バイカモのせい


 ~ 八月二十五日(日) afternoon ~


 バイカモの花言葉 幸せになる



 ハスの葉が

 赤く染まって

 ばかやろう



 ――水面に近い木製の小さな橋から。

 手すりに体を預けたすぐ眼下には。


 赤いハスの葉。

 不思議な青の風合いの池。

 そこを漂う錦鯉。


 美しい。

 でも。


「緑に黄色じゃない」

「緑に黄色じゃないの」


 俺たちを待っていたのは。

 明らかに間違った色彩。


 しかも、この景色。

 何かが決定的に違うのです。


 手にした絵ハガキと見比べて。

 似たような構図を見つけたものの。

 ここまで印象が変わるでしょうか。


「……何が違うのです?」

「むう……。ほんとにここ?」


 家からすぐ近く。

 なんなら何度か。

 目の前を車で通り過ぎたこともあるこの場所が。


「ああ。ここが有名な『モネの池』だ」


 橋の手すりから身を乗り出して。

 透明な池を横切るコイに見入っているひかりちゃんを。


 自前のカメラで撮影するまーくんが。

 教えてくれたのですが。


「ええと……、ノルマンディーのものに似せて作ったとか?」

「それは知らないけど。近くの道の駅で土産物も売ってる観光名所だ」


 名所。

 まあ、そうですね。


 俺たちの他にも。

 お客様がちらほらと見うけられますし。


 でも。

 俺にはどうにもピンとこないのです。


「穂咲も口をとがらせていますけど。何かが違う?」

「うん……。何が違うって言われると分かんないけど、びびっとこないの」

「わざわざ連れて来てやったのに、とは言わんが。義姉さんが喜んでるからいいんじゃないか?」


 母ちゃんと、父ちゃんと。

 一緒になってはしゃぐおばさん。


 でも、あの笑顔。

 俺には分かるのです。


「……作り笑いなの」

「ですよね」

「そうなのか?」


 おばさんの、芸術に関する琴線は。

 どこか独特なものがあって。


 何を気に入るか。

 その基準はよく分かりませんが。


 気に入っているか。

 気に入っていないか。


 それくらいは分かる俺たちなのです。


「こんなにきれーなのに?」


 ひかりちゃんには、お気に召したようで。

 俺たちの反応に首をひねるのですけれど。


「そうよね~。こんなに綺麗なのに、おかしなことを言うお兄ちゃんたちよね」


 そして、晴花さんまで。

 この名もない池に。

 満足げなため息をついていらっしゃる。


「……晴花さん。俺たちの美的センス、一般的じゃなかったりします?」

「あたしを『たち』で括らないで欲しいの。あたしは普通なの」

「あはは……。でも、穂咲ちゃんも気に入ってないんでしょ?」

「むう」

「その理由、教えてあげようか?」


 え?

 俺と穂咲が気に入っていない理由を。

 晴花さんは分かるというのですか?


 先日、ワンコ・バーガーへいらっしゃったお客様の気持ちを汲んで。

 見事な写真を撮影した晴花さん。


 そんな、

 『心を写す』

 名カメラマンの目には。

 なにが見えているのでしょう。


 ……俺たちに見つめられながら。

 晴花さんは、時間をかけてカメラを調整して。


 ようやくカメラを構えたかと思うと。

 その姿勢のまま停止してしまいます。


 声をかけることができない。

 呼吸すら気を使う。


 そんな数分間を経て。


 今、シャッターの音が。


 カシャカシャカシャカシャ!

 カシャカシャカシャカシャ!

 カシャカシャカシャカシャ!


