お嬢様の非日常焼肉デート

飛鳥永久

お嬢様と貧乏人の恋模様

「……え?ここ……はお店ですの?」


「……そうだけど?どうかした?」


汚れたツナギをきた男と、少し古びた『肉食い亭』と暖簾がかかったお店を前に美麗<ミレイ>は絶句した。


ここは本当にお店なのかという点と、お店だとしても言っては悪いが、果たしてこんなお店で美味しいものが食べれるのかが疑問だったからだ。


「まじでここ安くて美味くてオススメなんだぜ!」


困惑気味の美麗に気が付かず、隣の陸<リク>はお気に入りのオモチャを自慢するかのよう目の輝きを見せた。


美麗は、その名のとおり美しさと麗しさ。容姿の華やかさだけでなく、経済力もあった両親に甘やかされて育ったまさに『お嬢様』だった。


勿論、そんな美麗の事を周りの人間も放っておく筈がない。


男子からは恋心、女子からはあこがれの的で、皆にもてはやされ、これが食べたいなと軽い気持ちで呟けばいつの間にかそれが目の前に並び、あそこに行きたいと言えば連れて行ってもらえた。


それら美麗のわがままを可能にしているのが、【美麗様の手となり足となり!あなたの為に生きていきます!】がモットーの『美麗親衛隊』の存在だ。


美麗にあこがれを持った女の子達の集団で、常に一緒に行動し、美麗に命をかける幹部クラスと呼ばれる子たちや、ファンクラブ的な感覚で、親衛隊に席を置きたい人たちを合わせると美麗の通う高校の全女子の9割ほどの隊員がいた。


その為、ブ男が迂闊に「美麗と付き合ってみたい」何て言えば、親衛隊の子がその男に、身の程を知れ、美麗様に近づくな害虫等と言い渡され、あっという間に隊員の子たちにその事実が知れ渡りしばらくは、後ろ指刺される生活を余儀なくされる。



美麗の側に立ち、会話できるのは女子から人気のある一握りの男子だけ。


彼女たちも年頃の女の子だ。


最近では美麗の恋人には誰が相応しいかと、本人たちの意向を無視した親衛隊の子達の妄想や話題は絶えない。



そんな美麗が綺麗と言い難い洋服を着た陸と一緒にいるこの現状を親衛隊人間が見たら、あり得ないと嘆き、陸を抹殺しようとするだろう――


それは、少し遡る事一時間前。



美麗は休日の今日、一番仲のいい親衛隊の一人、志保<シホ>と、ランチに来ていた。


親衛隊と名乗っているのは志保自身で、他の子が親衛隊として自分に尽くしてくれることに違和感も疑問もないが、志保は違った。


好きなものや、価値観が合い、自分の為に何かをしてくれなくても一緒に居てくれるだけで十分楽しく嬉しかった。


だから美麗はまるで王女とメイドな関係の親衛隊としてではなく、対等な友人として接してほしいと思っていた。


「私はこのAセットにしますね」


「あら、それだけ?シフォンケーキがお勧めって書いてあるのにいいの?」


二人はメニューを選んでいるところで、志保がいつもなら必ず一緒に注文するスイーツがない事に疑問を感じ美麗は尋ねた。



「えっと……少しダイエットをしようと思いまして」


するとハニカミながら少しだけ歯切れの悪い答えが返ってくる。


「ダイエットって……今までそんな事気にしないって言っていたのに」


色気より食い気だった筈のこの志保の発言。それによく見ればいつもと違う化粧をしている彼女に、美麗は違和感を覚えつつも、「私は何にしようかしら」とメニューに目を落とした。


