第5話 女主人が言うことには
客間の榎本ジュニア、豊島営業部長、和歌月ヨハンナに再会したとき、外にはパトカーのランプが迫っていた。私は使用人の一人に耳打ちし、警察を誘導しておくよう指示しておく。探偵小説ならばクライマックスだ、我が主人のお披露目舞台なのだから、ナンセンスな介入は最小限に留めたい。
榎本ジュニアは腕組をしてふてぶてしく。豊島部長は不安げに視線を泳がせて。和歌月ヨハンナは爪を噛みながら。それぞれに胸の内にある恐怖と葛藤しているように見受けられた。
「皆様、お待たせいたしました」
そんななか我らが館の女主人――久世楓様は室内にはっきりと響き渡る声で開演を告げた。
「まずはこの度の痛ましい事件、深く哀悼の意を表します。客人を招いた身として、責任を果たすと申し上げました」
「そうだ! で、楓さん、探偵ごっこは満足したのか?」
敬語すら抜け落ちた榎本ジュニアの口調は投げやりだ。他者を攻撃することで自身の心の安寧を図るタイプなのだろう。普段であれば我が主人に対する無礼、締め上げてやりたいが、楓様の前なのでぐっと堪えておく。
楓様は気分を害した様子もなく、凛とした面持ちで首肯した。
「ええ。警察も参りました。証拠集めはそちらに任せるとしまして、私なりに調べた可能性を提示させて頂きます」
「可能性、ねえ」
「聞いて頂けますか?」
提案する形ではあるが、普段よりも幾分の固さがある。その威圧感を肌で感じたのか、榎本ジュニアは燻った顔で椅子に座り直した。豊島部長は静かに頷き、和歌月ヨハンナは視線を逸らしている。
「では、簡潔に。結論から申し上げますと、榎本様の死因は毒によるものと判明いたしました」
わずかに空気が乱れる。息を呑んだ音、椅子の脚が揺れる音、衣擦れの音。それぞれに動揺が見て取れた。楓様は構わず続ける。
「毒殺である以上、榎本様は他殺と考えられます。事実、榎本様のワイングラスには毒性反応がありました」
「では、ワイングラスに誰かが毒を塗って……」
「いいえ。それは不可能なのです豊島様」
楓様はゆっくりと首を振った。
「ワイングラスは毎日使用人に磨かせており、同一デザインのため特定のワイングラスに事前に毒を塗布することは困難です。あらかじめ別の場所に毒を仕込んでいたと考えるのが道理です。……たとえば、唇に毒を塗って、それがワイングラスに移った、ですとか」
「……な……!?」
「ええ。私はあなたが榎本様に毒を盛ったと考えています。――和歌月ヨハンナ様」
楓様の唇が、確かに容疑者の名を口にした。和歌月ヨハンナ――広告塔となった人気ファッションモデルは、その華やかな顔を蒼白に染めて糾弾を聞いた。今までそっぽを向いていた視線がようやく楓様を捉える。切れ長の瞳が鋭く射抜くかのようだった。
「いきなり人の名前を呼んだかと思ったら、客人を殺人犯扱い? 冗談にしてもサイテーね」
「気分を害されたのでしたら謝罪いたします。ですが、私はあなたにならば可能であると考えております。……榎本様とただならぬ関係であった、あなたなら」
「!」
和歌月ヨハンナの顔が動揺に歪む。愛人関係……さして珍しくはない話だ。榎本ジュエリーの広告塔として一躍有名となった和歌月ヨハンナだが、彼女を採用したのは榎本氏たっての希望だったという。彼のお眼鏡にかなったという推測もできるが、華やかで若い彼女がどんな方法でその立場を手に入れたのか。裏では囁かれていた噂の一つだ。
「榎本様の唇に毒を塗る、なんて、いかな家族や側近でも難しいものです。唇に触れられる間柄……そう、毒を塗った唇を重ねれば、その毒を移すことができます」
キスをして毒を塗る。突拍子もない発想だが、否定も出来ない時限爆弾の仕掛け方だ。キスをした後、榎本氏の唇には毒が残る。対して和歌月ヨハンナの方は唇を拭って毒を落とせばいい。次に唇に触れた「何か」が体内に入った時、その罠は発動する。口につけるものはなんだっていいのだ。ただ、唇の毒が溶けて含まれれば。
「今のお話に証拠を求められると、私は確かに証拠を提示することはできません。しかし、毒というものは足がつきやすいものです。そして失敗する可能性もある。もし私の憶測が間違っていなければ……あなたの化粧品やそれに類するものに、毒が潜んでいる筈です」
***
その後警察が踏み込み現場の調査を始めたが、楓様の推理から大きく外れることはなかった。死因は毒殺、唇とワイングラスから毒性反応。和歌月ヨハンナのグロスからは死因となったものと同一成分の毒物が検出されたという。
動機……というのは犯人の「華」と言えるかもしれないが、榎本氏には多額の保険金がかけられていた。愛人関係ということでおおっぴらに遺産を渡せない関係上、和歌月ヨハンナを受取人に設定していたらしい。それを知った和歌月ヨハンナは榎本氏の好意を逆手に取り、できるだけ早い死をと今回の凶行に及んだらしい。
いずれにせよ、久世家で起こってしまった悲劇に対し、楓様は確かに自らの手で引導を渡した。自分の家のことは自分で。責任感の極みというか、我が主人の美徳というべきか。
「芥、今回は本当に助かりました。はじめてのことでしたので、不安で」
「とても堂々とした立ち振る舞いでしたよ」
さすがは我が主人です、と述べると、楓様は気恥ずかしそうにほんのりと頬を赤く染めた。
「主人というのはやめてください。……何度言われても慣れないのです」
「左様ですか。ですが、楓様は私の雇用主であることに変わりはありませんので」
「……ふふ」
「なんですか?」
「いえ」
楓様は私の方を見てくすりと笑う。またこの表情である。別に私の顔を見ても何の面白みもないと思うのだが。
「私が、何か」
「いえ、いいえ。……そうですね、今はそういうことにしておきましょう」
愉快そうにはぐらかす女主人に私は頭を悩ませる。明確な回答を得られない靄のような心地に、私は嘆息してカトラリーの片づけを始めた。
ミストレス・Kの華麗なる推理 有澤いつき @kz_ordeal
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