第57話 巡る季節

 いく日か過ぎた。

 晶紀は、ほぼ毎日のように小春の様子を見に出かけた。小春が突然、姿を消してしまうのではないかと心配なのだ。

 小春は、晶紀の心配をよそに天幕の中でのんびりと生活していた。大府の人たちからの差し入れで何も困ることなく暮らしている。

 そんな、ある夜のことである。

 晶紀は、夢を見た。

 そこは、大きな川のほとりだった。流れる水は澄んでいて、川底は暗く、何も見えない。

 川沿いに歩いていると、誰かが川岸に立っているのが見えた。背は高く、黒髪を後ろで束ねている。女性のようだ。

 その女性は、川のほうをじっと見ている。

 晶紀が近づく気配に気づいたのか、その女性は晶紀のほうへ振り向いた。美しい顔立ちであった。

「こんにちは。あなた、晶紀さんね」

 女性は晶紀の名を知っていた。

「そうですが・・・ごめんなさい、どなたか思い出せなくて」

「それは当然よ。今まで会ったことがないのだから」

 晶紀は驚いて

「どうして私の名前をご存知なんですか?」

 と尋ねた。

「小春ちゃんといつもいっしょにいたからね」

 小春のことも把握しているのを知り、晶紀はますます訳がわからない。

「私は夕夏。小春ちゃんの知り合いだった者さ」

「そうですか・・・」

 夕夏という名前は聞いたことがある。しかし、どこで聞いた名前なのか思い出せない。

「あなたにお願いがあるんだ」

「お願いですか?」

「そう」

 夕夏は軽くうなずき、微笑んだ。

「どんなお願いでしょうか?」

「その前に、言っておきたいことがあるの」

「何でしょうか?」

「私はもう、あなたの住む世界にはいないということ。少し前に、死んじゃったってことをね」

「えっ?」

「小春ちゃんは、もうすぐここに来ることになる。だから、私はここで待ってるの、小春ちゃんが来るのを」

 夕夏が誰なのか、晶紀は思い出した。森神村で墓参りをしたときに聞いた名前だ。小春から、盗賊に襲われて命を落としたと教えてもらった。

 晶紀は、これは夢なんだと思った。しかし、夢にしては現実感があり過ぎる。声もはっきりと聞こえるし、どこからともなく漂ってくる爽やかな香りまで感じられた。

「晶紀さん・・・小春ちゃんが旅立つのを許してあげてほしいの」

「旅立つ?」

「そう。私達のいる黄泉の世界へね」

 晶紀には何も言い出せなかった。夕夏は、微笑みながら晶紀のほうを見ていた。その顔が、晶紀にはなんとなく寂しげに見えた。

「小春ちゃんはね、あなたのことが心配なの。自分が消えた後、あなたが後を追うようなことをしないかとね」

 夕夏が、晶紀のそばへ近づいてきた。

「だから、あなたが納得してくれるまで、小春ちゃんは旅立つことができないの」

「小春様は、どうして死に急ぐのですか? どうして、この世から去ろうとするのですか? 私にはわからない・・・」

 晶紀は、夕夏の顔を見つめたまま涙を流した。

「難しい質問ね」

 夕夏は、晶紀の頬を伝う涙を指でやさしく拭ってあげた。

「小春ちゃんが消え去る代わりに、刀は人間に戻る。それを聞いたときから、小春ちゃんは覚悟を決めていたの」

「でも、このまま生き続けることだってできるのに・・・」

「小春ちゃんが生涯を終えれば、刀は元に戻ることなく消えてしまうわ。それじゃあ、かわいそうでしょ?」

「自分から望んで刀になったんです。人間に戻らなくたって・・・」

「そのおかげで、小春ちゃんは誕生したのよ」

 夕夏の言葉に、晶紀は何かに気づいたような顔になった。

「不思議なものね。刀になると決心しなかったら、小春ちゃんは存在してなかったのよ。私や、晶紀さんに巡り合うこともね」

 晶紀は何も言わずうつむいてしまった。

「だから、小春ちゃんはすごく感謝しているの。自分を生み出してくれたことに」

 夕夏は、晶紀が口を開くのを待った。川の流れる清らかな音だけが聞こえてくる。

「私は、また小春様に会えますか?」

 晶紀は、夕夏にそう尋ねた。

「必ず会えるわ。いつかきっと・・・」

 夕夏の姿が、周りの景色が消え去っていき、夕夏の声だけが聞こえる。

 晶紀は、目を覚ました。

 窓から陽射しが差し込み、晶紀の顔を照らしていた。

 晶紀は、何かに気づいたように飛び起きた。居ても立ってもいられず、外へと走り出した。


 北門をくぐり、小春のいる天幕へと向かった。しかし、そこに小春の姿はなかった。

 晶紀は、北東の山へと駆け出した。

 朝の小道を、晶紀は走り続けた。息苦しさも苦にならなかった。小春が、山の頂上で自分のことを待っていると思えてならなかったのだ。

 今まで、これだけ走り続けたことなどなかっただろう。ようやく、山の麓へとたどり着いた。

 息を整えるため、晶紀は石段の前でしばらく立ち止まった。山の頂上を見上げ、そこに小春がいることを確信した。

 一歩ずつ、晶紀は石段を上っていった。石段を上る度に、小春との別れの時が近づくのを感じた。

 冷たい風が山頂から流れてきて、今まで走ってきたせいで熱くなった身体が徐々に冷やされていく。

 ついに、晶紀は山頂へたどり着いた。小春の背中が晶紀の目に映った。

「小春様・・・」

 晶紀の声を聞いて、小春は振り向いた。

「晶紀さん、来てくれたんだね」

「とうとう、行ってしまわれるのですね」

