第4話

 三日ほど過ぎて、晴彦のスマートフォンに連絡が入った。

 京也がメッセージで、朝比奈将市と接触する段取りを伝えてきたのだ。

 次の土曜日、午後二時過ぎに高台にある図書館を訪問する思惑らしい。


<中学時代にサッカー部で、朝比奈先輩と交友のあった三年生から話が聞けたんだけどさ>


 京也は、メッセージを連投で寄越よこしてきた。

 先日ほのめかしていた「上手く事態を運ぶためのあて」とは、過去に将市と接点があった人物から情報を引き出せる見込みのことだったようだ。

 とはいえ、その上級生も将市の恋愛事情までは把握していないそうだが。


<高校に進学して以来、朝比奈先輩は必ず毎週土曜日に町立図書館で勉強してるんだって>


 晴彦は、かなり迷ったものの、計画に協力することにした。


 こうして所定の日時に北区のバス停で待ち合わせすることになった。




 当日になると、晴彦は申し合わせた時刻より早く北区に到着した。

 町立図書館へ出向く前に、一人で立ち寄りたい場所があったからだ。

 高台から下る坂道の近くに古い戸建て住宅が建っていて、そこは晴彦の祖父が一人暮らししている家屋なのだった。祖母はもう他界している。


 晴彦の両親は、祖父に何度となく同居を持ち掛けているのだが、当人が承知しない。

 住み慣れた地域で懇意こんいな知人が多く、図書館も利用しやすいので、離れ難いらしい。


 玄関で呼び鈴を押すと、祖父は喜んで晴彦を出迎えてくれた。

 いかにも田舎の日本家屋らしい居間へ通され、座布団ざぶとんを勧められる。


「ねぇジッチャン。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」


 晴彦は、胡坐あぐらきながらたずねた。


「この辺りに朝比奈将市って高校生が居るでしょう。あと、華原真雪っていう女子高生も」


「……ああ、古木野北病院の息子さんと、華原建設のお嬢さんのことか」


 晴彦の祖父は、麦茶をぼんで運んでくると、記憶の奥から引っ張り出すように言った。

「そう、その二人だけど」と首肯し、晴彦は身を乗り出す。地元で有名な両名について、世間話のていで質問してみるつもりだった。

 近所付き合いのいい祖父なら、有用な情報を持っているかもしれないと考えたのだ。


「あの二人って、幼馴染なんだよね? 仲がいいのかな」


「さあ、どうだろうな。二人共勉強ができて、よく図書館に通っているみたいだが」


「華原さんは、僕と高校でクラスメイトなんだ。だから彼女が読書好きなのは知ってる」


「そう言えば、おまえもあの子も川之辺高校の生徒だったな」


「朝比奈先輩も同じ高校に通っているけど、上級生だからどういう人かはよく知らない」


 コップを受け取り、晴彦はひと口麦茶を喉へ流し込んだ。

 祖父は、ちゃぶ台の向かい側に座って、白い顎髭あごひげでる。


「ふむ、将市くんか。昔からなかなか面白い少年だと聞くが」


「僕の友達は、風変りな人だって言っていた。先輩のどの辺りが面白いの?」


「将市くんは子供の頃、ロボットに乗って宇宙へ行きたいと言っていたらしい」


「そんな男の子なら、どこにでも居そうだけど」


「高校生になっても、ロボットに乗って宇宙へ行きたいと言っているらしい」


 祖父の皺深しわぶかい顔は、おだやかだが、冗談を言っているようには見えない。


「だから今はまず、宇宙へ行く前に都会の大学へ行くそうだ。その次は、アメリカに行くつもりだと周囲に話しているようだよ。そこでロボットを作って、地球を出るのはそのあとなんだと。……父親は、病院を継がせたがっているみたいだが」


