第2話 昨日失言した

 兄貴が遠い学校に通っているので、俺も一緒に朝早く起こされる。お袋に言わせると、忙しいのは一回にして欲しいんだそうだ。

 まあ、本当は兄貴と同じ学校に入れれば良かったんだけど、俺の頭じゃあどう頑張ってもムリだった。でも、足りない頭で一応努力はしたんだぜ。


 そのおかげで、兄貴と同じ学校は落ちたけど、その次のランクの学校には受かった。次のランクの学校と言っても、毎年東大に何人も入る、地元では有名な進学校なんだ。

 これも、兄貴の学校に入りたい一心で勉強したから、今の学校に入れたんだと思う。普通に勉強してたら、俺の頭では一流校には入れなかっただろうと思う。

 この学校で落ちこぼれにならなければ、多分世間で言うところの一流大学にスンナリと入れるらしい。人間、何処かで頑張る事は必要なんだな。


 話はそれたが、そんなことで毎日朝が異様に早い。兄貴が家を出た後で、もう一度二度寝するのもアリだけど、それで学校に遅刻するのも馬鹿くさい。だから、あきらめて兄貴と同じタイミングで家を出る。

 そうすると、俺が通ってる高校には異常な速さで到着してしまう。


 幸い学校自体は開いていたので、早く着いてしまったら自分の教室で寝てれば良いか、という事になった。


 その日はたまたま、電車が一本早いのに乗れて、学校に行ったんだ。どうせ学校に行く時間が早いから、一本も二本も変わらないと思ってた。


 昇降口に行ったら、同じクラスの女の子も上履きに履き替えているところだった。


 何気なく、朝の挨拶をした。

「お早うー!」


 俺的には、誰にでもする普通の朝の挨拶だったけど、彼女はビックリしてこちらを振り向いたようだった。


「あれ? 脅かしちゃった、ごめんね」


 俺の言葉に対して、彼女は、被りを振って答えた。

「イエッ、イエ。大丈夫です」


「私、人から朝の挨拶された事が無いので、少し驚いてしまって……。こんな朝早く、学校に登校する方なんて、私だけだと思ってました」

 彼女は少し恥ずかしげに、でもチョッと嬉しそうに、ユックリと言葉を選びながら答えた。


「あッ、ごめんなさい。こちらからの挨拶がまだでしたね。それでは、改めまして……」

 彼女はそう言いながら、俺の方に体を向けて


「おはようございます!」

 改まった口調で、小声だけれどハッキリとした挨拶をしながら深々と頭を下げた。


 ソバカスの少し残った笑顔が印象的な女の子だった。こちらの目を見て話しかけてきた時、メガネ越しに見える彼女の瞳も魅力的に思えた。


 えー、こんな子だったっけ?

 確かに同じクラスの女の子だよな。


 クラスにいる時は、いつも気配を消しているような、あまり印象の無い女の子だよな……。でも、改めて正面から見ると、凄ーく印象に残る女の子だった。喋り方も、落ち着いた喋り方をするので、クラスの他の女の子に比べると少し大人びて見えた。


