天気がよくて、サイアクだった。

 今日はパパもママも明日香も休みで、それってつまり私が外出する条件がぜんぶ揃っているわけなんだけれど、真夏の晴れは暑いし、汗かくとあちこちに汗もができるし、人に紛れられる場所に出向くにはお金があまりに足りない。自称進学校はバイト禁止で、パパもママも私のことは見限っているくせ「バイトに熱中するとロクな大学に行けなくなる」とか偉ぶってお小遣い制。月三千円のお小遣いを渡してくる度にため息つくのは人としてサイアクだと思うし、明日香の方が二千円も多くお小遣いを貰っているって事実はもっとサイアクだ。

 ──ミンミン、ジジジ。

 セミの声を聞いてると、ばいばいを言う間に地面に溶けていっちゃいそうな予感がするのはなんでなのかな。

 私は家にいる魔物たちの気配に苛々していて、明日香がリビングで大きな笑い声をあげて──プチンッときた──理性が放射状に私をキツく吊っていた糸がぜんぶ切り切れて、そうなると当然、私はかわいいパステルピンクの引き出しからごっついカッターナイフを取り出して、はい、安らぐねぇ~──ああ、泣けてきた。このときにママって毎回思っちゃうの、よくないよね──リスカ。

 右手首に二本、金魚のお口みたいな線を横にいれた。ぷつぷつと血が溢れ出てくる。艶っぽくて、瑞々しくて、赤ぁくて、赤い、みんなと同じ赤い血液。いや、奴らの血はこんなに人らしい色をしてはいないはずだ。だってあんなに残酷で、攻撃的で、酷い奴ら、魔物なんだったから。

 私は魔物を成敗しに異世界からやって来たマジカルでミラクルな魔法少女。魔法式が練り込まれた血液で魔方陣を描けば人を食らいつくす魔獣をぽりらりら~んと召喚できる。いつだってこんな状況は打破できる。だから、大丈夫。私は強くって、実は故郷にともだちもたくさんいて…。


 そんな妄想が虚しくなるのは、明日香が幸せそうに笑っているから。魔法よりもよっぽど素敵な未知を含んだ、でも非現実でなくきちんと現実の笑い声を、なにもかもが充実していない私にどうかサイアクだから聞かせないでほしい。うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさい。死ね、死ね。そうじゃないと先に私の心が、死ぬよ。

 それともみんなその未来を望んでいるの?

 私は部屋の中をぼんやりと見渡した。テーブルの上に黒のチョーカーが放られていて、安っぽいゴム製のそれを爪が伸びきった指でいじくる。

 私はチョーカーを愛しているけれど、それが似合うかどうかは別の話だから、もっと首が長ければよかったのになあって鏡を見るたんびに思う。隣の席の女が夏になってから憎い。ショートになんかしやがって。長い首を見せつけてんのかよっ、ムカつくな。

 右手首が小ぶりの椿みたいでかわいかった。

 明日香はまだ笑っている。なにがそんなに楽しいんだろうって不思議だ。もう笑い方を思い出せなくなった私の鼓膜に私と同じ顔で笑う少女の声が届く。なんて悪夢だろう。この血液の温みしか世界に私を繋ぎ止めるものがない。いまは、もう。それしか。

 右手首を縦に切った。

 死にたいけれど、死にそうだったから。

 途端、ものすごい量の血が噴き出てきて──慌てて止血用のナプキンを探したけれどもう一つも部屋には無くて──さすがに焦ってくる。なんだか意識が夢みたいにふわふわしてきた。きもちぃくて、とてもこわい心地だ。

 トイレからナプキンを取ってこようとドアノブにまっ赤な手をかけて──夏の床にへたりこんだ。

 なんだかもういいかなという気がした。

 こんな延命措置をしていることがバレて、もしもそれが軽く扱われでもしたら、私はほんとうに死ぬ。分かる。私の死はそんなことで決まるんだ。世界で散々バカにされてるけれど、私の死はそれで決まる。ほんとうの死。心とか魂とかよく分からないけれど、ほんとうの死。


 まっ赤な腕を貧相な足に回して体育座りをして、なにかを待った。

 泣きながら待った。

 助けてもらえる予感がした。

 泣いて待った。


 ふわふわの視界。ぼやけているのはたぶん涙のせい。


 待った…。

 寒い。


 寒い。

 神経の接続がぷちぷち切れていった。そういう感触があった。

 終わりが近い。



 終わりが近い。





 誰も来てくれない。

 いやだ。待ってるの。助けて。死にたいけれど助けてもらわないといやだよ。いやだ。こわいよ。寒いよ。たすけて。ママ。パパ。誰にも知られないで終わるのはいやだよ。私がどんな想いで、いたのか、知ろうともしないで、生きられる? ほんとうに?

 私も、混ぜて。抱きしめて、安心させて…。

 身体がとうとう動かなくなった。私は白い心臓だった。脆い、鼓動。びっくりした。信じられなかった。え? ほんとに終わるの? って。

 私を繋ぎ止めるものが、なにもなくなる…。

 そうなった時、誰かが悲しんでくれていても、私は分からない。

 もうえいえんに、知れない。



 そんな予感が、強くした。



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