笑いの王道
賢者テラ
短編
今からお話しするのは、お笑い芸人を目指したオレが、挫折に至る前後の出来事についてです。聞きづらい部分も多いと思いますが、しばらくはオレの話を聞いていただけますか。
オレは、小さい頃から人を笑わすんが好きやったんです。
小中高を通して、クラスの中でもひょうきん者として、結構人気者やったんですよ。 やっぱ、冗談言うた時に、みんなの顔がほころぶのんがうれしくって。
人が笑うと、何やパッと花が咲いたみたいになるやろ?
それ見ると、自分も幸せをもらえたような、ええ気分になるんよ。
特に、若い女の子が笑ってくれた時は格別や。
あ、誤解せんといてな。
だからって別にオジンとかオバンとか野郎があかん、ゆうとんのとちゃうで。
ヘンにとられてしもたら、勘弁してな。
何せ、若い女の子には涙は似合わん。わろとるほうがええ。
せやから、オレは高校卒業したらな、すぐに専門学校に入ったんです。
もちろん、お笑い芸人を養成する専門学校です。吉本にそういう機関があるんで、大学とか考えんとまずそこにターゲットを絞ったんです。
そら、親は心配したさ。でもな……
「お前がほんまに好きなんやったら、まぁおやり。人生は一回きりや。やらんで後悔したり、あん時こうやっとけばどうなったやろ、なんて思うよりはええやろ」
そう言うてくれてな。挑戦させてくれたよ。
学校で気の合う相方もできてな。滑り出しは悪うなかったよ。
コンビ組んで、漫才路線で行くことになった。
小さいコンクールで優勝もさせてもろて。
腕試しに、小劇場で前座に立たせてもろたりもした。
そうこうしているうちにな、大きなチャンスが巡ってきたんや。
あの、『M-1グランプリ』 に出れることになったんや。
今すでに有名な先輩芸人と一緒に争って、何とか予選を突破できたんや。
ほんま、あん時は得意の絶頂やった。
これ以上の幸せはないと思うたよ。
まぁ、さらに優勝なんかしたらもっと幸せやろうけど、初挑戦でそこまではいかんやろという思いは正直あったから。本戦に出れる、っていうだけでも天にも昇る気持ちやったなぁ。
相方と二人で、かなり練習してな。
いよいよ、本番当日という時になって、それは起こった。
オレの運命は、そこで大きく変わったんや。
本番30分前。
「おかしいなぁ。何かあったんやろか——」
相方が、会場に来んのや。
一世一代の晴れ舞台やからな。
普通、何時間も前に来といて相方とネタつめたり、イメージトレーニングとかして気持ちを整えとくんやけど……待てど暮らせど、相方の姿が現れない。ケータイにかけても、つながらん。
番組のスタッフも、あわて出した。こりゃ、急遽一組棄権か? と。
そこへ、驚くべき一報が入ってきた。
相方が、死んだ。
交通事故や。トラックにはねられてて頭を強く打って、意識不明の重体で病院に担ぎ込まれた。救急救命の甲斐もなく、さきほど息を引き取ったそうだ。
それを聞いた時の気持ちを、どう表現したらええやろ。
目の前が真っ暗になって、何も考えられんようになった。
整理して、何度も何度も確認して完璧に覚えとったネタが吹っ飛んだ。
悲しいとか、涙が出るとかいう以前に、心が空っぽの状態になって混乱した。
「どうします? 一人じゃムリでしょう。棄権ということにしてはどうですか」
番組の進行スタッフたちが、そう言ってきた。
でも、オレの口から出てきたんは、「はい、そうします」やなかった。
「……出さしてください」
「エエッ!? ひとりで、ですか?」
とんでもないことやった。ムチャ言うてんのは分かってた。
それでも、オレの中の何かがそう言わせたんや。
チーフ・ディレクターは、じっとオレの目を見て、言うた。
「そう言うからには、責任持つな?」
オレの答えは、決まっていた。
「はい。オレの芸人生命懸けます」
しばらく考え込んでいたディレクターは、オレの背中をポン、と叩いた。
「……行ってこい」
オレは、一人で大舞台に立ったよ。
観客も、何か違うと感じたんやろな。
拍手の後、二人出てくるはずが一人しか出てこんのを見て、場が静まり返った。
そん時のオレを動かしてたもんは一体何やったんか、今でも不思議や。
とにかく、心の中の何かが命じるままに、オレはしゃべった。
もはや、ネタやなかった。
お笑い史上後にも先にもないような、ムチャクチャなことをオレはした。
マイクに向かって、淡々としゃべった。
「オレの、相方がさっき死にました。
交通事故で、手当ての甲斐もなく、ついさっき病院で亡くなりました。
今のオレには、面白いことは何一つ言えません。
残念やけど、皆さんを笑わす気の利いたことが今は言えません。
その意味では、プロ失格かもしれません。
そらしゃーないで、そんな目におうたんやから、言うてくれはる人もおるかわかりません。
でも、オレは今どうしても考えてしまうんです。
ほんまのお笑いって、何やろうと。
お笑いの本当の力って、何やろうと」
会場は、水を打ったように静まり返った。
観客の誰も、野次を飛ばさない。
スタッフの方でも、誰もこれはまずいぞと止める者もいない。
「オレらお笑い芸人がするネタは、何事もない日常の中で聞けば、確かに面白いでしょう。思いっきり笑えてストレスも発散できる。また何か頑張る活力にもなるやろ、と思います。
でも、ちょうど今のオレみたいに、とんでもない災難や大きな不幸が降りかかってきた時に……漫才聞いて笑えますか?
