第四話 真実の涙
「山岸 廉」という男は、まるで雨のように突然現れて、雨音と共に姿を消した。
あれから一週間、山岸は公園に本当に現れなくなった。
あの言葉の意味も、キスの理由も、私にはまだ何も理解できていない。
思い切って六校に電話で問い合わせたが、「山岸 廉」という生徒はいないという回答だった。
――じゃあ一体、彼は誰……。
***
「あ~あ、絶対いいカップルになると思ったのになぁ」
部活の帰り道、夏帆が溜め息混じりに言った。
「もう、夏帆!それ何回目?」
「だってさぁ、向坂、毎日なんか凹んでるんだもん」
向坂から告白を受けて四週間後、私は彼の申し出を断った。
理由は、忘れられない男性がいるから。向坂は困ったように笑って、そっかと呟いた。私は、待たせた上に良い返事ができなくてごめんと素直に謝った。
皮肉にも、山岸は私に断る理由をくれたのだった。
「はぁ、なんか恋愛って意味わかんない……」
「うわ、何それ。告られて生まれた余裕を感じる」
「そんなんじゃないって何度も言ってるでしょ~」
「分かってるって。華澄が、まだ整理ついてなくて話せないって言うから、追求したくても待ってるんだよ」
「うん……。話せるようになったら、聞いてくれる?」
「あったり前でしょ!でも……華澄が落ち着いてからで良いんだからね」
夏帆に話したら、これもひと夏の思い出になるのだろうか。
「なんかフッた華澄の方が、より落ち込んでるんだもんな~。あっ!華澄、そういえば今日塾休みって言ってたよね?」
「え? ああ、うん」
「水曜日!『あまこい』最終回!」
「出た! また『秋斗くん』!」
「いや、秋斗くんがかっこいいのはもちろんなんだけどね! 今めちゃくちゃ切ない展開で、最終回で結ばれるのか結ばれないのかってとこなのよ。今、華澄、恋愛はちょっとなって思ってるかもしれないけど、最終回見ればきっと気持ちも動くだろうから!……見て!」
「ちょっ、そんな一気に言われても!ってか、最終的に見て欲しいってだけなんでしょ?」
「そういうこと!」
あははと私たちは声をあげて笑った。
***
お風呂を上がると、外では雨が降っていた。
水曜日の雨音。窓の隙間から雨に濡れた夏の夜の匂いがした。山岸と会った、公園のそれに近い。
彼は一体、何者だったのか。どこの誰で、今何をしているのか……。
夢だったのだと思うようにしようとしてるけど、毎日のように彼のことを考えてしまう自分が嫌になった。
リビングに行くと、テレビでは夜のニュースをやっていた。
ふと時計に目をやると十時四十五分。
まずいと思って、慌ててテレビのリモコンを掴む。
『あまこい』は十時からだ。明日感想を聞くからと夏帆に言われたのに。
まぁ、あと十五分あるからラストの良いところは見られるだろう。
急いでチャンネルボタンを押して、『あまこい』の番組に会わせる。
すると画面には、雨の中を走る水色のワンピースを着た少女が映し出された。
たしか、女優の「
どうやら少女は主役を探しているようだった。
――これ、どうせ主役に会って想いを伝えてハッピーエンドなんじゃないの?
そんなありきたりな予想通り、少女は思い出の場所で主役を見つける。
雨の中、立つ後ろ姿。どこかで――。
『廉!』
テレビの中の少女が、叫んだ。
映し出された主役の少年を見て、私は息を呑んだ。
ずぶ濡れ。
黒いTシャツにズボン。
長い前髪。
そこから覗く、二重の目。
それは夏帆の好きな『秋斗くん』である前に、紛れもなく――山岸だった。
『お前、どうしてここに!』
『だって。もう一度、廉に会いたかったから』
心臓が早鐘を打っていた。
「山岸 廉」。
雨の公園。
夏なのにマスク。
反らされた顔。
ぶつぶつ呟いていた言葉。
もう会えない理由。
――そうか、そういうことか。
少女が山岸に抱きつく。
山岸はそっと少女を受け止める。
『なぁ、あいつじゃなくて……俺にしとけよ』
聞き覚えのある台詞を言って、山岸が少女に口付ける。――先週、紛れもなく私と重ねたはずの唇で。
ぽろぽろと、涙がこぼれた。あふれて、あふれて止まらなかった。
あの言葉もキスも、全部、きっと「篠原 秋斗」による練習だったんだ。
私はただの練習相手に過ぎなかった。そうとしか思えなかったし、そう思わないと耐えられなかった。
――雨音が響く。
それは現実の雨なのか、テレビの中の雨なのか、私の記憶の中の雨なのか、もうわからない。
『山岸 廉』は――私の好きになった人は、本当に雨音と共にこの世界から姿を消した。
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