「夢の中で、夕夏さんに会ってね。晶紀さんのことはもう心配ないからと言われたんだ。だから・・・」

 寂しそうな顔をする小春に、晶紀は笑顔を見せた。

「私はもう悲しんだりはしません。いつかまた会えるんですから」

 晶紀の言葉を聞いて、小春も笑みを浮かべながら晶紀のほうへと近づいていった。

 晶紀の目の前まで来ると、小春は頭に挿していたかんざしを抜いて晶紀に見せた。

「このかんざしをあげるよ」

 小春のきれいな黒髪が朝の陽射しにきらめく。すでにこの世の者とは思えないような美しさに晶紀は少し驚いた。

「ありがとうございます、小春様」

 晶紀はかんざしを受け取ると、小春に抱きついた。

 小春は、晶紀の背中をやさしく叩きながら

「晶紀さんの人生はこれからだよ。きっと、幸せな未来が待っている」

 と話しかけた。

 長い間、二人は離れようとしなかった。何も語らず、ただ抱き合っていた。

 やがて、小春が晶紀の肩に手を添えて、そっと身体を離した。

 そして、刀のほうへ目を向け、近づいていった。

 刀の前でしゃがみ込み、目を閉じてゆっくりと息を吸う。目を開けて刀へ視線を落とすと、自分の真の名前を刀に伝えた。

 小春が立ち上がると同時に、周りを金色の光が取り囲んだ。

 晶紀の顔を見て小春が笑った。今まで見せたことのない、あどけない子供のような笑顔だった。それを見て、晶紀も笑顔を送った。

 光がだんだんと強くなっていく。小春の姿が光にかき消されて見えなくなっていった。

 その光があっという間に消え去ると、その場所には小春が着ていた着物しか落ちていなかった。

 晶紀は、その瞬間、泣き崩れた。地面に座り込み、顔に手を当てて涙を流すことしかできなかった。


 刀が突然、光りだした。

 その光は徐々に人の形へと変化していく。

 光が失われ、あとには一人の裸の女性が横たわっていた。

 その女性は立ち上がり、晶紀のそばへ近づいていった。

「晶紀さん、ごめんなさい。辛い思いをさせてしまって」

 女性は晶紀に話しかけた。晶紀は、涙を拭いながら

「大丈夫です。心配しないで」

 と言って、女性の顔を見た。

 長い黒髪に白い肌が際立って見える。美しい顔に、銀色の瞳が印象的な女性だった。

「私は椿と申します。小春さんや晶紀さんのことは、ずっと拝見しておりました。お二人には、感謝の言葉もありません」

「私は特に何もしてはおりませんわ。すべて小春様のおかげです」

「小春さんにも、直接お礼がしたかったのですが、それができず残念です」

 椿はそう言って目を伏せた。

 晶紀は、椿が裸体のままであることに気づき

「着物が必要ですわね。小春様の服をお借りしましょう」

 と言って、小春が最後にいた場所まで慌てて駆け出した。

 小春の着物を手に取ると、それはまだ暖かかった。晶紀は、手に取った着物をじっと眺めた。

 小春の着物が涙で霞んでいく。目からこぼれた涙が着物の上に落ちた。

 その様子を椿は、黙って見ているしかなかった。


 こうして鬼は滅び、刀は元の姿へ戻ることができた。

 椿は、しばらく大府に滞在した後、小春が着ていた形見の着物を手に白魂へと旅立った。

 剣生の墓のそばに小春の墓を作るためである。

 小春が消え去ったことは、大府の人々にも伝えられた。多くの者が、小春がいなくなったことを悲しんだ。

 民衆の強い希望に押され、年寄衆は大府に結界を張ることをやめると宣言した。

 大府には、妖怪も入ることができるようになったわけである。

 やがて、以前と同じにぎわいを取り戻した大府で、晶紀は新しい生活を送っていた。

 そして、桜の季節がやって来た。

 桜雪と晶紀は、夫婦になった。

 二人は、北東の山へと向かった。小春に、夫婦となったことを報告するためである。

「桜が満開ですね。すごく綺麗」

 晶紀が、道沿いに並んだ満開の桜を見ながら桜雪に話しかけた。

「いつ見ても見事なものだな。このままずっと見られればいいのだが、すぐに散ってしまうのが残念だ」

「でも、儚いからこそ美しく感じるのかも知れませんわ」

「そうかもしれんな」

 桜の花びらが舞う中を、二人は仲睦まじく進んでいく。

 山の石段は以前と変わりなく、頂上へと続いている。

「ここに来たのは、小春様とお別れして以来、初めてですわ」

 晶紀は、桜雪に促されたこの日まで、山を登ることができなかった。

 一歩ずつ、二人は石段を上っていった。

 山頂に到着した二人は思わず声を上げた。

 広場の周囲には満開の桜が並んでいた。

 そして広場全体に、シロツメクサの白い花が咲き誇っていた。

「いつの間に、こんなに花が咲くようになったのかしら」

 晶紀が笑顔で叫んだ。

「これも小春殿のおかげなのかもしれんな」

 その言葉に、晶紀は桜雪のほうへ顔を向けた。

「きっと、そうに違いありませんわ」

 風に舞った桜の花びらが、青い空の下で雪のように落ちてくる。

 二人は、その景色をずっと眺めていた。

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鬼退治 @tadah_fussy

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