終章

終章  優梨

 春なお浅く、朝夕はまだまだ冷え込みが厳しい季節。三月九日も風が強くコートが手放せないほどである。

 大学受験という熱闘も、高校の卒業式も終えたが、まだ安心はできていない。優梨たちの大学の合格発表がまだなのだ。


 一方の陽花や風岡は既に合格発表を終えている。

 陽花は今年の夏ごろまで名古屋の医学部を目指していた。N大学あるいはN市立大学で考えていたが、知力甲子園を終えたあたりから急遽志望校を変えた。

「優梨、ずるい! じゃあ、私も東京行こうかな」

「ええっ? じゃあ風岡くんはどうするの?」

ひさし? もちろん道連れにするよ! 一人にすると堕落しそうだし」

 陽花は簡単に言う。風岡にも意志があるだろうに、と少しびんに思った。

 そんな彼らは、東京の名門私立大学への合格を一足早く決めることになる。二人で猛勉強し、陽花は地元名古屋のN大学医学部よりも難しいとされる私立K大学医学部、風岡は私立W大学の教育学部への現役合格が二月中に確定した。


 かくいう優梨も志望校を変えた。学校の先生からも予備校の講師からも、もっと高いところを狙っても良いのではないか、と勧められた。

 知力甲子園での活躍も重なり、優梨の意図しないところで『美人女子高生ブレイン』という異名までついてしまった。成績も知力甲子園の勉強がかてとなり、多少苦手意識のあった文系科目についても、概ね満点を叩き出せるくらいまでにはなっていた。

「医学部なら、東大理三はどうだ?」

 理科三類、通称『理三』。偏差値は75を超えるという言わずと知れた最難関大学の最難関学部。理三は主に医師を志す生徒が通う。

 無論、国公立なので、前期日程と後期日程の二回しかチャンスがない。一部の薬学部など中期日程を有するところもあるが、医学部には該当がない。よって志望校選びには慎重を要するところだが、皆、優梨なら狙えると背中を押してくれたた。

 恋人の影浦も、東京大学を受けさせたい。それくらいの実力を持っている。予備校に通っていない影浦は、猛勉強に猛勉強を重ねた。もともと勉強が好きな男だが、アルバイトのシフトも減らし、一日十五時間くらいは机に向かった。大学進学という新たな選択肢ができて、水を得た魚のようになった。彼は文系だ。「文科一類狙ってみようかな?」本人からそんな言葉が出たのが十二月初旬だった。赤本を提供したのが功を奏したようだ。

 大病を患うことなく、センター試験、前期日程を迎えられたのは幸運だった。節約志向の影浦は、インフルエンザ予防接種に後ろ向きだったが、無理やり受けさせた。冬に大学受験を実施する日本では、接種は必須である。


 試験は確かな手ごたえを感じている。影浦は、「どうだろう。分からないよ」と言いながらも落ち込んでいる様子はない。それよりも、受験料、旅費、宿泊費は影浦にとって痛い出費だったようで、「前期終わったらアルバイトしまくる」と言っていた。しかし、不合格だった場合、後期日程もあるのだから、できれば勘弁してほしいところだ。しかし、今日もアルバイトをしているそうだ。

 

 そんなことを考えていると、優梨にさらなる吉報が舞い込んできた。

『おかげさまで、N大学医学部の合格が決まりました』

 日比野からだった。N大学は東京大学より一日合格発表が早い。最初、日比野は優梨の合格発表の前に報告することを躊躇っていたが、嬉しい知らせは早く教えてとお願いしていたのだ。日比野はまず不合格はないだろうと安心してたとおりの結果だった。

『おめでとう!』とLINEスタンプを送って喜んでいると、おまけの報告があった。

『桃原千里さんと同級生になります』

 何ちゃっかり、仲良くやってるんだよ、と心の中で突っ込み、カップルで同級生になることが決まった日比野らを、羨ましく思った。


 さて、残るは自分たちの番だ。皆に続きたい。

 いくら試験で手応えを感じたとしても、試験発表前日の夜は興奮が入り交じって寝付けなかった。


 実は、合格発表は影浦と新幹線に乗って構内で確認することに決めていた。りんしょくの影浦は当然のごとく、「インターネットで確認できるから、それでいいじゃん」と口をとがらせたが、そんな抗弁を優梨は受け入れられない。たまには優梨のわがままを通させてもらう。交通費がどうのこうのとか言うなら私が払う。払われるのが嫌なら出世払いすればいい、と言い放って、強引に連れて行った。

 新幹線は受験以来でまったく久しぶりではないが、静岡県を通過中の富士山の景色は格別だった。久しぶりに水入らずのデートも悪くないな、と思いながら外を眺めていると、スマートフォンが震えた。

 邪魔されたような気分がして、心の中で少し悪態をついたが、LINEの相手は白石だった。

『今日は東大の合格発表だよね。合格を祈念しております』

 白石には、実はくだんの法案が可決してからも、ちょくちょくLINEが来ていた。知力甲子園ではあれだけ敵愾心を見せておきながら、一度謝罪してからはずいぶん社交的なことに、こうやってメッセージが届く。調子が良いのか悪いのか分からないが、東大を影浦と二人で目指すことは伝えていた。白石は前期試験のときに応援メッセージをもらって以来なので、少し久しぶりのLINEだった。

『白石さんは、MITだよね。健闘を祈ります』

 MエムIアイTティー、すなわちマサチューセッツ工科大学を目指しているのだそうだ。アメリカなので入学は九月である。よって、彼女が桜咲くのはまだ先の話だが、頑張って欲しい。一時期は極限まで憎んだが、いまは反省し、署名運動では大きな推進力となった彼女を、もう憎むことはできない。


 のぞみ新幹線は、あっという間に東京駅に着いた。東京メトロまるうち線で本郷ほんごうさんちょう駅まで行き、赤門あかもんを目指した。


 掲示エリアはやす講堂前の芝生広場から正門へと続く道。凄まじい受験生の数でごった返している。

「まずは優梨のを見よう」

 離ればなれにならないように、二人はぎゅっと手を繋ぐ。理科三類は安田講堂側に掲示されている。

「『A600...』……、あった! あったあった! 優梨の番号!」

 優梨は歓喜した。努力してきた結果ではあるが、やはり素直に嬉しい。


 さて、影浦はどうか。

「『A102...』……、あれじゃない? あれだよ! 瑛くんの番号!」

「まじで、やった! 受かった!」

 影浦はまるで子供に逆戻りしたように飛び跳ねて喜んでいる。


 ついに現実のものになった。愛する恋人を、大学に入れされることに。しかも最高峰の大学に。感極まって、優梨は人目をはばからず、影浦に抱きついた。

「おめでとう!」

「ありがとう! 優梨のおかげだよ!」

 はじめて感謝の言葉が聞けた。思わず嬉し涙が止めどなく流れた。


 二〇二〇年三月十日午後〇時三十分。

 歴史が変えられた瞬間だった。


(了)




※ 本作では実際(現行)の児童福祉法と一部異なる設定をしております。

(児童養護施設の入所年齢について、現行では原則満18歳未満まで、必要な場合には、満20歳未満まで延長 ⇒ 本作では、改正前:一律で満18歳未満まで、改正後:必要な場合には、満22歳未満まで延長可)

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トリコロールの才媛 銀鏡 怜尚 @Deep-scarlet

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