昨日、失恋した
ぬまちゃん
第1話 昨日失恋した
中学までは、ぼっちだった。
高校生になって、電車通学を始めたら友達も少しだけ出来た。混んだ電車は苦手なので、朝早く学校に行く。朝早い学校は、シーンと静まり返っていて心が落ち着くから好きだ。
でも、一番好きなのは……こんな朝早い時間にもかかわらず、私と同じように登校してくるクラスメートの彼と、昇降口で挨拶する事だ。
昇降口で、朝の挨拶をする。
ただそれだけだ。
教室に向かう廊下でも、二人で並んで歩いているのに、お互いに一言も喋らない。朝早い教室に二人だけで入って、お互いに自分の席に座るだけだ。
私は、その後カバンから小説を取り出してホームルームが始まるまで読んでいる。時々は、その日の宿題をやる事もあるけれど、朝はユックリと小説を読んでいたい気分だ。
彼は、机に突っ伏して朝のホームルームが始まるまで眠っている。眠っているフリをしているのかしら? と思って、たった一度だけソッと近づいてみた事がある。自分の腕を枕にして、少し空いた口もとからは彼の小さな寝息が聞こえてきた。
寝息を少し聞いた後で、彼を起こさないように、ソーッと自分の席に戻って、小説の続きを読んだ。
その後、クラスメートが少しずつ集まってくる。私の友達が入ってきたら挨拶を交わす。ホームルームが始まり、いつも通りの授業が始まる。
休憩時間やお昼休みでは、彼は男の子のグループと雑談を交わしているし、私も女の子のグループで会話をしているから、お互いに近づく事もない。
理科の実験や特別授業では、偶然となりの席や同じ実験グループになることもある。その時も彼は私に話しかけて来ない。
だけど、今のこんな日々がいつまでも続くといいなあ、と思っていた。
早朝の昇降口の挨拶とそれに連なる二人だけの時間が、私の今のささやかな幸せなのだから。
しかし、その幸せな時間は長くは続かなかった。
* * *
昨日のお昼休みに、男子グループが会話をしている内容が偶然にも聞こえてしまった。
「おい、お前さー、いつも朝早いよなー」
男子グループの一人が話題を変えるように言った。
「俺たちが教室に着く頃にはいつも机で寝てるもんなー」
別の男子がその言葉に反応する。
「そんなに眠いのなら、自分の家でギリギリまで寝てれば良いじゃん」
次々に男子が話し始める。
「なんか、朝早くから来なきゃいけない理由でもあるのか?」
何の悪気もなく、一人の男子が彼に質問する。
「そう言えば、あのソバカスのメガネ女子、彼女も朝一メンバーなんだってな」
彼が質問に答える前に、別の男子が話を割って入る。
「何だよ? その朝一メンバーって?」
別の男子が不思議そうに聞き返す。
「俺もよく知らないけど、朝早くに教室にいる生徒のことを、先生達は朝一メンバーって呼んでるらしいぜ。だって、そいつらは絶対に遅刻しないから先生のお目にかなう生徒なんだってさ」
さっきの男子がぶっきらぼうに答える。
「へー、そうか。俺ら遅刻常連組は先生の目の上のタンコブってことか」
回答に納得した男子は、両手を軽く上げて自嘲気味に笑う。
「話を戻すけどよ、お前、本当は、メガネ女子が好きなんじゃ無いのか? だから、眠いのに無理して朝一メンバーになってたりしてな」
さっきから絡んでくる男子が核心を突く質問を彼にしてきた。
「よせやい。どうして俺がソバカス付きのメガネ女子なんか好きになるんだ」
彼は不服そうに、必死に否定する。
「もっと美人で胸が大きいのならともかく。お前らが考えてるような事は絶対に無いから」
少し間を置いてから、付け足すように答える。
「え? そうなのか?」
意外、という感じで絡んでる男子は素っ頓狂な声を上げる。
「でもメガネ女子、結構ムネあるらしいぞ。脱いだらスゴイって言うタイプじゃ無いか? そこはポイントだろう」
別の男子は、彼と私を無理やり結びつけようと、色々と言ってくる。
「イヤイヤ! そうやって俺にメガネ女子を押し付けるのはやめてくれ。金輪際そんなことは無いから」
彼は、男子達が言うことを少し困ったように懸命に否定し続けている。
「なんだー、そうかよ。少しぐらい何処かに浮いた話は無いのかなー。そう言えば、隣のクラスでは……」
そこから先の会話は、ショックが大き過ぎて聞こえて来なかった。
耳には入ってきたのだろうけど、私の頭はその前の会話を反復するので精一杯だったからだ。
──「どうして俺がソバカス付きのメガネ女子なんか好きになるんだ」……
私は急いでお手洗いに駆け込んで、お昼休みが終わるまで個室の中で泣き続けた。
お昼休みが終わってからも気分がすぐれず、午後一番の授業は途中から保健室のベッドで横になった。ベッドでも涙が出て止まらなかった。
保健室の女の先生は、ベッドの中でひたすら泣いている私に理由を尋ねることもなく、暖かいミルクティーとビスケットを出しながらこう言った。
「ミルクティーとビスケットの件は内緒にしてね。学校にバレるとうるさいのよね。飲み終わったら、空のカップはベッドの横のテーブルに置いておいてくれればいいからね」
さらに続けて優しい声で話しかけてくれた。
「落ち着くまでベッドで寝てて良いからね。見えないようにカーテン閉めとくね」
そういうと、ベッドを覆うカーテンを閉めてから戻って行った。
ミルクティーは本当に美味しかった。わたしの心のキズに深く染み込んで来るように感じた。傷口に『染みる』のだから、きっと私の心のキズを癒してくれているのだ、と思いたかった。
保健室の女の先生の配慮で、結局私は体調不良で午後は早退という事になった。クラス担任の先生も、心配してくださったようだが、泣き腫らした私の顔を見せる訳には行かないので、そのまま保健室から直接家に帰る事にした。
* * *
家に帰って、もう一回泣いてから、夕飯を食べて、お風呂に入る。母親には、私の泣きはらした顔が見えないように、注意しながらご飯を食べた。
湯船の中で、さらにもう一度泣いてから考えた。
そうよね。別に彼とは、『朝早くに挨拶をするだけのクラスメート』なだけ、よね。男の子の好き嫌いは、色々あるんだもん。ソバカス嫌いな男の子もいれば、メガネ嫌いな男の子もいるじゃない。
私だって、太ってる男の子は嫌いだし、ニキビ面の男の子は嫌いでしょ。それと同じ事を彼は男子グループの中で言ったに過ぎないのよ。
私に向かって、言ったわけではないし。私が勝手にコッソリと聞いた会話でしょ。彼は悪くない、絶対に悪くない、私が勝手に舞い上がってただけ。
そういうふうに、湯船で自分に言い聞かせながら、でも何故か涙はとまらなかった。
* * *
そうして今朝を迎えた。正直、朝を迎えるのが怖かった。
それでも予想外に落ち着いている自分が不思議だった。人間て強い生き物なんだなあ、と思った。
今朝、彼に会ったらどんな顔で挨拶するのか? 自分でも分からない。でも、やっぱり彼に会って挨拶したい。
* * *
いつものように、早朝の学校は人気が無くて静まり返っている。今日はその静かな時間が怖いような気がした。
昇降口では、いつものように向こうから彼がやって来る。
私は少し微笑んで、朝の挨拶をするために昇降口で待っている……。
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