第5話

 将市に話を聞かせてもらった礼を述べてから、晴彦と京也は図書館を出た。


「結局二年一組で広まった噂は、単なる作り話だったのかな」


 帰路の途中、京也はわけがわからないといったふうに首をひねる。

 情報源の女子生徒を、いまだに疑うつもりにはなれないらしい。


「じゃあ京也は、朝比奈先輩の方が嘘をいていると思うわけ?」


「わからん。ただ華原さんが今誰とも付き合っていないのは、本当のような気がする」


 晴彦の問い掛けに対して、京也は自分なりの考えを示した。

 無根拠な見解だが、直感的な妄想だとも否定し難い。

 晴彦と京也に対して、将市が幼馴染との交際をいつわる理由が思い付かなかった。


「いずれにしろ華原さんが実際は失恋していないとしたら、思考を切り替える必要があるな」


「真雪の傷心につけ込み、彼女の関心をく」ことを、京也は当初目論もくろんでいた。

 ところが失恋自体が根も葉もない風聞に過ぎないとしたら、現状で真雪に言い寄ることの利点は特になくなってしまう。


「……おまけに告白するのも、ここから先は早い者勝ちだ」


 京也は、ぼそりとつぶやいた。




     〇  〇  〇




 翌週の月曜日。


 放課後に晴彦が席を立とうとすると、級友の女子生徒が一人歩み寄ってきた。

「たった今、藤川くんを呼んで欲しいと頼まれた」と言って、廊下側を指差す。

 教室の出入り口には、長身の上級生男子――

 朝比奈将市が立っていた。


「少し時間はあるか? 他に人が居ない場所で話そう」


 晴彦が承諾しょうだくすると、将市は先導するように歩き出した。

 それにならって背を追いながら、怪訝けげんに思わずに居られなかった。

 京也はもう先に帰宅している。呼び出さなくても大丈夫かと訊くと、将市はむしろ居ない方が好都合だと答えた。


「――実は図書館で会ったときから、ちょっと楢橋のことが気になっていた」


 校舎一階の人気ひとけない階段下まで来ると、将市が切り出してきた。


「これは突飛とっぴな妄想だと承知で言ってみようと思うんだが……もしかして、真雪が失恋した相手というのは、他ならぬあの楢橋じゃないのか」


「まさか京也が? あいつが華原さんを振った張本人だっていうんですか」


 驚くべき推理を伝えられ、晴彦は思わず訊き返す。

 将市は、首肯して続けた。


「図書館で会ったときから引っ掛かっていたんだが、楢橋京也という名前には聞き覚えがある。それと面立ちにも、そこはかとなく見覚えがあった。随分ずいぶんと古い記憶で、たぶん小学生の頃までさかのぼるんだが」


「すると、朝比奈先輩と京也はあれが初対面じゃなかったかもしれないわけですか」


「そうなるな。そして俺だけじゃなく、真雪も同時期に楢橋と面識を持っていたんじゃないかと思う。子供の頃から真雪に友達は多くなかったが、しかし俺一人だけというわけでもなかった」


「……じゃあ実は京也も元々、華原さんとは幼馴染の関係にあったと?」


「そこまで親密な時期があったかはわからない。あくまで『楢橋に似たやつが身近に昔居たような気がする』と、俺が個人的に思い出しただけだからな」


 将市は、ひと呼吸置いてから、晴彦に問い掛けてきた。


「楢橋は今、どの地域に住んでいるんだ? ――あいつと同一人物かもしれない子供は、たしか小学生時代に古木野町の北区から西区へ引っ越してしまったんだ」


 土曜日にバス停で待ち合わせたことを思い出す。

 あのとき、京也が乗車してきたバスの路線は、北区と西区を往復するものだった。

 それに下車してから図書館までの道程も、率先して歩いていた覚えがある。

 あの挙措は、北区に土地勘があったからではないだろうか? 


 晴彦が気付いたことを話すと、将市は再度うなずく。


「かつて楢橋と真雪に接点があったと仮定しよう。そうして、二人は同じ高校へ進学したのを機に再会し、人知れず恋愛関係に発展した。けれど何らかの理由で上手くいかなくなり、楢橋から別れを切り出したんじゃないか」


「でも噂じゃ、華原さんは『ショウちゃんに振られた』と言っていたそうなんですよ」


「それなんだけどな、真雪が元々あまり滑舌が得意じゃないのは知っているか」


 将市は、情報の共有を確認した上で、噂の一言が聞き手の誤認ではないかと指摘した。


「あの子には昔から、会話中によくんだり、自分が発音し難い言葉をしゃべりやすい言い方に変えたり、略したりすることがあった。今回は『京也』という名前を『キョウ』と言い損ねて、つい『ショウ』と発音してしまったということもあり得ると思う」


 これは強引な印象がぬぐえない憶測だが、京也が真雪と幼馴染で、かつ恋仲だったかもしれない可能性を、一応は説明できそうだった。



 ただそれでも尚、懐疑的な要素はいくつか残っている。


 なぜ京也は、真雪との関係を隠しているのか。

 また、どうして真雪に告白する計画を、晴彦に相談してきたのか? 

 別れた恋人と日を置かず寄りを戻そうとするのは、不条理すぎる。

「傷心につけ込む」というくわだてとも、矛盾を感じる。


 これらの謎に関して、将市は苦しい理由をひねり出してきた。


「楢橋がおまえに恋人をゆずろうとしたとは考えられないか。つまり真雪と交際してみたものの、身近な友人の方が彼女に相応ふさわしいと気付き、自ら身を引くことにしたわけだ。俺に面会を求めたのは、おまえに真雪が独り身であることを確認させて、告白をうながす狙いだったとか……」


 この推論には、晴彦はあまり納得できなかった。

 あの京也が、それほど殊勝しゅしょうな性格には思えない。



 加えて先程から、京也の件とは無関係によくわからないことがあった。


「あの、朝比奈先輩。これは素朴な疑問なのですが――どうして、京也と真雪が恋仲だったかもしれないと、僕に推理を話してくれたんですか」


「ふむ。藤川からすれば、当然の疑問かもしれないな」


 将市は、合点がてんした面持ちで回答した。


「理由はふたつある。ひとつは俺も噂に多少興味があって、推理を話せば新たな事実がわかるかもしれないと思ったからだ」


「もうひとつの理由は?」


「話を聞かせる意味のある相手が、藤川以外に居そうもなかったからさ」


「……その推理を伝えることが、余計なお節介せっかいになるとは考えなかったんですか。僕にとっては、華原さんは片想いの相手で、京也は友人なんですよ」


「もし何も知らずに友人の元カノと交際することになっていたら、おまえは満足だったのか」


 軽く肩をすくめながら、将市はわずかに苦笑した。

 価値観の相違そういだ、と言いたげな口振りだった。


「それと断っておくが、俺は自分に探偵の才能はないと思っている。アシモフの小説もSFなら好きだが、ミステリーは一冊も読んだことがないからな」


 ロボットで宇宙へ行く予定の上級生は、冗談めかして自らの読書傾向を披露ひろうした。

 それから、言いたいことは粗方あらかたしゃべったむねを告げて、会話を切り上げる。

 あとはその場に晴彦を残し、さっさと一人で立ち去ってしまった。




 果たして本人の自己申告通り――

 将市に探偵の才能がない事実は、ほどなく証明された。


 次の日、二年一組の教室では「楢橋京也が失恋した」と皆が知ることになったからだ。


 華原真雪に交際を申し込んで、京也は素気無すげなく断わられたらしかった。

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