第4話 毒の在処
楓様の疑問はもっともだ。つまりこの事件の本題であり本筋でもある。そしてこれが榎本氏を殺害した犯人に繋がる、最大の謎と言えるだろう。
犯人はどうやって、榎本氏に毒を盛ったのか?
「アプローチは複数あると思いますが」
「複数、ですか」
「ええ。
「5W1Hというやつですね!」
楓様が何故か目をきらきらと輝かせて答えた。理由を邪推するのは無粋であるため控えておくが、別に珍しいことを言ったつもりもない。何がそんなに面白かったのだろうか。従者として主人の心情をまだ理解しきれていないらしい。
「今のところ明言できるのは、
「ええ、楓様。
「少なくとも乾杯をするより前に毒は仕込まれていたことになります」
そうでなければ辻褄が合わない。榎本氏がワイングラスに口をつけたとき、ワインに毒が溶け喉を滑り落ちて行った。毒の経路としてはそう考えられるはずだ。
「榎本様がワインを飲んだことで毒が回り、死に至った。これは間違いない、と思うのですが……」
ではどうやって。どのように。余計な詮索が脳内を支配する。
ワイングラスは形状が同じで、底に印をつけるなどの方法で特定することは不可能。テーブルに並んだグラスを調べたが、そういった印は一切見つけられなかった。私がワインを注いでからグラスに手を伸ばしたのは榎本氏のみ。もうその時点では毒が付着していないと毒は盛れない。どうやって。どうやって? 私が犯人ならいっそ都合がいいのだが、生憎私はワインを注ぐ際グラスの縁に手を出してはいない。
どうやって? ……さざなみを立てる心臓に嫌気が差す。心を乱してはならない。私は楓様の従者なのであって、常に冷静にあるべきであって。
そんな私の心に一石を投じたのは、他ならぬ楓様であった。
「……ねえ、芥。毒はどこに仕込まれていたのかしら」
「……はい?」
間抜けな返事をしてしまったことで我に返る。なにが「はい?」だ、新入りの使用人でもあるまいし。主人に対して素を見せるべきではない。私は冷静沈着クールで頼れる従者であるべきなのだから。
咳ばらいを一つ。リセット完了。涼しい顔で楓様に問いを返す。
「失礼。……楓様、どこに、とはどういう意味でございましょう」
「そのままの意味です。毒はどこにあったのかと」
「ワイングラスに反応がでていたではありませんか。榎本様はワイングラスに付着した毒を含み、死に至ったのです」
「でもそれではいつ、ワイングラスに毒は塗られたのですか?」
ぐ、と言葉に詰まった。私が何度も思考のループに陥っていた疑問だ。当然答えは得られていない。ワイングラスの潔白は他ならぬ私が証明してしまっている。榎本氏を特定してワイングラスに毒を塗る術はないのだ。
「……それは」
「芥。私は考えたのです。あなたたちが日々綺麗に磨いてくれている食器類に、事前に毒を塗るのは不可能です。であればワイングラスに毒が付着するタイミングは、ワイングラスがテーブルに出された後でなければあり得ない」
「おわかりでしょう楓様!」
思わず私は声を荒げた。何度も往復した考えだ。そしてぶつかった壁だ。
「テーブルに出されたワイングラスは私がワインをお出しして以降誰も触っていないのです。そこに毒を塗るタイミングなど……」
「ええ。だから、一人しかいないのです」
楓様が言っていることの意味の半分も、私は理解できなかった。
「榎本様が口をつけたそのときに、ワイングラスに毒が付着した。そう考えれば辻褄が合います」
「……すみません楓様。私にはさっぱりなのですが」
ワイングラスに口をつけたその瞬間に毒が付着した? 反芻しても納得がいかない。なんだそれは、そんな遠隔操作可能な時限爆弾みたいな毒があるとでも? リモコンひとつでワイングラスにパッと現れる。いやいやそんな阿呆な。私は頭を振った。
「
「どこ……?」
困惑してオウム返ししかできない私に対して、楓様の口調は明朗だ。
「どこに毒は付着していたのか。ワイングラスに毒を塗って待ち構えるのは、先程の話から不可能です。ならば別の場所に毒を塗っていたと考えるべきでしょう。ワイングラスからは毒性反応が出た。考えられる毒の隠し場所は……」
楓様の人差し指がそっと私の唇を押し潰す。シルクの滑らかな感触が不気味に感じられるほどの、一瞬の静寂だった。
「――
言葉がでなかった。唇をおさえられているから、とかではなく。私には何か意味を持つ言葉を紡ぐことができなかったのだ。圧倒されてか、呆けてか、超絶推理に翻弄されてか。是とも非とも、何も言えなかった。
楓様の人差し指が静かに離される。まるで魔法が解けたように、私は言語を思い出した。何故か楓様は笑っている。くすくすと、どこか楽しげに。
「……いかがしましたか楓様。何も面白いことはなかったと思いますが」
「そんなことは……いえ。そうですね、今はこの疑問の答えを出すことが先決です」
ここまで来れば予想はつきました、と楓様は言う。足は三人の待つ客間に向かっていた。
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