第3話 信仰のある者
いくつもの燭台の光がきらめき、残されたわずかな時間を明るく照らす塔の上層部の一室。
腕の中のリューリが寝息をたて始めたことに安心して、テアは深くため息をついた。
(とりあえずこれで多分、この聖女様は苦しまずにすむんだろうか)
テアはリューリを抱き上げてソファに座り、その小さく整った寝顔を見つめた。
長くて繊細なまつげを綺麗に震わせて、リューリは死ぬまで覚めないはずの深い眠りについている。テアも同じ眠り薬を飲んでいるが、大人で身体が大きい分、効果が現れるのにまだもう少し時間がかかるらしい。
(あなたは天国へいくことができる、ちゃんと神様を信じてる人間なんだって聖女様は言ってくれた。でも本当はそうじゃないんだよ)
テアは最後の会話を思い出しながら、リューリを起こさぬようにそっと心の中で真実をつぶやいた。
実のところテアは、特別信心深い方ではない。それどころかむしろ神に対して疑いを持っている。テアはただ貧しい農村の暮らしから抜け出すために、信仰心のあるふりをして教義について熱心に学び、神に仕える人間としての立身出世を図った。美しさや可愛らしさとは無縁に生まれた代わりにそれなりの学才には恵まれたらしく、テアは村の教会から大聖堂へと着実に歩みを進めた。そしてやがて狙い通りに、テアは塔の女官に選ばれるまでに上り詰めた。衣食住に困ることのない高い身分の役職に就くことで、テアは求めていた恵まれた生活を手に入れたのだ。
森の中に高くそびえ立つ白亜の尖塔は、テアがかつて住んでいた農村からも見えていた。青空に映える優美な輪郭は、幼いテアの遠い憧れだった。その憧れの場所に住む美しく恵まれた育ちの聖女は、最初から何もかも与えられた存在なのだと思っていた。
だが実際に塔に入りリューリの側近になってみると、聖女である彼女は与えられているというよりは奪われていた。壮麗な祭服で着飾られ、凝った細工の家具に囲まれて暮らしてはいても、人として大切なものを知る機会がこの尖塔にはない。
(この世にはもっと不幸な人もいるし、逆に幸せな人もいる。でも少なくとも私とこの聖女様を比べれば、貧しくて地味な生まれでも自ら学び人生を変える自由と力のあった私の方が、よっぽど恵まれているだろうね)
テアはおとぎ話のように綺麗に眠るリューリの、さらさらと白い額に流れる金髪を撫でた。薄く色づいたリューリの小さなくちびるが、あの澄んだ響きの声を発することはもう二度とない。金糸できらびやかに彩られた白絹の衣で華奢な身体を包み、静かに目を閉じているリューリは、子供のころに夢に描いていた人形に似た完璧さでテアの腕に収まっていた。
この理不尽な人生に疑問を抱くことなく生きて死ぬことを宿命づけられた少女のことが美しく哀れで、テアは彼女の前では過剰に自分の役割に忠実になった。素の姿でリューリに接して余計なことを教えてしまうのは、聖女として生きるしかない彼女にとって残酷なことだと思った。だからテアは今日この日まで、信心深く忠実な側近という役割を、リューリが国を守護する聖女という役割を果たす隣で演じ続けた。
その結果として、テアは今夜リューリと共に死ぬことになる。
(本当はこんなとこで死にたくないけど、一人で死なせるのも気の毒だし仕方がないか)
テアは人生の選択を誤った気分になりながらも、自分で決めてしまったことだとあきらめをつけた。
神をあまり信じていないテアには、政治的な必要性以外にリューリが死ぬ意味を見い出せない。
古の聖女の存在がかつて戦を勝利に導いたように、罪なき少女の悲劇的な死は人を動かす力となる。聖女として殉教したリューリの死によって国は強くまとまり、国王は戦争に勝つための材料を一つ手に入れるのだろう。
(もうそろそろ、兵士が塔に火をかける頃合いかな)
部屋に来る前に他の女官から聞いた段取りを思い出しながら、テアは階下の物音に耳を傾ける。塔には大量の油が撒かれているので、一度火が放たれればその先は早いと思われた。
そしてテアはもうすぐ死ぬその時になってやっと、自分にはリューリを連れて逃げるという選択肢があったことに気が付いた。しかしすでに時は遅く、何もかもが今更だった。
「申し訳ありません。私はもっと悩むべきでしたね」
テアはリューリの軽くか細い身体を抱き上げ、そっと謝罪をささやいた。
腕の中のリューリは小さな背中を赤子のように丸めて、死が迫っていることも忘れたように安らかに眠っていた。そのやわらかなぬくもりに服越しにふれていると、幼い命を犠牲にする命令に従ったことへの後悔が強まっていく。
テアは本心から神を信じているわけではないが、せめてもの罪滅ぼしのつもりでリューリのために祈った。
(この王国を見守ってくれているはずの神様。もしもあなたが本当にどこかにいるのなら、この少女からこれ以上は何も奪わないでいてください)
眠るリューリを抱いたまま、テアはソファの背もたれに寄りかかり目を閉じた。自然と思考は打ち切られ、呼吸がリューリの寝息と重なり心地良い重さが身体に広がっていく。
やがて次第に薬の効果が現れてまどろみ、テアも最後の眠りに落ちる。
その後は炎も何も、二人の眠りを邪魔することはなかった。
聖女が致命する一夜 名瀬口にぼし @poemin
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