ゼロの授業の訪問者
しましま
単位を脅かす訪問者との戦い
コツコツと、黒板にチョークを走らせる音が鳴る。
白い髭を生やした老人は、淡々と授業を進めていた。
「ーーお願いだ! なにとぞっ、なにとぞっ!!」
「……」
この世にはランクと序列がある。
強さを表すランクと、他人との強さをランキングにして表した序列だ。
俺の名はディスティー・レンフォード。
至って普通の……とはとても言い難い学生だ。
俺は世界中で誰よりも強い。
攻撃力も魔力も、その他すべてのランクがSSS。
序列も、一位より上のゼロ。
数多ある世界を巡るうちに、俺は世界最強となっていた。
「ーーレン殿、我が世界をお救いくださいっ!!」
「……」
最強である俺は、最強であったからこそ俺は、普通を望んだ。
ランクにも序列にも縛られない普通の人間としての生活。このアルストリアのカストル魔法学園で、普通に授業を受け、普通に卒業すること。
それが今の目標…………なのにーー。
「ーーレン殿! レン殿! レンフォード殿っ!!」
「…………」
今日もまた、俺の大切な授業には訪問者が来ている。
「うぉっほん、レンフォード君? そろそろ何とかしてくれないかね?」
いつもと同じ、白髭の老人は俺に促す。
最強であるが故に、俺は有名人だ。
数多の世界から、この強さを求める者が訪問する。
「爺さん、どうか授業を進めてくれ」
手を挙げて催促する俺に、担任であり、国語担当の爺さんは髭を触りながら言う。
「爺さんはよしなされ。それに……それでは授業に集中できなかろう?」
白のチョークを俺に向け、見えているのかも分からないほどに細い目でそれを見る。
「ーーこんなに頼んでもダメか? お願いだ! この通り!」
「…………」
爺さんは、白と赤の騎士服をまとった男が、俺の腕にひたすら絡みついている様子をまじまじと見つめていた。
そしていつも通り、あの言葉が口から発せられる。
「……これでは君の単位をーー」
君の単位を落とすしかない。
そう続いただろう言葉を遮って、バコンと席を立つ音が教室に響いた。
窓から強く風が吹き込み、カーテンがひらひらと舞う。
俺は無言で男の胸ぐらを掴んでこう言った。
「ーー俺の成績を……どうしてくれんだあぁぁぁ!!!」
晴れ晴れとした空は暗くなり、吹き込む風は台風のように変わる。雷が雨のように降り注ぐ窓の外の光景も、今となっては日常だった。
「ーー俺の前に、二度と現れるなっ!!」
瞳をカッと見開けば、男は闇に包まれる。
そのまま異世界の彼方へと、男は闇の粒となって消えていった。
「ーーそれでは授業を再開する」
コツコツとチョークが黒板を走り、俺は席に座る。
他の生徒たちは特に気にすることもなく、黒板の文字をノートに写していた。
これが俺の日常だ。
授業中に現れる、単位を脅かす訪問者との戦い。
どうやら卒業までの道のりは、最強になるよりも険しいようだ。
そんな風にして過ごす日々ももう三ヶ月。
キンコンとチャイムが鳴り、今日もまた授業が始まった。
教壇に立つ白髭の爺さんは、「授業を始める」と一言だけ言って、コツコツとチョークを走らせる。
国の言葉など今更学んだところでどうなるのやら、なんて思いながらも、単位のため、俺はせっせと黒板を写していった。
時計の針は刻一刻と、進んで欲しいようには進んでくれず、耐え難い苦痛の時間はゆっくりと流れていった。
そろそろ……だな……。
体内時計はすでに完成していた。
毎秒正確に進み、ある一定の時間になると警告音を鳴らす。
今日もまた、誰かが来ようとしている。
あと少しで何かが来る……。
それまでには黒板を写し切らねば。
この爺さんの授業はノートが全てなのである。
それもそのはず、魔法で誰とも会話できる世界には、もはや国語の存在する意味がほとんどないのである。
どこぞの世界とは違い、物語の本も少なく、授業で取り上げるのは魔法陣に使う文字の意味や成り立ちなど、魔法文字に関する事がほとんどだった。
「……ええー、この文字は汎用性の高い文字だから、色ペンで書くように」
爺さんは生徒の方を一切見向きもせず、淡々と文字を書いてみせる。
黒板の右の方には大きな魔法陣。左側には魔法陣に使った魔法文字とその意味が羅列されていた。
国語とはいったい……?
