新潟県
バスセンターのカレー
僕は一度、大学受験に失敗し浪人している。
地元が富山なのだが、富山には寮が付いている予備校がなく、実家を出たかったのもあって浪人時代の一年間は新潟で過ごした。
ちなみに、浪人時代の母校は代々木ゼミナール新潟校だった。
実家を離れたかった一番の理由は、自室に積まれた漫画やゲームの誘惑から逃れるためと、純粋に一人暮らしに興味があったから。
親に寮での一人暮らしを認めてもらうために相当な熱量をかけてプレゼンをした。
一年間の入寮費が割引付きで七十万円だったので、土下座して、何とか新潟に一年間住まわせてもらうことができた。
こうして親の目を離れ、夢の一人暮らしを手に入れた僕は勉強もそこそこに、よく講義を抜け出しては新潟の街を散策していた。
浪人生という肩書を手に入れてから三か月がたったころ、勤勉だった僕の心にわずかばかりの歪みが見え始める。朝食も食べずに、一時間目の授業を受けようと代々木ゼミナール新潟校の玄関に立った僕はその日、踵を返し、駅とは反対の万代橋方面へと歩くことにした。季節は青い空が広がり心地よい風が吹く秋の半ば。
僕は、浪人生特有の切迫と開き直りの混じった同輩たちの談笑を背中で聞きながら、一人、遠くの空を見ていた。
授業をサボるという背徳感は、抑圧された浪人生にとっては大変魅力的だった。小学生の時に内緒で悪戯をした思い出がよみがえった。妙な爽快感に包まれながら、腕時計を見ると時間は九時五十分を指している。
三時間目の授業までは三時間半ある。三時間半あれば、市内の中心部であれば思いっきり遊べる。本屋でぶらぶら立ち読みをするのもいいし、先日新調したヘンケルのペティナイフを試すために果物でも買って寮の洗面所で切って食べてみるのもいい。先日、新潟出身の浪人友達が洋ナシのル・レクチェが名産だと言っていたが、駅の青果店に買いに行ってもいいし、他にも新潟名産を探してみるのもいい。
今日の予定を考えていると、腹が鳴った。今日は、朝食を食べていない。
寮住み浪人生の朝食は、日曜日以外、毎日出されている。寮と校舎がつながっており、いつもは朝食も昼食も同じ食堂で食べている。
ただ、朝は長く寝ていたい浪人生も多く、朝食を食べない人も多い。
代々木ゼミナール新潟校から駅とは反対側に五分ほど万代橋に向かって歩くと、イオンなどの商業施設が立ち並ぶ通りがある。イオンの二階が渡り廊下で方々の商業施設と繋がっており、大きなイベント用の広場まである。
広場では休日によくイベントが開催され、屋台でじゃっぱ汁が売られたり、定番のポテトフライやりんご飴も並んでいる。
そして、広場の隅には新潟限定のファストフード・チェーン店のみかづきがある。
みなさんは、イタリアンをご存じだろうか。
イタリアンとは、新潟のB級グルメである。焼きそばにミートソースがかかったたべものだ。味は、あまじょっぱい中濃ソース地の麺にトマト・ソースの酸味が加わり、面白い味がする。新潟に来た際には是非食べてみてほしい。
広場の一階には、新潟市から東北、関東、北陸各地への交通網の拠点となる万代シティバスセンターがある。
バスセンター入口にはマリオンクレープの屋台があり、甘い香りで誘惑してくる。
奥に入ると、屋内ロータリーの端っこの方に、立ち食いの蕎麦屋と丼屋がある。
『安い、早い、うまい 立喰いコーナー そば・うどん・カレー』と書かれた看板が目印だ。
バスセンター内に直接席が設置されているので、時間になると、隣を走る大型バスを横目に料理を食べるのが万代スタイル。
魅惑的な料理が多かったので、散々迷って、蕎麦屋のカレーを食べることにした。
ちなみに、丼屋は、カルビ丼と冷麺のセットが安くてお勧めだ。韓国料理を日本人好みに合わせた濃い目の味付けで、非常に美味しい。
