それから。

 

 それからも僕は絵を描き続けた。それからも日常は変わらず続き、僕は少年と話し、食卓を囲み、そして、絵を描き続けた。絵を完成へと近づけた。

 

 それから。

 

 いつも僕と話してくれていた少年を見なくなった。聞けば口から血を吐いて倒れたという。‬

‪ それでも僕を絵を描き続けた。‬

‪ 

 いつか絵を描き終わったら祝杯をあげようと誘ってくれていた老人を見なくなった。‬

‪ それでも僕は絵具を水で溶かしていた。‬

‪ 

 地上の人間なんてと悪態をつきながら、それでも僕の絵を褒めてくれていた若い青年を見なくなった。‬

‪ それでも僕は絵筆を持っていた。‬

‪ 

 皆が口から血を吐いた。皆が高熱を出した。皆の声が小さくなっていった。‬

‪ それでも僕は絵を描いていた。‬

‪ 嗚咽にもならない声を出しながら、それでも僕は絵を描いていた‬。

 

 血だまりの中で。骸の山の上で。


 



 あれから。

 

 僕はもう洞窟の中にいない。厳密に言えば、あの集落はもう人の住む洞窟ではなく、戦争に使う剣や槍、鎧を鍛える為の金属を掘り出す採掘場となった。

 

 採掘場で働いているのは、土地の権利を持つ父が雇った労働者達のみで、その地を千年統べてきた者達の姿はそこにはない。絵を完成させた後、入りこんで来た父の私兵らにすぐに洞窟を追い出されてしまった僕は、その時点であとどれだけの人達が生きていたのか知らない。彼らの遺体がその後どう扱われたのかも、僕には知る由も無かった。

 

 そして僕は、あれから父から雀の涙ほどの枚数の硬貨の入った麻袋を渡され、あの洞窟に呼び出されるまでひっそりと過ごしていた村に戻った。あれから父とは話していない。これからも話す事は無いだろう。

 

 今でも僕は絵を描いている。その場しのぎだが、何とか生活が出来るくらいには絵は売れている。これから先の事なんて少しも考えられないような状況だけれども、それでも僕は悲観的にはならなかった。なる権利なんてなかった。

 

 休日、僕は自分の小さな部屋で、村の広場で遊ぶ子供達の集団から外れた、今の僕と同じような眼をした子供達を集めて絵の教室をしている。それに何の意味があるのかは分からない。あの時と同じように、偽善で、独りよがりな行動なのかもしれない。

 

 それでも僕は、子供達に筆の持ち方を教え、色の作り方を教え、像の描き方を教える。子供達が黙々と筆を動かす小さな部屋の壁には、彼らが描いた絵と共に、日に焼けて少し黄ばんだ紙に描かれた絵が飾ってあった。

 

 一人の青い眼をした男と、今の僕の眼前にいる子供達とは似ても似つかない、翡翠色の鱗で肌を覆った少年の絵。

 

 その絵が、僕に最後まで空の絵を描かせた。

 

 僕はあの洞窟に、空の移り変わりを描いたのだ。

 

 夜明けの藍色の空から、抜ける様な青空へ。青空から、夕焼けに照らされた茜色の空へ。茜色の空から、星々の瞬く漆黒の夜空へと移り変わる、一日の内の空を。

 

 あの空の絵は、今でも好物を掘り出す労働者達の頭上にあるだろう。しかし彼らは気付かないだろう。空を美しいとも思わない彼らは、きっと。

 

 僕は、ついぞ一度も空を見る事の叶わなかった彼らを、空に遺したのだ。彼らの種があの地で過ごした千年という長い時間に比べればほんの少しにもならない、僕の知り得る彼らの物語を。

 

 星座として、僕はあの偽りの空に遺したのだ。

 

 星座とはただ星と星を繋いで生まれる形ではなく、そこには古くから伝わる様々な神話や伝説という物語を伝承する為の、いわば空という天井に描かれた満面の天井画だ。

 

 願わくば、いつか誰かが、ただ足元の地面だけでなく、あの夜、僕とドルデゥールがそうしたように、あの大広間の端に腰かけて、あの偽りの空を見上げて、偽りの星々が語る物語に気付いてくれますように。

 

 願わくば、その物語に気付いた者が、その事を他の誰かに話してくれますように。その話を聞いた別の誰かが、また別の人に語ってくれる事を、重ねて僕は願う。

 

 願う事が、許されるのならば。

 君達はこの空よりも高く、この空よりも美しい世界にいるのだろう。‬

‪ けれど僕はそこには行けない。僕はここよりももっと仄暗い世界にしか行けない。‬

‪ だというのに。僕は願ってしまう。強請ってしまう。‬

‪ もしも空の見える世界に住む君達が、僕のいる世界にまで来てくれたら。‬

‪ その時は、共に絵画史の話をしよう。‬

‪ 共に絵具を調合しよう。‬

‪ 共に絵具を水でとかそう。‬

‪ 共に絵筆を持とう。‬

‪ 共に絵を描こう。‬

‪ 

 この世界よりも美しい世界の絵を。

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テールベルト 茂木英世 @hy11032011

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