第10話 それはただ穏やかな
気持ちよく晴れ上がった休日。
駅舎を出ると、高い位置にある太陽が眩しく、わたしは目を細めた。日傘を持ってくるべきだったか、と少し後悔する。
腕時計を見ると、待ち合わせの10分前だった。
明るい水色のグラデーションネイルが視界に入る。夏へ向かう季節にあわせて、大きめのホログラムを乗せてあって、キラキラと光った。わたしはそれをかざして、少しだけ眺めてから歩きだす。
待ち合わせ場所へ向かうわたしの歩調に合わせて、ワンピースの裾がふわふわと動いた。晴れた空のおかげか、念入りに準備したアイテムのおかげか、気持ちが明るい。待ち合わせに浮かれているのが一番大きいのだろうけど。
結局こういうアイテムは、自分の気持ちをあげるためのもので、安定しているとは言い難い私には、必要なものかもしれない。
駅の横の、こぢんまりとした公園に、背の高い男性の姿がある。彼はラフなシャツに、紺色の麻のパンツをはいて、涼しげな格好をしていた。
いつも仕事の帰りに飲みに行くばかりだったから、スーツ以外の姿を見るのははじめてだった。新鮮で、なんだかこそばゆい。
小走りに駆け寄ったわたしに、こんにちは、と岡崎さんは微笑んだ。こんにちは、と答えてから、わたしは彼を見上げる。
「すみません、待ちました?」
「いえいえ、今来たところです」
お決まりのやりとりをして、少し笑ってしまう。彼は前髪を暑そうにかきわけた。
「もう随分と日差しも強くなりましたね。大丈夫ですか?」
「平気です。いい天気で良かった」
気遣ってくれるのが嬉しい。
「この間の、会社は大丈夫でしたか?」
先日、あちこちで起きた混乱に、あたりはしばらく混乱していた。警察や救急車でごったがえして、道路にはみたこともないほど赤いランプがあふれて、騒然としていた。
命に関わるような事故がなかったのは、不幸中の幸いだった。
怪我人の応急処置を手伝ったり、警察の聴取をうけたり慌ただしく、話す暇もなかった。ただ、うちの会社は警察の協力をすることもあって、身分証として社員証をみせただけで、すぐに面倒事からは開放されたのだった。
――さすがに異様な騒動はSNSで話題になって、翌日栄くんに「だから呼べって言ったのに」と怒られたが。
あの日、岡崎さんの会社の方でも、トラブルが起きていたのが気になっていた。怪我人はなかったと聞いてはいたものの。
「おかげさまで大した揉め事もなく、怪我人もなくすみました。大きな声で争っていただけみたいで、殴り合いみたいなことにはなっていなかったそうなので」
言ってから、岡崎さんはちいさく吹き出した。
「揉め事の原因なんだと思います?」
「……すごい怒鳴り合っていましたけど、そんなおもしろい理由なんですか?」
「出張のお土産のお菓子、自分だけもらえなかったってエレベーターの中で冗談で文句言ってたみたいなんですけど、そこから残業のおやつに煎餅を食べるのがうるさいとか、スルメを食べるからくさいとか、そういうのがヒートアップしてたらしくて」
「ええと、仲良しですよね」
「ほんとに」
それとも……食べ物の恨みは怖い、ということなのか。
とはいえ、天邪鬼に煽られた状態だったのだから、同じような喧嘩があちこちで勃発した可能性も高かった。普段なら他愛なく、冗談で話せるようなことから発展して、先日みたいに刃物を振り回す出す人が出てもおかしくなかった。
「あの状況だったから、まわりにいた人たちもすごく怖かったみたいなんですけど、ふと正気に戻ったら、なんてこんなことで怒鳴り合ってるのか意味わからなくなったと言っていました。外での騒動が気になって、そちらの仲裁とか怪我人の救助に駆けつける間に、有耶無耶になったみたいです」
「それは、大事にならなくてよかったです。その喧嘩で懲戒なんてことになってたら、やるせないですよね」
場合によっては、会社のエントランスで揉め事を起こしたというだけでも、なんらかのペナルティが課せられてもおかしくなかった。
「ほんとに。口争いですんで何よりでした」
岡崎さんはしみじみと言う。それから、公園にぽつんと立つ時計を見た。
「おっと予約に遅れますね。立話もなんだし、行きましょうか」
うながされて、並んで歩き出す。
「石窯のピザを食べられるお店があるんですよ。しかもランチだと、メニューにないテールスープがついてきて、これがまたすごくおいしいんです」
仕事帰りのちょっとした飲みではなくて、休日のランチにくりだした理由を、彼は明るい声で説明する。まるで、言い訳みたいに。
「しかも、ジェラートもついてきます」
「岡崎さん、甘い物好きですか?」
「大好きです」
嬉しそうに笑いながら、彼は言った。
「その後はどうしましょうか」
ただ、ランチに行きませんか、と約束をしただけだった。
その後は何も決めていない。どこに行くのか、何をするのかも。
天気がいいから、軽く散歩をするのもいいかもしれない。
明るい空の色、日差しはさらに強くなってきた。軽くにじむ汗を風が少しだけやわらげてくれる。気持ちは軽くて、彼の笑顔が嬉しい。それはわたしの
彼の言った通り、異能力がなくたって気持ちは伝播する。
一緒にいる人が楽しそうだったら嬉しいし、不機嫌なら不安になる。明るい気持ちもイラだちも、伝わるものだ、と改めて思った。
わたしは彼の、穏やかで優しい空気が好きだった。それは、わたしの異能力の影響を受けにくいから、というだけではなくて。わたしまで和やかにしてくれるから。
「食べながら決めましょうか」
「そうですね」
話しあいましょう、と彼は笑う。
今日の午後について。
――これからについて。
終わり
君の心は奪えない 作楽シン @mmsakura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます