「……怯むのです、少し」

 素直に答えると、青年は苦笑した。

「頭を割るよりマシだろう」

「頭?」

「人形みたいに頭を開けて、内側から嵌め込むよりは絵面がいい」

 青年は自身の頭に指を突きつけた。

「僕は頭がいいから」

「それ、関係ありますか」

「頭の中がぎっしり詰まっているから、そんなことできない」

 突きつけた指で頭を弾くような仕草をして、青年は笑う。

 その視線はしっかりと私を捕えていて、作り物の瞳でも確かにものを見ることができるようだった。魔法がかかっているというのは、嘘ではないのだろう。


「ところで」

 抱えたままの『眼球図鑑』に目を落として、解説を指でなぞる。なぞる指先が、かすかに震えた。


「解説に書き添えられているのは、なんなのです?」

 

 印字された、それぞれの瞳に添えられた解説。

 それは青年の言うとおり、ガラスの眼球に込められた魔力が成す、不可思議について語っているのだろう。

 

 けれどその真下、加えられた手書きの文字。


 〈青〉……程よい酸味があって甘すぎず、爽快感がある。


 〈黄金〉……ほのかに甘い。自然な糖の味といった感じ。


 〈黒〉……独特の香りがある。薬草を混ぜ込んだような味。


 〈赤〉……果実のような味で、香り高い。


  まるで菓子の箱か、酒瓶のラベルに書かれたような言葉。

  私は身震いをした。


「それ?目玉の味の覚え書き」

 

 何でもないことのように言って、青年は赤い瞳で笑った。


「ガラスは、食べることができるのですか」

「まさか。ガラスなんて食べたら、お腹を壊してしまう」

「それとも魔力って、味がするのですか?」

「しないと思うよ。少なくとも、僕の知る範疇では」


 彼岸花の視線が私を射抜く。

 金縛りにあったかのように、体が動かなかった。


「君の目は綺麗な栗色だねえ」

 ソファから立ち上がって、彼が私の方に向き直る。

 

 彼自身が魔法を使えるのか、魔力を溜め込んだ眼球が惑わすのかはわからない。

青年はまるで魔法をふるうかのように、私の頬の上で指を躍らせて、目元に触れた。

 唇が私の瞳に近づく。まるで想い人に愛でも伝えるような仕草だけれど、多分そんな、甘いものではなくて。


「栗色の瞳はね、とにかく甘いんだよ。とろけるようでね。僕の一番好きな――」

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