魚勝のドンコ肝タタキとギンポの天ぷら
先日、会社の伊藤さんと大園さんに誘われ、千葉県の勝浦漁港で
魚勝は亀戸にある居酒屋で、伊藤さん、大園さん、伊藤さんの釣り仲間の高橋さんと僕の四人で来た。
伊藤さんは四十半ば。高橋さんは同じく四十半ばの専業主婦。大園さんは三十代半ばで、その中に混じった二十代若手の僕を含め、なんとも奇妙なメンバーだった。
花金に、仕事終わりの終電で亀戸まで来て、そこからうねりにうねった山道を越えて千葉の南西まで突っ切り、ほぼ徹夜の状態で刺すような冷たさの海風を浴びながら一日中釣りをしてきた体は、やっとのこと終着点に着き、安堵で、骨が抜けたイカみたいになっている。
釣れたのはドンコとギンポ。いや、正確には、僕たちに同行していたハザマさん(伊藤さんの釣り仲間)が釣ったものなのだが、僕たちの釣果がゼロだったため、お情けで譲り受けた。
ちなみに、本来は船に乗ってタチウオを釣っていたはずなのだが、出港直前、風速が十メートルを超えたため、やむなく陸っぱりになった。そのため、叩きつけるような暴風の中、僕たちは今日の夕飯を調達するために釣りをしていたわけである。
と、そうこうしているうちに最初の一杯が運ばれてきた。伊藤さんと大園さんはキンキンに冷えたキリンビール。高橋さんはウーロンハイ。僕は日本酒三種飲み比べを頼んだ。
と、ここで伊藤さんからツッコミが入る。
「タッキー(鷹岡のあだ名)、最初から日本酒?」
二十五歳にして初手日本酒を頼んだので、貫禄があるといじられる。横目で見ながら、伊藤さんが僕の横腹を突く。
「めちゃくちゃ旨いんですよ。このお酒」
薄くなった前髪とでっぷりと出た腹肉を揺らしながらおどけてみせた。
そうこうしているうちに、一杯目のアルコールが運ばれる。そして何故か、若者代表として、僕が音頭をとることになった。
「えー、皆様、本日は釣りに誘っていただきありがとうございました。あいにくの天候不良により、船釣りとは行きませんでしたが……」
「あっはっは! 会社のおエライさんみたい!」
大きなプロジェクトを終えたかのように大げさに前フリをしたところ、僕は、みんなに笑われた。
「それでは、かんぱーい!」
「「「かんぱーい!」」」
僕は、『雪の茅舎――山廃純米大吟醸』のグラスを手に取り、一口、すする。秋田のお酒なだけあり、少々辛口ではあるが、水のように飲みやすく、グイグイいけそうだった。繊細な喉越しが、乾いた体に染み渡っていく。
まるで、冬の秋田の豪雪地帯、誰も足を踏み入れない深山に積もった純粋無垢な雪の味わい。
「おっ、きたきた!」
厨房からお姉さんが、最初の肴を持ってきた。たこわさと、きゅうりの梅たたきである。たこわさは佐藤さんセレクト。きゅうりの梅たたきは大園さんセレクトである。これがまた、どちらも、飲みの導入としては大正解なのだ。
まずはたこわさを口に運ぶ。そして、三種の日本酒のうち二種目の『
さらに、きゅうりの梅たたきの酸味を追加で口に放りこみ、再度酔鯨で流すと、塩っ気が爽やかな梅味の膜でコーティングされ、酒との三重奏を奏でている。
甘みの深いスタンダードな日本酒だ。
「ぐわあ! これは、アルコールの二人羽織やぁ?」
そう言って、雪の茅舎と酔鯨のグラスを両手に持ち、交互に飲み比べていると、伊藤さんたちは爆笑し、僕をスマホで撮り始めた。
そうこうしているうちに、メインが来た。元、有名割烹料理屋で修行していたマスターが捌いた、とれたてのドンコ肝タタキとギンポの天ぷらである。
ドンコ肝タタキは、身が小さいながらきれいなお作りのようになり、細かく刻まれた身に肝が和えられてキラキラしている。また、ギンポの天ぷらは、油できれいに揚げられており、黄金色に光っていた。
まずはドンコの肝タタキ。口に入れると、少し野性味と苦味が広がる大人の味。すぐさま、雪の茅舎で洗い流す。僕はあまり好きではなかったが、伊藤さんたちはめちゃくちゃ美味しそうに食べている。人生、清濁合わせて呑めるようになるのが大人なのだと感じた。
羨ましかった。
ちなみに、伊藤さんは、子どもが二人いるが、離婚している。そして、別居している奥さんに養育費を払っている。たまにお子さんと会っているようだが、どことなく寂しそうな雰囲気を漂わせている時がある。
この店のマスターや、高橋さんとは、伊藤さんの奥さんと離婚してすぐ、近場の居酒屋で黄昏れていたときに出会ったそうだ。当時は釣りが趣味ではなかったのに、そこで釣りに誘われて、一気にハマった。結果、今では月に二回は釣りに行く釣りジャンキーとなる。
そんな悲しい過去がありながら、面倒見も良く、なんやかんや僕を誘ってくれたり、釣り初心者の僕に色々教えてくれたりなど、他人に対し目ざとく気を使ってくださる姿勢は、苦難を乗り越えた大人だから為せる技なのだろうなと、僕は伊藤さんを尊敬している。
続いて、ギンポの天ぷらである。きれいに揚げられた身を口に運ぶと、衣に含まれた菜種油の旨味とともに、ギンポ自体の淡白な脂が醸し出す甘みが口の中に広がり、思わず唸ってしまう。咀嚼すればするほど味がしみる。うまい油使っているんだなと分かる。塩を付けて食べるだけで、白身の甘みがさらに強調され、目が覚めるような味わい深さが押し寄せてくる。
そして、僕は日本酒三種最後のお酒である南部美人を口に含んだ。
南部美人は岩手のお酒だ。先程の二種類に比べて、どこか癖のある複雑な味だった。僕はどこか納得しながら、ギンポ片手に黙って、それをちびちびと飲む。
「なるほど、これが美人ね。確かにいい女だわ」
「なあにが美人だ、若いくせにぃ!」
僕の言葉を聞いて、伊藤さんが僕を突っついた。
「幸せだなぁ」
思わず言葉がこぼれ出た僕を見て、みんな笑ったような気がした。
わざわざ夜から悪路を超えてまだ寒い港へ行き、当初の予定とズレた陸っぱりで風に打たれながらも釣り上げた魚を料理してもらって、癖の強い酒と一緒に楽しむ。
最初、釣りなんてそこまで苦労してまでやることかとも思ったが、今までのすべてが一瞬でチャラになるような瞬間を味わうために人は苦労するのだろうなとも思ったし、それが人生なのだろうなと、ギンポの天ぷらと楽しそうに談笑する伊藤さんたちを見て、そう思った。
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