第14話 敵地へ

トモエからの指令を受け、優斗は今回のパートナーとなるカワードと計画の打合せを行った。そして、それが済むとクラウスと共に領地であるオリエンへとすぐに舞い戻っていた。


「大変な命令です」


 話を聞いたセシリアは、不安そうな顔を隠していなかった。

 一応の外交関係はあるが、ほぼ敵地のようなものであるエスぺランドの領内に侵入しなければならないのだから、それは当然のことではあった。

 魔族がエスぺランドの領内に入ること自体は魔国の者でも出来る。だが今回は秘密の任務なのだから、フレイスフェン家の立場で入国する事はできない。


「もしユウト様の正体が露見したら、どのような事態になるか……。お命すら危険です」


 そう言って、セシリアは今度はクラウスに非難の声を上げた。


「ユウト様は魔王陛下に次ぐ地位のお方です。そのような方を敵地も同然のエスぺランドに潜入させるなど無謀過ぎます。陛下の命令とは言え、あまりにも酷い任務です。父上、何とかならないのですか?」


 優斗は、トモエへの批判ともとれる言葉を発し始めたセシリアを見かねて声を掛けた。


「落ち着け。エスぺランドに潜入するといっても、そんなに難しい話じゃない」


 そうして、優斗はセシリアに説明した。

 優斗が潜入する事になるのはエスぺランド王国のモーリス家の領地だった。モーリス家の領地はエスぺランドの西の端。つまりはフレイスフェン家の領地に隣接している。

 モーリス家はもちろんエスぺランド王国の人間の貴族だが、実は裏では魔国、トモエとカワードのヴァルムス家と裏で繋がっており、今回の件での協力を要請したのだという。


「つまり、フレイスフェン家のすぐ隣のモーリス家の領地に、正式なモーリス家の通行許可証を持って入れるという事だ。これで安全にセラ王女が出した、魔王候補がエスぺランドの領内まで迎えにいくという条件を満たす事になる」


 セラ王女の希望に沿いながら、エスぺランドでの安全も確保できるという事だった。

 優斗はわざと笑みを作ってセシリアにそう伝えたが、セシリアの表情は晴れなかった。


「ユウト様、計画の詳細をお聞かせ願えますか?」


そんなセシリアの質問に答える形で、優斗は詳しい計画の説明を行うことにした。 

王都でカワード、そしてクラウスと相談した計画はこうだった。

 モーリス家の領地に入るのは商人に扮した優斗と、護衛のロブをはじめとした十人の人間の騎士、そしてカワードだ。だが、基本的にカワードはモーリス家との取次ぎを行うだけで、実際に行動するのは優斗と人間の騎士のみとなるわけだ。モーリス家の領内でも目立たないことを第一にしての事だった。

 セラ王女と合流する場所は、モーリス家の領地のほぼ北端にある村と決まっていた。セラ王女が無事にモーリス家の領地まで来れるようには、カワードが手配する役目だった。

 その話を聞いて、セシリアの表情はますます険しくなった。


「ではエスぺランドの領内に潜入されるのは、父上を伴わず、ユウト様だけになるという事でしょうか?」

「確かに潜入するのは俺だけになるけど、言ったようにモーリス家はこちらの味方のようなものらしい。何も危険はないよ」


 わざと楽観して答えた優斗に、セシリア首を横に振った後に言った。


「そのような言葉で納得できるほど、私は愚かではありません。失礼ですが、ユウト様は認識が甘すぎるかと」


 セシリアの顔には怒りの感情が露わになっていた。

 セシリアを心配させまいと、優斗はわざと楽観的な事をいった。だが、それを見透かされたようにセシリアからは辛らつな言葉が投げかけられ、優斗は少しムッとした。


「これ、無礼であろう」


 すかさず、クラウスがそう言って窘めるがセシリアは止まらなかった。


「無礼などではありません。夫の身を案じるのは当然の事です」

「少し図々しいだろ」


 セシリアの物言いを図々しく感じてしまった優斗は、思わずそんな言葉を口にしてしまっていた。


「俺だって、何も考えないで引き受けたわけじゃない。危険性だって十分検討したさ」


 そもそも、セシリアは自分が望んでこの任務を受けたとでも思っているのだろうか。


「これは陛下からの命令なんだ。断れるわけないだろ」

「断るというわけではありません。もっと安全性を高めるように検討できないでしょうか。何とか、父上もユウト様と一緒に行動できないでしょうか」

「俺だけだと心配だろうが、今更計画を変えるわけにはいかないだろ」


 セシリアの言う事は正論だが、今回は時間的な余裕もない。それに、カワードの計画の背後にはトモエの姿も見え隠れしている。

 その後も、セシリアは中々納得はしなかった。結局は、業を煮やしたクラウスが叱りつけるような形になった。

 納得はしていないセシリアはむくれたように自室へと引き上げてしまった。


「あんなセシリアは初めてです」

 