そんなことを考えているうちに、時は満ちる。
ああ、結局今日も……。
突然教壇の前に大きく展開された魔法陣は、煌々と輝いて強い魔力を放出していた。
風を呼び、生徒たちの視線を集める。が、もういつもの事だ。チラ見をする者がほとんどで、みんな黒板を写すのに必死だった。
やがて魔法陣から現れたのは、ツノを生やした男、魔界に住まう黒魔族。いかにも挑戦的な目つきで、一段高い教壇のところから俺を見つめる。
「……はぁ…………またこれかのう……」
そのすぐ後ろでは、爺さんがため息をつきながらもチョークを持つ手を動かしていた。
それは俺が言いたいのだが……。
俺は極力その黒魔族を無視してノートを取るのに集中した。
しかし、そいつも俺に用があって来たのだから放っておいてくれる、なんて事はなかった。
「おい貴様、ゼロのレンフォードだな?」
男は俺の目の前まで来ると、剣を抜いて俺の首元に当てた。
「俺は誇り高き黒魔族のシュビルスだ。さあ、剣を取れ、ゼロのレンフォード! 貴様には俺と戦ってもらうぞ!!」
俺よりも若干身長が高いのがムカつく黒魔族のシュビルスは、俺の目の前に堂々と立ち、そのデカイ身体で黒板を写す邪魔をする。
「…………レンフォード君……分かっているかね……?」
ポキンッとチョークが折れる音の後に、爺さんの声が聞こえる。
俺はおもむろに立ち上がると、右手に剣を召喚してシュビルスに突きつける。
剣と剣を突きつけ合う、いつもとは少しだけ違った様子に、他の生徒たちはノートを取る手を休めて俺とレンフォードに注目する。
爺さんも、またため息をひとつ吐くと、振り返って俺たちの様子をまじまじと見つめていた。
チク、チクと時を刻む時計の針。
俺は知っている。
制限時間は三分だ。
あの爺さんの目が開かれた時、俺の単位は消えてしまう。
シュビルスを睨み、俺もまた睨まれる。
互いに剣をかざして刃を交じらせると、一歩ずつ下がった。
「いざ、尋常にーー」
「ーー勝負!!」
一瞬のうちに剣が交わった回数はおよそ一○○回。
目にも止まらぬスピードで繰り広げられる剣戦を、教室中の誰もが固唾を飲んで見守っていた。
タイムリミットは……あと一分!!
「ふっ、ゼロのレンフォードと言えど、俺の剣の早さにはついてこれまい」
高らかと笑いながら言うシュビルスだが、はっきり言ってしまえばクソ弱い。
こいつには見えていないのだろうか?
爺さんがチョークを止めている隙に、剣と剣が離れる一瞬の間に、俺がノートを書き進めている事が!!
「フハハ、いいぞ、いいぞ!!」
どんどん手が進む。これなら、もうすぐに書き終わる。
もう全てを書き写し終える、そう思った瞬間だった。
「ーーグハァッ…………なっ……なに……が……」
口から少量の血を吐き、シュビルスが倒れたのだった。
目の前には、チョークと名簿を持った爺さんが立っている。その目は確かに開かれていた。
「……時間切れじゃな、レンフォード君」
爺さんは一瞬のうちにシュビルスの背後にまわり、手に持ったチョークでシュビルスの首に一撃をかましたのだろう。ノートに目を向けていた一瞬にこれほどの事をするとは、この爺さんも恐るべき人物だ。
チョークの先が少し潰れている。倒れたシュビルスの首には白い粉が付いていた。
そうか……俺は、俺の……単位は…………。
「レンフォード、バツ……と」
スッと名簿に線を引いて、爺さんは黒板へと戻っていった。
俺はその場に膝をつき、頭を抱える。
また一つ、俺は単位を落としてしまったのか……。
机の上に目をやると、もう一つ、悲劇が目に入る。
ノートも…………書き直し……だと……?
そこには、シュビルスの吐いた血で赤く染まってしまったノートがあった。
単位を落としたどころかノートまで書き直しとは……。
この学校の単位の基準は、週に五回の授業と、先生の課題クリアで一単位。だから単位を落とすというのは、数回の授業を無駄にしたという事だ。そして、進級するためには全体の八割の単位が必要だ。ここに来てから単位を落とすのは、国語の授業だけでもう四度目。これ以上繰り返すわけにはいかないのだ。
だが毎日訪問者が来るのも事実。
俺は、本当に卒業できるのだろうか?
毎日のように頭をよぎる疑問を今日は一段と強く感じながら、俺はせっせとノートを書き直すのだった。
ゼロの授業の訪問者 しましま @hawk_tana
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