 たしかに少し風変りな先輩みたいだ、と晴彦は率直な感想を抱いた。

 ただし、この場合の「風変り」という言葉は、おそらく「尋常じんじょうではない」という意味に近い。

 古木野町に生まれて、真剣に子供時代の理想を追い続けられる人物は、多くないだろう。



 晴彦が考え込んでいると、祖父の方からも真雪のことをたずねてきた。


「晴彦は、学校では真雪さんにお世話になっているのかね」


「おかげさまで仲良くしてもらっているよ」


「そうか、それはよかった。子供の頃は、友達のあまり多くない子だったんだよ。将市くんの他には、当時あと一人か二人ぐらいしか、遊び相手も居ない様子だったから」


 祖父は、口元をわずかにほころばせる。

 実のところ真雪に友達が少ないこと自体は、たぶん現状も然程さほど変わらないのだが、晴彦に余計な事実を伝える趣味はない。


「華原さんは子供の頃、どうして友達が少なかったの。本ばかり読んでいたから?」


「あの子は昔、しゃべり方が舌足らずで、他人と話すのが苦手だったんだ」


 晴彦は、祖父の言葉を聞いて、普段の真雪を思い出した。

 しばしば平坦な口調で会話し、あまり愛想が良くもない、孤高な文学趣味の令嬢。

 そうした特徴は元来、滑舌かつぜつが悪く、話し下手だったことに起因するのかもしれない。




     〇  〇  〇




 しばらく歓談したあと、晴彦は祖父の居宅を辞した。

 約束の時刻に停留所へ出向くと、丁度バスがやって来る。

 まばらに降車する乗客の中に、京也が混ざっていた。西区から乗ってきたらしい。


 二人で申し合わせていた通り、町立図書館へ向かって出発した。

 京也は、足取りも軽く道を行き、率先して目的地を目指す。


 横に並んで歩きながら、晴彦は祖父から聞き出した情報を級友にも伝えた。

 京也は、取り分け将市に関する話に興味を示した。


「いつも朝比奈先輩が、ガキみたいな絵空事ばかり言っている人だっていう評判は、オレも以前に聞いた覚えがあるよ。しかし晴彦のジイさんの話を信用するなら、実態は『無邪気な夢想家にして、我が道を行く現実主義者』ってところかもしれないな」


 そうやって一人で勝手な人物評を下してから、大胆な憶測を述べる。


「それにもし、先輩が本気で古木野町を離れて――都会なり海外なりへ行く気だっていうなら、華原さんに別れを告げた理由もわからなくはないぞ。学生の身分で遠距離恋愛なんて、そう続くもんじゃないだろうからな。ましてや、宇宙と地球上の田舎町じゃ尚更なおさらだ」



 町立図書館に着くと、正面エントランスから建物の中へ入る。


「朝比奈先輩は、上の階にある物理学の本が並ぶ棚の近くで、いつも勉強しているそうだ」


 これも京也が独自につかんだ情報らしい。

 階段を上って、二階の該当区画へ向かう。


 化学、生物学、天文学……

 と、各分野の棚が設えられた場所を通過し、館内を奥へ進む。

 物理学関連の書籍が置かれた棚は、その先にあった。

 付近のテーブルを見ると、少年が一人着席している。かなりの美男子だ。

 手元にノートや参考書を広げ、自主学習に取り組んでいるようだった。


「――おいそがしそうなところすみません。朝比奈将市先輩でしょうか」


 京也が声を掛けると、少年はシャーペンを動かす手を止める。

 椅子に腰掛けたままで顔を上げ、晴彦と京也を振り返った。

 少年の切れ長の目が、二人を順にめ付ける。


「他人に用件があるときぐらい、まず自分たちから名乗ったらどうなんだ」


「失礼しました。オレは川之辺高校二年一組の生徒で、楢橋京也っていいます」


 平時は不敵な京也だが、珍しく恐縮したように頭を下げた。

 晴彦も同じように自己紹介する。


「僕は藤川晴彦です。今名乗った京也とはクラスメイトです」


「そして二人共、華原真雪さんのクラスメイトでもあります」


 級友が挨拶あいさつしたあと、京也はすぐに普段の口調に戻って付け足す。

「華原真雪」という名前が出た瞬間、整った面立ちの少年はまゆひそめた。

 少し間をはさんでから、口を開いて自らも名乗る。


「君たちの言う通り、俺は朝比奈将市だ。真雪の知り合いが何の用だ」


不躾ぶしつけですが、この際なので単刀直入におたずねします」


 京也は、慇懃いんぎん無礼ぶれいに問いただした。


「先輩と華原さんは現在、恋人同士でらっしゃいますか」


 将市は、再び若干の間を挟み、警戒するような態度を取る。

 晴彦と京也に対して、胡乱うろんな印象を持っているのは間違いなさそうだった。


「……なぜ、俺と真雪の関係を探っているんだ」


 逆質問されたので、ここへ来た経緯を端的に説明する。

 真雪の失恋、将市との交際の噂、晴彦と京也が告白しようとしていること。

 そのため真雪が独り身である事実を、確認しておきたかったことまで……


 晴彦は幾分気恥ずかしさを覚えたものの、京也は臆面もなく事情を打ち明ける。

 二人が話しているあいだ、将市は途中でさえぎったりせずに聞いていた。

 やがて「なるほど」とつぶやき、深くうなずいてから言葉をつむぐ。



「結論から言えば、たぶん真雪に交際相手は今居ないと思う」


 将市は、はっきりと断言し、続けて付け加えた。


「それと根本的な事実だが、俺が過去にあの子と恋人同士だったことは一度もない」

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