 あっという間に十数枚分。

 辺りに鳴り響いたのです。


「ふう! コイのフレームイン待ちでした!」

「ああ、なるほど」


 さすがは元プロカメラマン。

 写真に対する姿勢は本物で。


 そして、その腕前も……。


「ああ! なるほど!」


 まごうこと無き。

 本物なのでした。



 ――光の加減。

 色彩の調整。


 トリミング。

 そしてシャッターチャンス。


「これとこれは、まあ及第点ね」


 そう言いながら。

 晴花さんが見せてくれた写真は。


 まさにモネの池そのもので。


「綺麗なのです」


 月並みな言葉しか出てきませんが。

 俺は、心から感動したのでした。


「どう? 穂咲ちゃん。なにか分かった?」


 そして。

 カメラの画像を見て。

 目を丸くさせたままの穂咲へ晴花さんが聞くと。


「…………ぴかりんと、晴花さんの目には、こう見えたの」

「そういう事ね。一番の違いは、トリミングかな?」

「あたしの目には、こうは見えなかったの……」

「試してみると良いわ。ほら、カメラ持って?」


 穂咲へ、愛用のカメラを渡して。

 レンズ越しの風景というものを教えてくれるのです。


「待って? ママ! ちょっとこっちに来て欲しいの! これ、凄いの!」


 そして、晴花さんの写真を見せながら。

 自分の感動を、おばさんと半分こすると。


 大はしゃぎし始めた二人は。

 どちらが素敵な写真を撮れるかコンクールを開催してしまったのです。


「すいません、晴花さん。カメラ取っちゃって」

「いえいえ。写真の魅力の一端だけだけど、若者に伝えられて満足よ?」


 ここの写真を撮るために同行したというのに。

 なんという大人なお言葉。


 なるほど。

 俺も、自分よりも年下の皆様へ。

 何かの魅力を伝えることを心がけましょう。


 ……まあ、その何かというものを。

 まるで持ち合わせていませんけどね。


 俺が唯一。

 魅力を知っているものと言えば……。


「晴花さん凄いの! あたし、晴花さんと出会えて幸せなの!」

「ええっ!? あ、ありがとう。私も幸せよ?」

「ほんと? 嬉しいの!」


 ……満面に笑みを湛えて。

 自分の幸せを、みんなに配って歩く人。


 悪意には鈍感で。

 その反面。


 小さな悲しい気持ちには敏感で。

 そんな人と、同じ痛みを感じることができる人。


「……どうしたの、道久君。穂咲ちゃんのことじっと見て」

「いえ、どうもしませんが?」


 いやいや。

 こいつの良さを後輩に教えてどうしようというのでしょう。

 何を考えているのでしょうね、俺は。


 ……そう言えば、小さな頃。

 こいつと遊んで、家に帰って。


 今日は穂咲がこんな素敵なことをしたと。

 母ちゃんに、楽しく話して聞かせていた気がするのですが。


 今となっては。

 それも……。


「さて、それじゃ道の駅に行って、絵ハガキ買うの」

「え?」

「この池のお土産売ってるんだって」

「ああ、そうでしたね。俺も、何か買おうかしら」

「当たり前なの。道久君が買わなきゃ、あたしがお土産手に入らないの」


 ………………。


 かつて、穂咲のいい所を母ちゃんに楽しく話していたこと。


 今となっては。

 それも。



 ただの黒歴史なのです。



「ねえ、ママ。晴花さんは凄いの。こんな写真まで撮るの。きっとおんなじ風景見ても、あたしならこんな感じに撮れないと思うの」

「そりゃあそうでしょうよ。元、プロなんだから敵うはずないでしょ?」

「でもね? あたしはこんな写真撮って、毎日ママに見せたいの。ママを幸せにするのがあたしの存在理由なの」

「あら嬉しい。でもいいのよ、そんなの一回きりで。あんた、無茶するんだもん」

「無茶? あたし、なんかした?」


 穂咲がした無茶。

 何のお話でしょう。


 俺が聞きたそうな顔をしていたことを。

 察したおばさんは。


 穂咲の頭を撫でながら。

 話してくれたのです。


「この子、八歳の頃、一度車で行ったきりの藍川の本家まで一人で行ったことがあるのよ」

「え? 電車で? 地図でも見ながら?」

「歩きで。勘で」

「ウソでしょ!?」


 そんな馬鹿げた話をにわかに信じることもできない俺が。

 呆然と穂咲を見つめていると。


「私に内緒で、私のために何かをお願いしに行ったらしいんだけど。そのせいで本家から散々叱られたわ」

「こいつらしいですけど、滅茶苦茶なのです」


 俺の言葉に。

 少しだけ嬉しそうにしてはにかむ穂咲なのですが。


 褒めてないからね?