起こったことの内容がひどければひどいほど、そんなもん何の力にもならんどころか、逆に腹立つんとちゃいます?
こっちはタイヘンやのに、何をお気楽な! ってカンジで。
今、なぜか思うたんです。オレって、無力やなって。
オレらが目指しているお笑いって、何やろう……
何の問題もない、幸せな人にしか役に立てへん。打ちひしがれて、悲しみの絶頂にある人にしてみたら、軽いジョークや痛い自虐ネタなんかはやかましい・耳障りな音でしかない。
分かってます。 今のオレが考えすぎや、ってこと。そこまで考えんでもええんや、こういうお笑いは人の暮らしに必要なんや、ってこと。
でも、オレ自身が今、信頼してた相方を失う、という運命に見舞われてみて——
今までこれは最高のネタや、思うて自信を持って今日お聞かせするはずやったネタを、心の中で思い出してみるんですが、ゼンゼン笑えんのです。
オレ、こんなこと言うからには責任取ります。
もう二度と、お笑い芸人としてこの舞台に立つことはないでしょう。
オレはこれからオレなりに、どんな心の状態にある人の力にでもなってあげられるお笑い、いうもんを探し求めていきたい、思います——」
思い返してみれば、エラいこと言うてしもたもんや。
事実上の、引退宣言みたいなもんやからな。
でも、オレは自分の中の何かが命ずるままに、逆らわんと言うた。
だから、後悔はなかった。かえってスッキリしたよ。
オレは、泣きながら舞台を去った。
観客は、暖かい拍手でムチャクチャなこと言うたオレを送り出してくれた。
当然、賞どころか審査の対象にもならんかった。
M-1が終わったその足で、オレは病院へ急いだ。
そして、相方の死体と対面した。
交通事故だけに、ちょっと痛々しかったけどな。
けど、オレは目を背けずにしっかり見届けたよ。
「……今まで、ありがとな」
それしか、アイツに言えんかった。
他は、言葉にならんかった。
「あ、あなたさっきM-1に出てた……?」
病院でな、オレのこと覚えとった若い看護師の姉ちゃんとしゃべったよ。
相方のことがあったからなぁ。そっと一人になりたい、いう気分ももちろんあったんやけど、相方が望んどるんはオレが悲しゅうしてメソメソ泣いてることやない、と思うたから。
気がまぎれる、思うて待合室のベンチで、看護師さんと並んで座った。
「おれと話してて、ナースのお仕事は大丈夫なんですか……?」
オレは一応、気遣ってそう聞いた。
「そ、そういう言い方されると、なんか昔の看護師ものドラマみたいですね」
ウケは全然狙うてへんかったんやけど、図らずも笑わせる形なった。看護師さんは、コロコロ笑いながら言った。
「私、今は休憩時間なんです。時間のことはしばらくご心配なく」
そん時やった。
白衣は着とるけど、中に何やおかしな服を着込んだ、変わった姉ちゃんが一人ドスドスと廊下を歩いてきた。
それは、見るからにヘンな恰好やった。
両方のほっぺたに、赤いマル。鉄腕アトムの御茶ノ水博士みたいな、でっかい付け鼻。そして、極めつけに脚には、病院用のスリッパではなく、ゴジラの足のような巨大な履物——。
オレはプッと吹き出した。
相方の死に触れてから、オレは初めて笑った。
「……あの人は、一体何です?」
思わず、オレはそう聞いたよ。
「ああ、あれですか? あれは『ホスピタル・クラウン』とか『クリニクラウン』って言いましてね、主に入院中の小児の病室を訪れて、遊びやコミュニケーションなどを通じて心のケアをする専門家のことなんです。言わば病院内のピエロ、ってとこでしょうかね」
ピン、と来たよ。
オレの探している答えが、ここにあるんやないか、ってね。 オレが休憩中だった看護師さんにお願いすると、さっきの『クリニクラウン』の姉ちゃんを連れてきてくれた。
