私は明日、健康診断を控えている!!
それゆえ、前日は何も食えない!!
にもかかわらず、こんなエッセイを読んでしまった!!!
うなる私の腹の音が、この作品の素晴らしさを物語っている。
「食」の描写もさることながら、店内の様子や、想起される思い出が一層味わいを深めている。
現代人にとって、外食はもはや大した特別感はないのかもしれない。手軽に食べられるインスタント食品や、コンビニ弁当など、「食事」というより栄養摂取に近いような食べ物ばかりあふれる世の中だ。
だからこそ、本作のように「食事」と丁寧に向き合う作品は一層魅力的に映るのかもしれない。
とりあえず、明日の検査の後は、うまい飯を食いに行こうと思う。
いわゆる"食レポ"に、皆さんが期待するものは何だろうか。
店に行くかどうかの参考となるような、料理についての正確な記述だろうか。美味しいものを味わっているという疑似体験に浸るための、躍動感溢れる描写だろうか。あるいは単に食べ物への興味が旺盛で、食べ物の話題ならどんなものでも大好物という人もいることだろう。
では自分の場合は何だろうかと、作品を2周し終えた時にふと思った。
先に挙げたような例は、私にも該当するだろう(そこまで食いしん坊ではないが)。
しかしそれ以上に、私は食を通じて作者の内面、特に作者の歩んできた人生を覗いてみたかったのだろうなと感じた。
上質な料理には上質な作り手が背後にいるように、上質な文章の背後にもまた、上質な作者がいる。
特に"食"という、誰もが毎日必ず接する、生きる上で不可欠なテーマとなれば、書き手のバックグラウンドが大きく影響されることは自然なことと言えよう。
書き手の歩んできた人生の追体験と言うのは、いささか大げさだろうか。
しかし文章には、特にノンフィクションであればそういう性質が本来的にはあるのではないかと思う。富山県の高岡市にも青森県の弘前市にも新潟県の新潟市にも私は訪れたことがないが、本作を読んで自分がその場にいるような感覚を少しばかり覚えた。
そういう感覚を享受できるのは、作者の表現力の高さのみならず、単なる食レポの枠を超えた人生観が散りばめられているからだろう。
長々と小難しい書き方をしてしまったが、単純に読んでいて食欲をそそられる側面もある。多くの方に気軽に覗いてもらいたいエッセイだ。