僕は蕎麦屋の券売機で大盛りのカレーとスープを買い、蕎麦屋の受け渡し口に置く。奥にはおじちゃんとおばちゃんが熟練の手際で料理を盛り付け、あっという間に頼んだカレーが目の前に配される。
僕はカレーとスープを持って端の立ち食いテーブルに赴き、銀色のスプーンを持った。
ここのカレーは、給食のカレーのように黄色い。おそらく小麦粉を多く使っているのだろう。僕は給食のカレーが大好きだったので、見た瞬間、期待でテンションが爆上がりした。さて、味はどんなものかと口に運ぶ。給食のカレーのようなお子様向けのマイルドな味と予想したが、口に入れた瞬間、確かな辛さを感じられた。
とびぬけた辛さではないが、それでも食べ進めるにつれ汗をかくほど辛い。僕は辛い食べ物が好きなので思わず親指を立てた。
蕎麦屋のカレーらしく、カレーのルーに蕎麦に使うかつお出汁が入っているのだろう。うま味成分が抜群に利いている。
カレーの中に入っている玉ねぎやニンジンがちゃんと溶け切らずに残っているのもポイントが高い。そして、何よりもごろっと入った豚バラ肉が何とも言えないくらい旨い。噛めば噛むほどに甘みが出る。
辛いカレーを食べて、口の中が焼けてきた後は、お口直しのスープを一口すする。かつおだしの利いたつゆの中に、わかめとねぎが入ったシンプルなスープだ。
これは、カレーとの相性が抜群だ。辛さで焼けた口の中を、清涼な出汁が流していく感覚は癖になる。思わず、カレーうどんを頼めばよかったと思った。
僕はカレーを食べながら、今まで感じていた浪人生の不安や焦りがどこかに消えているのに気づいた。
勉強だけでなく、こういった息抜きも大切だと思った。毎日勉強漬けで朝から夜まで予備校で勉強。寮に帰っても風呂に入って夜の八時から十時まで自習。
こんな生活を続けていたら精神がおかしくなりそうだった。
浪人生という存在は本当に不思議な立ち位置だと思う。大学で学んでもいないし、仕事をしているわけでもない。一年から数年にかけて、何者かになろうとしている。
厳密には、何者でもないのが浪人生だと思う。
僕は何者でもなく、ただ一年間勉強に費やすという、ある意味人生において無駄な時間を過ごしているという事実に耐え切れなくなり、逃げ出してしまいたい時が度々あった。
志望校に受からなければ何者にもなれないという恐怖。先に大学生になった同級生たちは、サークル活動やバイトを謳歌しているという嫉妬。そして、数字という目に見えるものが自分を追い立てる焦り。そういうものがごちゃ混ぜになったのが浪人生だ。
ただ、この時期があったから今の僕がいると思っている。
浪人生の時に、これから大学に入って何をやりたいのか、自分は将来何になりたいのかを、浪人仲間とディスカッションしまくって自分を見つめ直せたから。
意外と、人生において無駄だと思っていた時間は後の自分に影響を与えると思う。
最後の一掬いまでカレーを食べ、スープを飲み干すと、ほっと溜息が出た。
僕は両手を合わせごちそうさまを言った後、食べ終わった食器を返却口に返し、蕎麦屋を後にした。
バスセンターのカレーはレトルトにもなっているので、みなさんも新潟にお越しの際には一度食べてみてほしい。
お腹も満たされたので、近くのイオンシネマズで映画を観た。“サボタージュ”だった。
結局、三限の現代文もサボり、今日一日を勉強の息抜きにあてることにした。
映画の帰り道、僕は老若男女が楽しそうにウインドウショッピングをしているのを見ながら、途中にあるとらのあなで東方の同人誌を物色し、それも飽きたのでそろそろ勉強しなきゃなと思いながら、夕暮れの道を帰っていった。
思い出食堂~鷹仁グルメ紀行短編集~ 鷹仁(たかひとし) @takahitoshi
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