「あなた、この活動に興味がおありになるんですか?」
声をかけたオレに、そう言ってにっこり微笑んでくれた。
その姉ちゃんはいきなり会ったばかりのオレに、さっそく今からついて来て、一緒にやってくれればいい、と言ってきた。
「いいんですか? 何も分からんオレがいきなりついて行って」
その姉ちゃんは、大きな高笑いをして言った。
「カンですよ、カン。あなたなら出来そうな気がする」
小児病棟へ向かう道すがら、オレは姉ちゃん(名前は楠本舞さん、というそうだ)から、色々と話を聞いた。
彼女は、日本クリニクラウン協会から正式に認定された本職らしい。
彼女のように正式に認定を受けて活動しているのは、日本でもまだまだ数が少ないのだそうな。
「一人ね、私がゼッタイに笑わせてあげたいな、って思ってる子がいるの。その子ね、病気にかかってこの病院に入院してからこのかた、一度も笑ってるのを見たっていう人がいないのよ」
「……そりゃまた手ごわそうな」
舞さんのパフォーマンスは素晴らしかった。
生き生きとしていた。
子どもたちだけじゃない。老人たちも、いい年の大人さえも——
彼女の訪問を、心から歓迎しとった。
見たところ、舞さんの存在は患者たちの間ではかなり浸透してるみたいや。
それだけ、ここでの活動歴は長いんやろなと思う。
それを見ながら、オレはここに求めている答えがありそうな気がして、身震いしたよ。だって、ここで舞さんが相手にしているのは、病気という苦痛を背負った、決して愉快な状況にいるわけではない人種なのだから。
オレと舞さんは、二人で新ネタを考えた。
じっくり打ち合わせて、派手に一発ぶちかましたよ。
案の定、みんな腹を抱えて笑ってくれた。
ちょっとまずかったのは、腹を十針ほど縫ったばかりの人がいて、笑いすぎでその縫った部分が引きつって痛い、という患者さんを出してしまったことや。
担当の看護師さんも、『まさかそこまで大笑いするとは』予想してなくて、油断してたんだそうだ。
例の、笑わない女の子を笑わすことにも成功する快挙やった。
舞さんとオレは、抱き合って喜んだ。
もう二人とも無我夢中でしたことなのだが、我に返った時周りの皆に 『よっ、お熱いねぇ!』 とはやしたてられ、顔が真っ赤になった。
吉本からは、オレみたいな者のことを惜しんでくれて、『新しい相方と組んで、いちから出直してみないか』 と声をかけられていた。とてもありがたいことだが、オレはこの話をキッパリと断った。
もう、決めたんや。
収入は、ぶっちゃけ少ない。でも、ええんや。
オレも、舞さんに続いてクリニクラウンの資格を取るんや。
そして、この道で苦しみの中にある人にも笑顔を戻すんや。
実は、来年舞さんと結婚することになってな。
二人で、力の続く限り患者さんのために生きよう、と誓い合った。
笑わない女の子を笑わせられた時、思ったんよ。
お笑いで一番大切なのは、ネタ自体やない。
確かに、どんな面白いことを言うか、ということは大きいと思う。
でも、それ以上になくてはならないもの。
それは、相手を笑わせてやろうどうこうを思う前に、まず相手の幸せを願うこと。その気持ちをもって、相手に全身全霊でのぞむこと。
だから今では、人を笑わせたいと思うことは、その人の幸せを祈るということとイコールであるし、またそうあるべきやと思ってる。空疎な笑いは、その人がいざどん底に突き落とされるような目に遭った時に、本当の助けとはなってくれない——
オレは今日も舞と二人で、笑いの真髄を極める日々を送っている。
笑いの王道 賢者テラ @eyeofgod
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