その時、お店に男性が入ってきた。


男は二人が座っている席の方を見ると「あれ?志保じゃん?」と声をかける。


志保は、その声に気が付きその男に笑顔を浮かべ手を振り、男が志保に近づくと更に嬉しそうな笑顔を見せた。


美麗は先程までの志保と、この様子を見て察した。この男性に恋をしているのだと。



「あ、美麗さん。こちら……その」


志保は近づいてきたその男性を、美麗に紹介しようとする。


「もしかしてボーイフレンドかしら?」


しかし美麗は紹介される前に自分から訊く。自分は何でも知っているとそうアピールしたかったのだ。


「……あ、はい!」


志保は関係を言い当てられたことに驚きと同時に、『流石、美麗さん』とまた一つ尊敬の気持ちも込めて、とてもいい返事をする。


それを見た美麗はチクンと心が痛んだ様な気がした。


美麗に言い寄る男など確かに沢山いたが、美麗は結局自分に相応しくないと言いつつ、人を好きになるという感情が分からなかった。


特別な関係が欲しいなどと思ったことが無かった。

憧れや興味がなかった訳ではない。


ただ美麗の中で、恋愛と言うものがどういうものか分からなかった。


自分自身が特別な人間だと思っていたから。皆が自分に尽くすのが当たり前だと思っていたからだ。


だが今の志保はどうだろう。確実に美麗といる時とは違う顔を見せた。


その顔がとても輝いて見えて『自分の存在はこの男に負けた――』と。それが、美麗にとっては許せなかった。


「では、本日はこのまま、二人でデートなんていかがかしら?私はおいとまさせてもらうわ」


「え?美麗さん!?」


美麗はそれだけ言い、引き留めようとする志保の声を半ば無視して店から出て行った。


もうその場に居たくなかった。


私の知らない感情を持っていた志保にも。そして志保の自分より大切な誰かになったその男にも。


嫉妬したのだ。



***


お店を飛び出したが良いが、一人になった美麗はこれから、どうしていいのか分からなず当てもなく歩いていた。


この後本当なら志保が行きたいと言ったお店に行きランチをする予定だった。


しかし場所も、店の名前も知らない。まぁ、知っていたとしても二人がいるかも知れないという事を考えれば行けるわけがないのだが。


では違うところに行こうとも思っても『行ってみたい』と言えば案内してもらっていた為、また行きたければその人と行けばいいと思っていた。


だから場所を調べた事も無い。その場所までの道も覚えた事も無い。もっと言うならば一人で、ランチをした事も無い。


何なら今誰かに連絡して来てもらおうかとも考えた。


しかし美麗は多少わがままではあるが、他人に全く思いやりがない訳ではない。


先程の志保を目の当たりにしたから。


その時自分より大切な誰かと居たら迷惑ではないか。万が一にでも断られたらどうしようと、とてつもなく不安な気持ちになった。


そこで美麗は気が付いたのだ。


――結局、自分は特別扱いをされていると良い気になって、自分一人で何もできない子供同然だったことに。



「……情けない」


美麗は心の底からそう思い、呟く。


もう家に帰ろう。


そう思い、タクシーにでも乗ろうと携帯を出すため、鞄を開けた時だった。


美麗の視点は鞄に向いており、前方から自転車で突進してきた男に気が付かず、鞄を無理やり奪われ、それと同時に思い切り突き飛ばされ転んだ美麗。


驚きと、痛みと恐怖。


「きゃぁ!」

「何!?」


そして騒ぎ立てる雑音。


美麗は何が起こったか理解するのに時間がかかった。


「……嘘でしょ……」


美麗が自分の置かれた状況に気が付いた時には、自転車に乗った男は視界から消えており、転んだ時にすった膝の傷と、強く打った腰痛みしかなかった。


携帯も財布も無い。そして自分は一人で。美麗はとてつもない、絶望感に襲われる。


もう、泣きたいくらい惨めで恥ずかしくて下を向いた時


「大丈夫だよ」


と美麗の上空から少し荒い息遣いで、低めの声が降ってきた。


美麗は驚き顔をあげると、先程ひったくられた鞄を握りしめた髪が短い二〇代前半の男性、陸がいた。


「鞄……!」


美麗は陸に見向きもせず、もう戻ってくるとは思わなかった鞄との再会にひったくる様に奪い抱き締め歓喜した


「あの……ありがとうございます!」


そして、はっと気が付き慌てて陸に感謝の言葉を述べた。


「追っかけてたら邪魔だと思ったみたいで財布だけ取って投げつけてきたんだ。怯んだ隙に逃げられちゃったんだけど……立てる?」


陸はそう言い美麗に手を差し伸べる。


ひったくりを追いかけてくれて。財布は無いかも知れないが鞄を取り返してくれた陸が美麗には少女漫画に出てくるような人物のような、凄くかっこいい姿と、言うわけではなかったが、とても素敵なヒーローに見えた。