「で? 君は何をお願いしに行ったのです?」

「そんなの覚えてるわけ無いの。それを覚えとかなきゃいけないのは道久君の仕事なの」

「いつも言っているじゃないですか。記憶力の悪い俺にそれを頼るの、餅屋にピザの出前を頼むようなものですって」

「モチピザ、美味しいの」

「そういう話ではなく。お願いした相手に聞いて下さいよ」


 どうしてでしょうね。

 なんで、他人に頼ってばっかだと。

 ぐちぐち文句を言われなければならないのでしょうね。


 そんな理不尽さんは。

 携帯で、どなたかへ電話したのですが。


 普通は分からないはずの電話のお相手。

 一瞬で判明したのです。


『誰じゃ! 名を名乗れ!!』

「こら穂咲! びっくりするからハンズフリーモードにしなさんな!」

「……してないの」


 なにい!?


 はっきりくっきりここまで聞こえるのですが。

 なんてばかでかい声!


「もしもし、あたしなの。おじいちゃんの恋人なの」

『なんと! 穂咲ちゃんから電話など、なんてめでたいのじゃ! なんでも買うてやるから言うてみい! 国債か? あれは今、マイナス金利じゃから株にした方が……』

「あのね? 昔、おじいちゃんに増やしといてって頼んだやつあるでしょ?」

『上腕二頭筋か? それなら毎日鍛えとるぞ?』

「そうじゃなくて。歩いておじいちゃんちに行った時の……」

『ん? なんじゃったかな。…………おお! アレか!』


 まるで筒抜けの二人の会話。

 でも、指示語ばかりで肝心なところは分かりません。


「あのね? ママ、随分元気になったけど、きっとアレを見たらもっと元気になるから見せたげたいの」

『う、うむ……。まあ、穂咲ちゃんの頼みじゃしな。構わんが……』

「それよりね、おじいちゃん。……アレって、なんだったっけ? 忘れちった」

『ウソじゃろ? ……まさか、なのなの詐欺ではあるまいな?』


 そう思いますよね、普通。


「逆なの。忘れちまう方があたしらしいの」

『わはははは! 確かに! ……では、これから見に行くか!』

「おお、内緒のままなの。ミステリーツアーなの」

『ではすぐに向かおう! ……新堂!』

「そんな大声出したら、新堂さんがここに来ちゃうの。で? あたし達はどこに行けばいいの?」

『そうじゃな、モンブランじゃ!』

「…………あ、分かったの。じゃあ、これから行くの」


 そう言いながら。

 穂咲は電話を切ったのですけれど。


 えっと。

 今。

 なんて?



 モン・ブラン?


 たしか、あの山のある場所って…………。



「フランスううううう!?」



 俺ばかりでなく。

 誰もがみんな。


 開いた口の締め方を忘れたまま。

 呆然と穂咲を見つめるのでした。



「じゃあ、れっつらごーなの」




 ~🌹~🌹~🌹~




 ……そして俺たちは。

 現在、フランスの前を車で通り越し。


 モンブランを目前にしたまま。

 ただ、呆然としているのですけれど。


「さすがはおじいちゃんなの。約束、覚えててくれたの」

「当然じゃ! 穂咲ちゃんとの約束、よもや忘れまいて!」

「ケーキを家で食べたいという意味でしたら最初からそう言ってください!」


 なんてややこしい。

 それにしても。

 なぜ君がモンブラン?