 その日は、そのまま教室まで二人で歩いて行った。俺と彼女の間に会話は無かったが、何故か落ち着いた気持ちになれた。


 教室に着いてから、そこで彼女に色々と話しかけたかったが、彼女がカバンから小説を出して読み始めたので、俺は邪魔をしないようにそっと自分の机に向かった。

 彼女が小説を読んでいる後ろ姿を所在なく見ていたら、俺は何故か安心して眠りについてしまった。


 ホームルームが始まるまで、爆睡していたようで、目覚めはスッキリしていた。


 それから俺は、いつもより一本早い電車に乗るために兄貴よりも早く家を出るようになった。

 朝、昇降口で彼女と挨拶を交わし、教室まで二人で歩いていく、そのほんの数分間が、俺の生きがいになっていくのに時間はかからなかった。


 昼間の休み時間、彼女は女子グループの中で会話してるし、理科の実験とかで隣の席に着いても、彼女が一生懸命実験してる横で、実験とは別の話も出来ない。

 でも、朝のひと時があるから我慢出来た。


 ある時、兄貴が言った。

「最近のお前、気合の入り方が違うなあ、俺より早く家を出て一体何をやっているんだ? 毎朝楽しそうに出て行くのは気のせいか」


「まさか学校で朝勉でも始めたのか? お前の今の気合があれば、俺と同じ学校に来れたのになあ」

 兄貴は俺が自分より早く家を出るのを、俺のやる気スイッチが入ったものと勘違いしているようだ。


 でも、俺は兄貴とは別の事を考えていた。兄貴と同じ高校に行ってたら、朝の彼女と出会えなかったじゃん。兄貴の学校に落ちて、本当に良かった。


 このまま、朝の彼女とずっと同じ時間を過ごせたらと思っていた。


 しかし、事件は昨日の昼休みに起きた。


 * * *


 俺の友達から『朝一グループ』の話が出てきて、朝の彼女と俺の関係がバレそうになった。そこで、つい、本心では無い、ひどい事を口走ってしまったんだ。


「よせやい! どうして俺が、ソバカス付きメガネ女子なんか好きになるんだ」

 売り言葉に買い言葉で、何も考えずに口走った。


 その時には気がつかなかったが、彼女にはこの言葉が聞こえていたんだろう。午後の最初の授業中に、突然彼女が挙手して先生と一言、二言話したら、急いで教室を出て行った。教室を出る後ろ姿がチラリと見えたが、肩が小刻みに震えていた。まるで泣くのを我慢しているような感じだった。


 その姿を見て、俺は直感した。昼間の俺たちの会話が彼女に聞こえてた、と。俺は、物凄く後悔した。授業中の先生の話なんか完璧に無視だ。俺の脳細胞は1000%彼女の事で一杯になっていた。


 彼女が保健室から戻って来たら、真っ先に謝ろう。クラスメートの目なんか気にしている場合ではない。俺の無配慮な一言が、俺の大好きな彼女を傷つけてしまったんだから。しかし、結局彼女は状態が回復しないという事で早退してしまった。


 全て、俺の責任だ。朝のひと時の楽しみさえ良ければと思って、軽はずみな事を言ってしまった、俺が悪いんだ。


 昼休みのあの時に、


「《ソバカス付きのメガネ女子》可愛いじゃあないか! 俺はあの子が好きだ!」

 と、素直に言っておけば良かったんだ。


 男子グループの噂なんて、一瞬で終わりだもの。


 明日は、ちゃんと来てくれるかな? 許してもらえないかもしれないし、もうこれで嫌われて朝の挨拶もしてくれないかもしれない。でも、今日のおわびをキッチリとした上で、改めて彼女と交際させて欲しいと、声にして、打ち明けよう。


 * * *


 新しい朝がやって来た。俺はいつも通り兄貴よりも早く家を出ようとした。

 すると兄貴が言った。


「どうしたんだ、今日は? 何か大事な事でもあるのか? 今日のお前の気合の入り方がハンパ無いぞ!」

 さすが兄弟だ、俺の気配を察知したようだ。


「おう兄貴、今日は俺の人生のかかった大一番なんだ。兄貴も、俺が上手くやれるように、祈っててくれよ」

 俺は何も知らない兄貴に言った。


「おお、俺は神様なんて信じてないから祈れないが、お前のためにエールを送るぐらいは出来るからな」

 何だかよく分からない俺の気合いに気圧されているようだ。


「何かはわからんが、お前の一生に関わる事なんだろう。頑張ってこい!!!」

 そう言って俺を送り出してくれる優しい兄貴だ。


 俺は兄貴のエールを受けていつも通りの電車に乗った。


 学校の昇降口には、ソバカスが可愛いメガネの奥の瞳がステキな彼女が、微笑みながら立っていた。


 さあ行くぞ、俺……。


(了)

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昨日、失恋した ぬまちゃん @numachan

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