最終章 失恋

 気づいたら好きになっていた、ということが本当に起こるとは思わなかった。

 人を好きになるのにはいつも何かしらきっかけがあって、明確な理由があるのかと思っていた。

 でも違った。

 好きだったと気づいたときには、もう遅かった。

 どうしようもない。始まりもしない恋。

 偽りだらけの自分。本当の名前すら、呼んでもらえてない。

 自分のためにも、彼女のためにも、この先を願ってはいけないと分かっていたのに――こんなに胸が痛いのは、なぜだろう。

 

 

 ***

 

 

「はい、カットー。チェック入りまーす」

 監督の声に、ふうと息を吐く。

 八月に入り、一気に気温も上がったため、野外での撮影は身体にも堪える。

 簡易的に作られた休憩スペースの椅子に腰を下ろす。

 ペットボトルの水を飲み、次のシーンを確認するため、台本をめくった。

「篠原さん、お疲れ様です」

 ぺこりと頭を下げて、反対側に座ったのは、今撮っている歴史ドラマの相手役の年上の女優だ。

「お疲れ様です」

「篠原さん、先日の『あまこい』最終回、見ました。素晴らしい演技でした」

「ありがとうございます」

「特に最後の雨のシーン! 廉くんの葛藤と切なさと、それでも好きって気持ちが伝わってきて」

「そう言ってもらえて、光栄です」

「あの時の『俺にしとけよ』って台詞、篠原さんが脚本を変えたって本当ですか? なんか監督さんと衝突の末にって」

「そ、んなに、広まっているんですか……?」

「あ、いえ、私は、篠原さんが凄かったって、美鈴ちゃ――南雲さんから聞いて。実際のところ、そうなんですか?」

「……本当は、『あまこい』って、廉はこっぴどくフラれて、失恋して終わる話だったんです」

「え!? そうなんですか? てっきりハッピーエンドの物語だと……。実際の放送でも結ばれましたよね?」

「はい。……その、自分で言うのもアレですが、今売り出し中の僕が失恋する話をファンは望まないだろうって、監督が言い出して。それで台本がハッピーエンドにガラッと変わったんです。僕はそれが許せなくて……」

 『あまこい』のテーマは恋の痛み。なのに、役者である自分の望まれる姿だけで物語が一変した。

「監督に直談判したんですよ。俳優としての僕のイメージよりも脚本を優先してほしいって。でも、それでは『山岸廉』ではなく、『篠原秋斗』を見ているファンにドラマ自体が叩かれるかもしれないと言われてしまって」

 それを聞いて、俺は黙るしかなかった。モデル上がりの俳優なんて、演技じゃなくて顔を見られて当然。そんな現実を突き付けられたようだった。

 共演者も仕方ないと言っていた。。……それがどんなに屈辱だったか。

 俺は荒れた。自暴自棄になった。脚本から得た役作りも、物語のイメージも全てが水の泡になった。

 そんな雨の日の夜、撮影現場に似た公園で、彼女に出会った。

 顔が割れてきてファンも多くなって来た中で、俺を知らない女の子。なんのフィルターも付けずに、真っ直ぐに自分を見てくれた。


 ――他の人に望まれる自分と、自分がなりたい自分を半分ずつくらい取った、バランスの良いところを見つけるしかないんじゃないかなぁ。


 正論だった。その言葉がどれだけ俺を勇気づけただろうか。

「それで、監督さんとまた話し合ったの?」

「はい。世間の僕へのイメージも理解した上で、最後だけ結ばれるけど、それまでは恋の痛みや葛藤を描く、今までの流れは維持したいという中庸案を出しました。この作品から自分へのイメージも一新させたいと力説しました」

 無事にその案は採用され、遅れていた撮影が急ピッチで進められた。

 きっかけと言われれば、あの一言だったのかも知れない。気づいたときには、俺は彼女に惹かれた。

 男から告白を受けている彼女を、自分に振り向かせたいと思う程には。

「最後の台詞は、僕が好きな人に言うならこう言うだろうなって台詞だったんです。不意に出ちゃったんですけど、凄く良いってそのまま使われることになって」

「そんなこと篠原くんに言われたら、絶対OKしちゃいますよ~。顔もかっこよくて……、たしか六校生でしたよね?頭もいいんですから。しかも、あの台詞、めちゃくちゃ話題になって、篠原さん新鋭の若手俳優って大注目じゃないですか!」

 どんよりとしていた空は灰色の雲に覆われている。一雨来るだろうか。

「……大切な人からアドバイスをもらって。その人の、おかげなんです」

「へぇ、共演者さん?あ、もしかして彼女とかですか?」

 今、彼女はどうしているだろうか。

 好きになって、どうしても振り向いて欲しかったのに。怖くて、自分の本当の名前すらも告げられなかった。

 彼女は本当の自分を見てくれたのに、俺は彼女に仮の姿しか見せられなかった。

 世界が違うと線を引いて、勝手に諦めた。

 きちんと気持ちを伝えられていたら、何か変わっていただろうか。

 いつか、自分が認められる自分になれたら、もう一度だけ彼女に会いに行こう。


――今度は篠原秋斗として、真実を全て話しに。

 

「いいえ。……、女の子ですよ」

 

 ――雨音が響く。

 

 耳に残る音に、まだ胸が痛む。

 あの夜の公園の匂いがした。



了。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨音と恋模様 望月 香夜 @kouya_38xx

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る