「あなた、ショートケーキ一辺倒でしょうに」

「おじいちゃんに頼んどいたの。パパの好物」


 そう言いながら。

 穂咲は自分のケーキをおじさんへあげると。


 おばさんのお皿を自分の前に置いて。

 ざっくり半分に割ったのです。


 ……なるほど。

 そういう事なら仕方ない。


 俺は、自分のケーキからクリをすくって。

 クリの乗っていない、穂咲のケーキに乗せてあげました。


「そんで、あたしは何を頼んだんだっけ?」

「栗のケーキを家で食べたいというから持って来たのじゃが?」

「そっちでなく」

「おお! そうじゃったそうじゃった!」


 がはがはと笑うおじいちゃんの後ろに控えたおばあちゃん。

 懐中時計をちらりと見るなり。


「……旦那様。お三時は後へ回さねば時間がございません」

「む? そうか。ならばすぐに行くぞ! 新堂!」


 そして声をかけられた新堂さんが。

 俺たちを、外へと促すのです。


「座らされたり立たされたり。忙しいのです」

「これしきで何か文句があるのか? ……そもそも、貴様は誰じゃ!」

「道久君なの」

「道久さんです」

「道久さんと存じます」

「道久さね」

「道久だ」

「道久君だぜ?」

「ああやかましい! 黙っとれ!」


 ……おじいちゃんの一喝に。

 逆らえる人がいなかったため。


 また今日も。

 名前を覚えてもらえませんでした。


 それにしても。

 どこに行くの?