先程の体験からか、陸にトキめいたからは、まだわからないが、その手を取り立ち上がる美麗の心臓の鼓動が早かった。


「家どの辺?ここから近い?」


立ち上がった美麗に心配そうな声をかける陸。


陸は財布がない美麗に、もし遠いなら電車代をあげようと思いそう声をかけたのだ。


軽傷とはいえケガもしているし、財布もないのだ。陸の心配通り素直に家に帰った方が良いに決まっている。


しかし美麗は本能とでもいうのか。もう少しだけ陸と居たいと思い、問いかけにも答えず、考えるより先に声が出ていた。


「あの、お昼まだでしたらご一緒しませんか?」


美麗は財布がない。未成年の親も、美麗に十分な現金は与えていてもカードを渡していたわけではない。いわば文無しなのだ。


なのに、お昼を一緒にと言うのは「奢ってくれ」と言ってるようなもの。


助けてもらったのに何て事を言っているのだろう。




美麗は自分の言ったことの浅はかさに赤面し何事もなかったのようにすぐ、「あ……家は近くないです。電話はあるので連絡して迎えに来てもらいます」と質問に答えた。


陸はそんな美麗を見てとても可愛らしいと思った。


身なりが綺麗で顔も整っている美麗。可愛らしいと思うのは男性であればそう思うのだろうが、容姿でなく赤面したこの美麗の仕草がとても可愛いとそう思ったのだ。


ついでに言うが、陸がひったくりを追っかけたのも美麗が美人だったからと言う訳でもない。

たまたま歩いていたら、現場に遭遇し、美麗の姿を確認する間もなく今なら間に合いそうだから追いかけなきゃとそんな正義感だった。


取り返し、近づいてみたら、鞄を盗られてしゃがみ込む女の子が想像以上に美人だった。


颯爽に帰る予定が、電車代をあげようと声をかけたくなった位の美人だった。それだけだ。


「……お昼は食べてないんだ。良ければ君も一緒にどうだい?君も食べてないんだろう?」


陸は、今度は自分から声をかけた。


「いえ……でも私……」


お金がない事を言い出せずにいる美麗に陸は言う。


「助けたお礼として、僕とデートしてくれませんか?」


「……え?」


助けたお礼にデートって……果たしてそれはお礼になるのだろうか。そう思う美麗にまた陸は言う。




「こんな美人とデート出来るならこんな嬉しい事は無いよ。俺お勧めの店があるんだ。一緒に行こうよ。勿論デートだから女性にお金を出させるわけには行かないから心配しなくていいよ……とは言っても、大した所に連れていける訳じゃないけど」


陸は美麗が断りづらくない言い方をする。陸もまたせっかくならデートをしたかったのだ。


「……はい!ありがとうございます!」


そして、来たのがこの『肉食い亭』だ。


デートに焼肉……だけど陸は女の子とデートをしたことが無かった。


色々とおしゃれな店を考え、探さなかった訳ではないが、そういう所に無縁な人生だったし下手に知らないところに行くよりは、自分の好きなお店に連れていくことが、それが彼女にとっても良い事だと思ったのだ。


暖簾をくぐり店に入ると、こ上がりが二つにカウンター席が3つ程の小さなお店で、お客は既にこ上がりに一組いて、食欲をそそる肉の焼けた煙の匂いにじゅーっと焼ける音が聞こえてきた。


