第8話 可能性は無限大

 3つの数字___110番は押さずに椎名の顔を見た。


「神部さん……?」


 椎名が信じられないようなものを見る目で私を見る。


「えーと、私は先生とご飯を食べました」

「はい」

「ついでにそこそこ喋りました」

「はい」

「先生の言ってることは正直意味がわかんないことが多かったし、私もツッコミまくりました」

「そんなに意味がわからなかったですか?」

「ほとんどが意味不明でした。でも……退屈はしませんでした」

「それはよかったです」

「つまり先生が私にしたことは、私をほかの生徒より贔屓して必要以上に近づいた教師にふさわしくない行為と、未成年を深夜まで遊ばせていたということだけです」

「いえ、その、監禁、手錠」

「よけいなパーツは抜きにしましょう。話がややこしくなります。先生はそれ以上のことを私にしましたか?」

「い、いいえっ」

「私にそんなことをした理由は?」

「愛しているから、です……」

「危害を加えるつもりはなかったんですね?」

「もちろんっ。もちろん!大切な神部さんになんでそんなことができるんですか!」

「はい。わかりました」


 私はスマホを椎名に差し出す。


 椎名の顔が強張った。


「私の家に電話してください。それで、こんな遅くまで生徒を補習させたことを親に説明してください」


 中途半端にスマホに手を出しかけた椎名の目が大きく見開かれる。

 あんなに良く喋ってた口は金魚みたいにパクパクしてる。


 ……やった!勝った!


 何に勝ったかはよくわからないけど、初めて椎名を黙らせてやった!

 

 私は心の中でニンマリと笑う。


「そ、それでいいんですか?」

「うちの親はけっこう厳しいからかなり追及されると思いますよ。下手したら父にぶっ飛ばされるかもしれませんね。でも、覚悟をしてちゃんと謝ってください」

「警察……」

「先生がしたければそちらへどうぞ。……でも私は『私の親に電話をしろ』と言っていますけど」

「か、神部さんが言うのなら僕はなんでも神部さんの言う通りに!」


 椎名がわたわたとスマホを手に取る。スマホはタッチするだけでうちにかかるようにもうセットしてある。


「じゃ、そこをタッチしてください」

「は、はいっ」


 椎名が震える指で画面をタッチした。そして、スマホを耳に当てる。


 椎名の自己紹介もそこそこに、お父さんがガンガン怒鳴る声が受話口から漏れてきた。

 椎名はそれに向かって話しながら、ペコペコと頭を下げている。


 なんだか初めて私のツッコミが椎名のボケに通じたみたいで嬉しい。


「はい。大切なお嬢さんを申し訳ありません。こちらとしても指導の行き過ぎが……はい。はい。今後はよく配慮をしますので……いえ、神部さんは普段はきちんとしたお嬢さんです。はい。かしこまりました。……責任を持ってご自宅まで送ります……もちろんっ、もちろんですよ!そのようなことは決して!神部さんは大切な教え子です!!」


 うくく、と私は笑う。

 お父さんが言っていることの想像がなんとなくついたからだ。


「どうでした?」

「大変ご注意されました……」

「まあそうでしょうね」

「それから、神部さんとお付き合いしているのかと聞かれました……」


 疲労困憊したようにがっくりと椎名が肩を落とす。

 そうだ。少しは疲れればいいのだ。この宇宙人め。


「それでなんて答えたんです?」

「そんなことはない、大切な教え子です、と」

「正解です」

「不正解だったらどうなっていたんですか?」

「私が先生のメガネごと顔面パンチです」


 椎名がはっと顔を抑える。


 そんな仕草もおかしい。

 どうしよう、笑いが止まらない。


「神部さん……?」


 椎名の手が私の背を心配そうに叩く。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫です。すっ……ごく、おかしいだけです」

「よかった……」


 はあ、と椎名が息を吐く。


「何がです……っ?」


 あー、笑いすぎて息が苦しい。


「神部さんがまた笑ってくれた。魔法の時間は終わったのに。僕は……僕は……」


 椎名の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。


「え、ちょ、先生、先生っ」

「法の裁きを受けるのはもちろん、神部さんが望むなら僕は死んでもいいと思っていたんです……夢の代価と……償いに……」

「やめてください。逆に迷惑です。先生は私に一生消えない罪悪感を刻むつもりですか」

「……なぜ?敵が……死ぬのですよ……嬉しくないのですか……?」


 椎名が泣きながら聞く。


「嬉しいわけないでしょう。宇宙人はもっと人間の文化を勉強してください。自分のせいで誰かが死んだなんて、普通は辛くてイヤなものですよ。それが変態ストーカー拉致監禁犯でも」

「僕にはよくわかりません……」

「でしょうね」


 言い放ちながら、私は薬指の赤いワイヤーを引きむしる。

 そしてそれを見せつけるように椎名の目の前で小指に結び直した。


 椎名の顔がぱあっと明るくなる。

 

 ……よし、罠にはまったな、宇宙人め。


「か、神部さん?!」


ワイヤーに伸ばされた椎名の手をはたき落として、私はわざと自分史上最高に綺麗に笑ってやる。


「先生のと結ぶ気はありませんよ」

「そ、そんな……」

「でも。この糸はまだ誰とも結ばれてません」

「神部さん……?」

「先生、今度部活で会うまでに『可能性』という言葉を辞書で引いてきてください。それから人間語の勉強をしましょう」

「え?僕は人間ですよ」

「私の言うことが聞けないんですか?」

「聞けます聞きます喜んで!!」

「ならばよし、です、宇宙人」

「僕はにんげ……」

「それも今後の課題です。課題を二人で考えていくことに異論は?」

「ありません!!!」


 椎名が首がもげそうにうなずく。


「じゃあ私を家まで送ってください」

「はいっ」


 椎名がまた回路の壊れた人形みたいに不気味に首を縦に何度も振って、私を監禁していた部屋の扉を開けた。


 ぱたん、と背後で扉の閉まる音が聞こえる。

 何度も絶望的な思いで聞いたその音。


 でもいまは、全然そんなことはなかった。


 椎名がメガネの奥でぱちぱちとまばたきをしながら、笑い慣れてない人が笑うような顔をして私を見る。

 私はそれをシカトして、「さっさと送ってくださいよ」と椎名を促した。



               ※※※



 後日、椎名が私を誘拐するときに使った薬が、暴れる動物を取り押さえるための麻酔薬だと言うことを知り、今度こそ椎名は私に殴られた。


「私はゾウですか?!ライオンですか?!」

「違います僕の女神です!」

「どこの世界に女神に動物用の麻酔薬を打つヤツがいるか!歯を食い縛れ!!」

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