 ~🌹~🌹~🌹~




 ――人が、定期的に歩くと。

 山は仕方なしに藪を分け。

 そこに道を作るもの。


 新堂さんに導かれるまま。

 足を踏み入れることの無い。

 裏山を登ることになった俺たちなのですが。


 総勢十二人。

 誰もが口を開くことなく。


 存外急な斜面に。

 喘ぎ声ばかりが聞こえます。


「…………おぬしは、息が上がらんのじゃな」

「ええ。趣味でよく山に登っていますので」

「ほう。偶然じゃが、わしも山登りは好きでの。……して、貴様は山登りを何と捉える?」

「どうしてかやめることができないけど、苦労の割には得るものが少ない、バカバカしい行為」

「ふむ。……貴様は見どころがある。わしも同意見じゃ」


 俺同様。

 まったく息も切らさず歩く二人の年長者。


 大したものだと感心しつつ。

 その凛とした背中を追っていると。


「お?」


 耳を埋め尽くしていた山の音が。

 一歩を境に急に変わると。


 藪も下葉も。

 徐々にその勢いを落として。


「せせらぎ? いや、それよりも……」


 いつの間に作られていたのでしょう。

 幅、一メートルほどの沢を。

 覗き込むことができる丸太づくりのデッキが。

 俺たちを待っていたのでした。


 ですが。

 そのデッキの手前で。

 おじいちゃんは足を止めて振り向くと。


「……まずは、穂咲ちゃんだけ入って良し」


 そんなことを言うのですが。


 でも、穂咲の返事は予想通り。


「そんなの嫌なの。ママと、みんなと同時に見たいの」


 ゲスト権限だとでも言いたげに。

 おばさんの手を握るのです。


「む……。ならば、致し方なし」


 複雑な表情で。

 おじいちゃんが道を譲るのですが。


 俺が見るに。

 まだ、おじいちゃんは。

 おばさんを許しきってはいないようで。


 そんな思いが。

 顔に出ているようなのです。



 ……人の気持ち。

 それは、なかなか簡単に変わるものではなく。


 いくら気に病んでも。

 俺にも、誰にも。


 どうすることもできないでしょう。



 ……そんなことを考えていた俺は。

 まだまだ、甘かった。



 この天使が。

 人類すべてが幸せにならないと納得いかないと。

 本気で言い出すお人よしが。


 簡単に。


 絶対零度の壁を一枚。


 粉々に打ち砕いたのです。


「……なんじゃ? わしの手を掴んだりして」

「おじいちゃんこそなに言ってるの? 一緒に見るの」

「いや、しかしじゃな……」

「しかしもおかしもないの。みんなってのには、おじいちゃんとおばあちゃんも入ってるの」


 俺の目の前。

 穂咲に手を引かれる都合上。

 おじいちゃんと、おばさんが横に並んで歩くことになり。


 ふと、お互いに顔を見合わせると。

 不器用な作り笑いを同時に浮かべたのです。



 ……そう。

 それでいい。

 最初は作った笑顔でもいい。


 だって、俺。


 おじさんが浮かべる苦笑い。

 優し過ぎて、不器用なおじさんが。

 無理して作ったあの笑顔。



 あれはあれで。



 素敵なものだったと思っていますので。



 作り笑いというものは。

 控えめで、恥ずかしくて。

 でも、相手を思いやる気持ちが作る。

 愛に満ちたものだと知っていますので。



 ……今朝、母ちゃんに言われて。

 恥ずかしくって否定した。


 家族という言葉。


 今なら。

 素直になった今なら。


 胸を張って言えるのです。



 おじいちゃん、おばあちゃん。

 穂咲、おばさん。


 そして、おじさんと一緒に。


 俺は、家族として。


 デッキへ並び立ちたいです。



 まーくん一家はもちろん。

 父ちゃん母ちゃんも。

 晴花さんも。

 きっと同じ気持ち。


 手を繋いで。

 横に一列に並んで。

 

 そして同時に。

 沢の中を覗き込みました。




 …………ああ。

 これが。


 おじさんから君へ。

 君からおばさんへ。


 幸せになって欲しいという思いを込めた。

 黄色いバトンなのですね。




「……パパと見つけたの。海の中のチューリップ」

「川の中で…………、緑の葉をたなびかせて、黄色いお花が咲いているのです」


 そう、岸辺に咲くではなく。

 川底から茎をのばして外で咲くでもなく。

 川に浮かんでいるわけでもない。


 ……温度の低い清流にしか生息できない。

 小さな小さな黄色いウメのようなお花。


 五枚の花が包み込む。

 多数の雄しべと雌しべのおかげで。

 水中に花開き、さらに結実することができる神秘のお花。


 このお花は。

 キンポウゲ科の水中花。



 バイカモ。



 初めて目にするこのお花。

 おじさんから君に。

 君からおばさんに。


 愛と共に渡ったこの花の花言葉は。



 「幸せになる」



 …………ええ、必ず皆さんは。

 いつまでも、三人揃って。

 幸せでいることができるでしょう。


 俺は、そのために。

 いくらでも力を貸します。


 だって。


 家族ですからね。



 爽やかな心地で。

 そんな宣言をした俺に。


 すぐお隣りから。

 いつもの左側から。


 囁くような声が聞こえます。


「道久君、お願いがあるの」

「はい」



「…………あたしを、幸せにして欲しいの」



 心を見透かされたようなお願いは。

 つまり、急な告白だったわけで。


 あまりのことに。

 頭が真っ白になりました。


「お、俺は……」


 だからこれ以上。

 言葉を紡ぐことも出来なくなって。


 でも、返事をしなければいけないから。


 俺は、慌てて。

 小さく頷いたのですが


 その時穂咲は。

 タイミングの悪いことに。


 丁度目を閉じていたのです。


 や、やり直すのは辛い。

 どうしましょう。


 噴き出す汗を背中に感じつつ。

 俺は、再び口を開くと……。


 言葉を発するその前に。


 穂咲が、先ほどの続きを語り始めたのです。




「あたしを、幸せにするの。……道久君が、その分不幸になって」




 ………………は?




「なんでも、幸せと不幸の量は、みんなおんなじ量なんだって。だからこれからも、あたしの不幸は、道久君に押し付けるの」

「り…………」

「り?」

「理不尽だーーーーー!!!!!」


 清く、心洗われる川の音に集中していた皆さんには。

 急に届いた俺の叫び声。


 一瞬だけ、目を丸くさせたあと。

 ……さすがは家族。

 容赦なく、またいつものことかと。

 笑い出すのです。


「ええい! 何のつもりですか君は!」

「だって。面倒なことは道久君にやらせればいいルールなの」

「そんなルール、あるわけ無いのです!」


 まったくもう!