 優斗はそう呟く。


「まあ……私は父親ですから何度も目にしたことはありますが、大変珍しくはあります。殿下の事を心配しての事ですので、どうか大目に見てやって下さい」

「ええ、そうですね。ただ、まだ俺が信頼はされていないという事なのでしょう」

「いえいえ、決してそういうわけでは……」


 セシリアは、優斗がクラウスを伴わずに任務に就くことを一番心配しているのだと思わざるを得なかった。

 実際、優斗もこの任務をそんなに楽観しているつもりはなかった。裏では繋がっているとはいえ、エスぺランドに身分を偽って潜入する事には違いないのだから。

 さらに、これがカワードとの共同作戦だという事も不安の一因だった。

 優斗はカワードにあまりいい感情は持っていない。それはカワードも一緒だろう。最悪、これ幸いとカワードが何かの嫌がらせ、罠を優斗に仕掛けてくる可能性もないとは言えなかった。

 クラウスも、それを感じているようではあった。


「今回は陛下の命令ですので、個人的な感情で罠を仕掛けてくるような事はないとは思いますが、用心に越したことはありません。とりあえずは、計画をもっと詰めましょう。ただし――」

「ただし?」

「明日、頭の冷えた娘も交えての方が良いでしょう。何はともあれ、娘の事務能力は必要になりますので」

 

 クラウスは、少しばつが悪そうな表情でそう言った。




 それから数日、時間の許す限り優斗達はこの任務を果たすための準備に没頭した。

 優斗とクラウス、そしてセシリアは何度も協議して細かく計画を決めていった。

 セシリアも、あの日以来この件に反対するようなことは一言も言わなかった。クラウスが裏で説得したのだろうと優斗は考えた。だが、協議をするセシリアの態度はいつもと違ってしまっていた。



「そう言えば殿下……」


 ついに出発する前日となったとき、護衛のロブが聞きにくそうな様子で言葉を掛けてきた。


「……お嬢様とは仲直りはされましたか?」


 この言葉で、優斗は動きを止めた。ロブの言うお嬢様とは、もちろんセシリアの事だ。


「なんのことだ?」


 と優斗はとぼける。仲直りをするという事は、仲違いをする事が前提だ。ロブは、数日前に優斗がセシリアとこの計画をめぐって揉めた事を言っているのだ。

 

(別に喧嘩したってわけじゃないけどな……)


 優斗は心の中ではそう思ったが、現実問題としてあの日依頼優斗とセシリアは事務的な最低限の会話しか交わしていない。優斗自身も、何となくバツの悪さのような物を感じていた。


「まったく、どこから聞いたんだ?」


 優斗は困ったようにロブに尋ねる。


「恐れながら、奉公をする者には耳が良い者もいますので。皆、口が固い事は間違いないのですが」


 ロブはそんな曖昧な事を言うだけに留めた。だが、事の顛末をロブは既に知っているようなので優斗は観念した。


「別に喧嘩したってわけじゃない。ちょっと意見がぶつかったというか違ったと言うか……」

「それでも、お嬢様とはぎくしゃくされているのではないですか?」

「……ホントに誰から聞いたんだ」


 ロブはまた答えず、小さく笑うだけだった。


「明日にはエスぺランドに出発です。しばらくはお嬢様にも会えません」


 そこまでの言葉を聞いて、ロブが言わんとしている事を優斗は理解した。


「わかったよ……」


 今夜にでも、何とかセシリアに声を掛けてみるかと優斗は思った。

 