「マスター!」と陸は厨房の50代程の男性に声をかけてそのまま空いているこ上がりに入る。美麗はこちらを向いたマスターに軽く頭を下げ陸に続いた。


「彼女かい?陸?良いのかい?こんなところにこんな綺麗な子連れてきて」


するとマスターがお手拭きを持って少し茶化すように陸に言った。


「こんなところって自分の店だろ?マスターいつものセットね!」


「あいよ」


陸の馴染な店のようで、マスターにそんな軽口を言いつつ注文をする。


「こういうところ、はじめて来ました」


辺りを見回しながら緊張した面持ちで陸に話しかけた。


「ごめんなーこんなところで。でも、本当に美味くてせっかくなら俺の好きなもの食べてもらいたくてさ!」


とても笑顔で言う陸にまたドキッとした美麗。


思えば、常に誰かがいた美麗にとって男性と二人きりでいることが初めてだった。


「あの……今更なんだけど、君の名前を訊いていいかな?」


ましては、さっき会った名前も知らない人と……美麗は、急に自分が何て大胆な事を言ったかと少し怖くなった。


「美麗と申します」


「俺は、陸。よろしくな。そんな緊張しなくても大丈夫だから……って、俺が言っても説得力ないか」


美麗のその態度が少しばかり伝わって来た為、陸も勢いでここまで来たことに可哀想な事をしたかなと思い始めていた。


少しお互いの自己紹介を兼ねて話をしていたら、マスターがお皿に肉を乗っけて持ってきた。


「来た!さ!焼くぞ!」


すると陸のテンションが上がり少しばかりあった緊張感が和らいだ。


慣れた手つきで肉を焼く陸を美麗はいつも受け身で何かしたいと思ったが、どうしようと思いながら見つめていた。


「焼いてみる?こいつの面倒よろしくな!」


そんな美麗に陸は近くに肉を置いて、それを焼くよう指示をした。


「わかりましたわ」


美麗は与えられた任務に目を輝かせながら一生懸命お肉をひっくり返す。


それを横目で見ながら陸はどんどん網に肉を移し焼いていく。


「よし!食べごろだよ!」


陸は美麗に声をかけ、用意してあったタレにくぐらせ美麗は口に運びゆっくり咀嚼した。




「……美味しい」



高級なお肉を食べてきた美麗だからもしかしたら今まで食べきたお肉の方が良いお肉で美味しいものかもしれない。


けど陸の言った通り美麗は、そのお肉はとても美味しいと感じた。


初めてこういう庶民的な焼肉屋で、自分で焼き、異性とデートしているって言ういつもとイレギュラーな感じがまた美味しさを倍増させているのだろう。


「良かった。さぁドンドン食べよう!」


美味しいと信じていたが、見るからにお嬢様と言った美麗の口に合うのかと実は不安に思っていたので、その言葉に胸を撫で下ろした。


それをきっかけに二人は少し打ち解けたようで、肉を焼きながら食事を楽しんだ。


全てのお肉を食べ終わる頃には最初の緊張感等全く無くなった。


「お腹いっぱい。そろそろ行こうか送っていくよ」


陸は立ち上がり会計を済ませ店を出る準備をする。


「あの……今日は、本当にありがとうございました」


それを見た美麗は申し訳なさと感謝の気持ちを声に出した。


同時に少し寂しさがこみ上げてきた。


もうこの陸との楽しい焼肉デートの時間が終わってしまうと――


またこの時間が欲しい。そう思ったがどうして良いのかわからず、でも帰るのも嫌で美麗は立ち上がることが出来ずにいた。



美麗は陸にとっても、とても可愛らしい家柄も良い女の子。陸は休日も頼まれた引っ越しの手伝いで小金を稼がないと生活レベルで決して容姿も良いと思っていない。


そんな自分と釣り合うわけ無く本当に一日デート出来たら良いと思っていたのに。


陸はこの時、自惚れでなければ自分とまだ居たいと思ってくれているのかと……


また来ようって言っても良いのかと考えていた。


お互い動けずに固まってしまい不穏な空気が流れた。


この時間が長ければ長いほど、もっとどうしていいのか分からなくなった。


微動だにせず3分程経っただろうか。しかし二人にとっては長い時間だった。



この空気を切ったのは、マスターだった。


静かになり出てこない二人が心配で様子を見に来たのだ。


「大丈夫かい?もし良かったら二人でまたおいでよ」


社交辞令を述べたのだが二人にとって一番欲しい言葉だった。


「「はい」」


待ってましたとばかりに返事をする二人の声がハモった。


お互い驚き顔を見合わせる。


一緒に来たいと思っていたことが嬉しかった。そしてきっとここに二人で来ると。まだ約束もしてないけど確信できた。


「帰ろうか」


「……はい」



二人は「ごちそうさまでした」とマスターに言い店を出る。


「連絡先、訊いてもいいかな?」


「勿論ですわ……よろしくお願いします」



―――その後、二人は連絡を取り合うようになり、二人が交際に発展するのはもう少し先な話になるが、デートと言えば、この肉食い亭で焼肉デートが通例になったのは言うまでもなかろう。


焼肉デート。それは美麗と陸にとって特別な時間になった。

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