 こんなに顔を赤くさせて恥ずかしい思いをしたって言うのに!


「俺は乙女か!」

「こんなブサイクな女の子、いるわけ無いの」

「うるさいのです!」

「でも、そもそもなんでそんなルールになったんだっけ? ……神様が決めた?」


 くそう、神め!

 なんて不条理な運命を俺に押し付けた!


 ならば誰に願うのか。

 そんなことは分からない。

 分からないが。


 誰かに届け!

 我が願い!



 俺は、高校最後の夏。


 その締めくくりに相応しく。


 心からの願いを。

 空へ向けて、高々と叫んだのでした。



「俺は! しあわせになりたーーーーーい!!!」



 すると、思い出の山は。

 至る所から一斉に。


 せみ時雨で返事をしてくれたのですが。



 ……結果。

 俺の願いが。

 受け入れられたのか否か。



 今はまだ。


 知る由も無いのでした。




 ~🌹~🌹~🌹~




 秋も深まり。

 赤みを帯びたお日様が。

 その色で、山の木々の葉を染め始める季節。


 サッシから光が差し込む。

 暖かな部屋で。


 世界で一番幸せな時間が。

 静かに流れていました。


「いっしょのベビーベッドでいいんだっけ?」

「いいんじゃない? その方が楽さね」

「仲良く育ってくれるといいわねえ」

「いや! そりゃお断りさね!」

「え? なんでよ?」

「考えてもみな。この子、あんたみたいな器量よしに育つんだろ?」

「そりゃもちろん」

「こいつ、うちの旦那みたいなひょろモヤシになるんさ」

「言い方はともかく、まあ、そうでしょうね」

「そしたら、勘違いしたこいつが告白して振られるの、明白さね」


 二人の新米お母さんは。

 顔を見合わせて、同時に噴き出すと。


「なるほど! そりゃ不憫だわ!」

「わははははははは!」


 そのまま楽しそうに笑いながら。

 ベビーベッドへ視線を向けます。


「穂咲。ふる前に、たんまり貢がせなさいよ?」

「酷いね」

「悪さも面倒ごとも、全部道久君に押し付けると良いから」

「道久。そうされる前に、強引に襲っちまいな!」


 返事もできない赤子に。

 楽しそうに話しかけていた二人のお母さんでしたが。


 青いベビー服の子がもぞもぞと寝返りをうつのに合わせて。

 途端に目を丸くします。


「うー」

「うー、うー」

「あら?」

「ウソさね?」


 母親の声が。

 聞こえたのやらどうなのやら。


 ころんと横に転がった男の子は。


 女の子のほほに。


 キスをしたのです。


「……あちゃあ。あんた、どう責任とるんさね?」

「しょうがないわね。さっきの約束、果たして貰いなさいな、穂咲」

「なんのこったい?」

「散々貢いでもらって。なんでも道久君に押し付けちゃいなさい」

「困った話だよ。じゃあ、道久。あんたはせいぜい……」

「せいぜい?」

「そうさね。……毎日、メシでも作ってもらいな」


 そんな母親の言葉に。


「うー」


 赤ん坊が声を漏らすと。


「……そうするってさ」

「穂咲は、それでいいの?」

「…………うー」



 ――秋も深まり。

 赤みを帯びたお日様が。

 その色で、山の木々の葉を染め始める季節。


 サッシから光が差し込む。

 暖かな部屋で。


 二人のママが。

 おなかを抱えて大笑いすると。



 二人の赤ん坊は、同時に。



 大きな声で泣き出したのでした。




「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 23.9冊目🗼


 おしまい♪

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「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 23.9冊目🗼 如月 仁成 @hitomi_aki

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