「ところで、護衛の人選は終わったか?」


 頭を切り替え、優斗はロブにそう尋ねる。


「はい。手練れの騎士を、自分も入れて10人揃えています。一人は魔法が使える者にしました。これである程度の事態には対処できるかと」


 正直、このあたりの事は優斗には分からなかった。ロブを信頼するしかない。


「任せる。頼りにしてるよ」

「あくまで万が一の準備です。そのような事態は絶対に避けねばなりません」


 ロブは神妙な顔でそう言う。


「分かってる。でも魔法か……」


 実際、戦いの際には魔法をどのように使うのだろう。興味が湧いた優斗はロブに尋ねた。


「その魔法が使える騎士に会えるか?」




 ロブによって紹介された騎士は、優斗と同じ年くらいの若い騎士だった。


「こちらが護衛の一人、フィル・ハインツです」


 その騎士、フィルは優斗に跪いた。


「ハ、ハインツ家のフィルでございます」


 緊張した声で、フィルはそう言った。そんなフィルにロブが告げる。


「フィル、急に呼び出してすまない。殿下が、お前の魔法を見たいと仰られている」

「はっ、はい」


 ロブに言われて、フィルはテキパキと恐らく弓の訓練の標的とされている、藁で作られた人形を準備した。

 そうして優斗も含めた三人は人形から距離をとると、フィルは何やら呪文を唱える。すると、人形に突き出したフィルの右手から赤い光が発せられた。途端に、赤い火の玉が人形に向かって飛んでいった。そして、その火の玉が命中した人形は大きな音をあげ、爆発四散してしまった。


「い、如何でございますか?」


 まだ緊張した様子で、フィルは優斗に問いかけた。

 そんなフィルを尻目に、優斗は四散した藁人形の残骸を、それの燃える匂いと共に眺めていた。


「す、すごいな……」


 優斗は自然と呟いていた。今まで何度も魔法自体を目にした事はあったが、こうして魔法による「破壊」を目にしたのは初めてだった。


「いや、これはすごい。実に頼もしい」

「あっ、ありがとうございます!」


 フィルは嬉しそうにそう答える。 

 優斗の言葉は本心からのものだった。こうして、離れた距離の対象ですら魔法ならば簡単に破壊する事が出来るとわかったのだから。


「本当にすごいな、魔法は……」


 優斗は今度はロブに対してそう言ったが、ロブは顎に手を当て、少し何かを考えるような仕草をしていた。


「そうですね……。殿下には、魔法の威力を正しく認識して頂く必要があるようですね」


 そう言って、ロブはフィルに再び指示する。すると、フィルは再び藁の人形を持ってきた。だが今度の人形は、古びてはいるが金属の甲冑を着ていた。

 優斗が不思議に思っていると、フィルは先ほどと同じように、その人形に向けて魔法を放った。だが、結果は先ほどとは少し違っていた。

 フィルの放った魔法は、確かに人形に命中した。だが、その魔法は甲冑に阻まれてしまい、人形はわずかに焦げただけだった。


「フィルの魔法技術は、我が騎士団でも上位のものです。しかし、甲冑に対してはこの程度の効果しか見込めません」

「なるほど。実際の戦闘になると、甲冑を着た相手を魔法だけで倒すことは難しいというわけか」


 ロブの意図を理解した優斗は、原形を保ったままの人形を見ながらそう言った。


「そうです。甲冑を着込んだ相手を倒すには、甲冑を貫く攻撃をするか、甲冑の隙間を狙うしかないかと」


 そう言ってロブは、自分の腰にある剣の柄をトントンと手で叩いてアピールした。


「ですが、魔法の利点は汎用性の高さです。なあ、フィル?」

「は、はい。魔法の用途は攻撃だけではありません。きっと、殿下のお役に立って見せます」

 

 戦闘目的だけでフィルを連れていくわけでないないようだった。そもそも、エスぺランド領内で戦闘になるという事は最悪の事態なのだから、避けるに越したことはない。


「ふふっ、頼りにしてる」


 優斗がまだ幼さの残るフィルにそう言った時だった、優斗たちに声を掛けてきた人物がいた。


「ユウト様。このような所に居られたのですね」


 それはセシリアだった。ロブの父親である、ヴァイス・ホランドと一緒である。


「セシリアか……」


 数日前から、セシリアと優斗は少しぎくしゃくしたものとなっており、なん答えるか少し戸惑っていた。

 ヴァイスがロブに尋ねる。


「お前も一緒であったか」

「はい、父上。殿下がフィルの魔法をご覧になりたいとの事でしたので」


 その言葉を聞いて、セシリアはあたりの様子を見渡した。そして、的とされている人形を見つけたようだった。


「魔法、ですか。ユウト様は敵地で魔法の力を借りるお考えですか?」

「いや、これは――」


 言いかけた優斗を代弁するように、ロブがセシリアに答える。


「僭越ながら、万が一の事態に備えての私の考えでございます。殿下はフィルの力量をお確かめになられました」

「……そうですか」


 ロブの言葉は、まるで優斗とセシリアの間を取り持つような配慮があるようだった。

 セシリアは視線を優斗に向けた。


「ユウト様、お迎えに上がりました。明日の出立に備えての最後の準備がございます」


(最後の準備?)


 優斗は何の事だろうと思ったが、素直に


「分かった」


 とだけ伝えた。


「ではこれで。ロブは準備を進めておいてくれ」


 優斗はロブとフィルに伝え、次にヴァイスに言った。


「明日からはご子息の力を借ります」

「重大な任を息子に与えて下さり、感謝します。務めを果たすよう、息子にも申しつけておきます」

「よろしく頼む」



 ロブ達と別れたあと、屋敷へと戻った優斗は自室の鏡の前に座らされていた。


「準備ってなんだ?」

「ユウト様の、明日からのお召し物についてです」


 そう言って、セシリアは手にしたものを見せた。


「これは……?」

「眼帯です。殿下の右眼を隠すのに必要です」


 魔王候補の証である赤い眼は絶対に隠す必要がある。考えてみれば、確かに必需品だ。


「まずはこちらを」


 そう言って、優斗の後ろに回ったセシリアは優斗の右眼に眼帯をつけた。

 セシリアが付けたのは、黒色の丸い眼帯だ。鏡に映ったその自分の姿を見て、優斗は思わずくすりと笑った。


「海賊だな。黒ひげとかの」

「黒ひげ、ですか?」


 当然、セシリアは意味がわからずにきょとんとしていた。


「何だか間抜けに見えないか?」

「そう言われると、なんだか可愛らしく見えますね」


 そう言ってセシリアも少し笑った。


「お気に召さないようですね。こちらは如何でしょうか?」


 セシリアはそっと優斗の顔から眼帯を外す。そして、また違う眼帯をつける。セシリアの柔らかな指先がそっと優斗の顔に触れ、優斗はどきりと心臓が高鳴った。


「先日は、すみませんでした。少し言葉が過ぎました」

 

 ふと、セシリアはぽつりとそう呟いた。


「いや、違う……」


 咄嗟に、優斗は声を出していた。


「言い過ぎなんかじゃない。セシリアは心配をしてくれていたのに、俺はちょっとムキになってた。俺から謝らなきゃと思ってた。結局は、セシリアに先に言わせてしまった」

「そんな……」

「いや、俺の方こそ悪かった」


 そのやり取りの後、幾つ目かの眼帯で優斗はセシリアの手を掴んだ。


「これがいいな」

 

 それは、少し色褪せたような赤茶色の布だった。それを、頭に巻き右眼を隠すだけのものだ。


「こちらですか? 身分を偽るためとはいえ、少し見すぼらしすぎませんか? それに、まるで怪我人のようにも見えますが」

「いいや、これでいいよ。明日からしばらくは、隻眼の商人だ」

「……ではこれで」


 優斗はセシリアの手を掴んだまま、鏡の自分の姿を眺めた。そこには、この世界に来る前の姿の優斗がいる。

 この世界に来た証である赤い眼は隠されている。

 優斗は、かつての自分を見る事が出来たような気がしていた。

 

「赤い眼がない昔の自分の姿で、なんだか落ち着くよ」

「そうなのですね……。確かに、今のお姿だと本当に人間のようですね」

「ふふっ。幻滅したか?」

「まさか。赤い眼ではないユウト様も素敵ですよ」


 そう言われて、優斗は自分の顔が赤くなるのを感じた。

 ふと、セシリアの手を握っている優斗の手に、もう一つのセシリアの手が重ねられた。


「ユウト様、どうか……どうかお気をつけて。これは危険な任務です。普段の父だったら、何とか理由をつけて断るはずなのです。しかし今は、父も燈火ともしびの儀式の事を考えているのでしょう」


 燈火ともしびの儀式。いわば、魔王候補の国民へのお披露目の儀式だ。


「父は、それまでにユウト様に魔王候補として何らかの実績が欲しいのです。どうか、向こうでは慎重に……」


 セシリアの手に力が込められた。


「分かってるよ……」

 

 優斗は小さな声でそう答えた。

 トモエ、クラウス、カワード。薄々は感じていたが、様々な人間の思惑が今回の件には絡み合っている事を認識させられた。

 エスぺランドへの出発は、明日の早朝だ。

 

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魔王の理論 カネサダ @kanesada28

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