ちょっと扉開けて現実世界行ってみた

高橋てるひと

STEP1.まずは靴を履きましょう。

 まずは靴を履くこと。話はそれからだ。

 そんなわけで、今、僕の「部屋」の玄関先には、スニーカーが一足置かれている。

 もちろん現実用。物理的実体を持っている。

 入っていた箱には説明書が同梱されていてそこには「現実用です」「靴紐を結ぶ必要があります」「靴紐がほどけることがあります」「物理的実体を持っている製品ですので劣化します」「劣化が進むと壊れます」「壊れた場合はゴミとして提出して下さい」「換金不可」などなどの注意書きがきっちり書かれている。

 もう何て言うか完璧現実用のスニーカーだ。

 今の流行りの仮想的なデザインからは程遠い、現実的でクラシカルなちょっと地味過ぎるデザイン。当然、光ったり音が鳴ったり変形したり生きていたりちょっとした相談に乗ってくれたりもしない。物理的実態を持っているスニーカーなのだから、そりゃまあそうなる。

 検索した店先に移動し、煌びやかな店の片隅にこじんまりとディスプレイされていた見本を手にとって確認した後「これ現実用ですけど大丈夫ですか?」と店員さんから三回程確認されつつ購入した次の日には「部屋」に備え付けられた物理物搬入口から、いつもの現実維持物資に混じって特に情緒も何もなく届けられた。

 さて。

 靴を履くためには、靴紐を結ぶ必要がある。

 靴紐のないデザインの現実用の靴もあるそうだが、それを知ったのはこの靴紐付きのスニーカーを購入した後だったので後の祭りだった。くそう。

 でも大丈夫。

 なんと僕は靴紐を結べる。練習したのだ。

 ちなみに参考にしたのは、開架モードにしたライブラリからブラウジングして借りてきた『超簡単! 現実世界に出るための5つのステップ!』というタイトルの本(ナビ付き)。フィーリングで選んだ。

 そんなわけで、僕は一切の淀みなくスマートにスニーカーの紐を結び終――うん?


 あれ、と僕は思う――なんか絡まったぞ。

 えっ、と僕は思う――こいつ取れない。

 なぜ、と僕は思う――そんな馬鹿な。


 まあ、そんなわけで、スニーカーとの格闘は一時間程続いた。強敵だった。

 本が僕に言った「約束の時間の二時間前には出発することをおすすめします」という言葉を僕は思い返し、成る程こういう不測の事態を予想してのことだったか、と僕は納得する。まだ出発すらしていないような気もするが。

 まったく、と僕は思う。

 現実世界ってのは外に出るだけでも一苦労だ。

 仮想空間で生きる、僕たち人類にからすれば。


      □□□


「――もっと仮想的になりなさい」


 ごく普通に家族制度の契約を維持しているならば、母親辺りからそんな言葉を投げつけられたことがあるんじゃないだろうか。「現実とか子どもみたいなこと言ってないで」という言葉とセットで。ちなみに僕はある。僕の友人もあると言った。

 僕はその言葉について別に何とも思わない。

 まあそうだよなあ、くらいにしか思わない。

 友人はそのことに対しやたらと憤っていた。

 友人はとにかくやたら憤っている奴なのだ。


「別に間違っているとは言わない」


 と、スーツに眼鏡に七三分けといった、今どきなかなか見かけない外見を選んでいる友人は言う。


「俺だって、極端に現実的なことばっかり言っているような奴と仲良くすることはちょっと遠慮したい。現実の人間の温もりがどうこうとオカルトじみたことを言い出す、頭のイカれた連中とはもちろんそっと距離を置く」


「はあ」


 と生返事をする僕はというと、これまた古式ゆかしい金髪ツインテールのメイド服な美少女の姿を選んでいる。ただし、ツインテールは仮想的な最新型。勝手に伸びたり縮んだり左右に揺れたりして感情を表現する。理由はそっちのが可愛いから。


「現実的であることはイコールで子どもで、仮想的であることはイコールで大人という図式が気にくわない。それはあれだ。なんかずるい」


「ずるいて」


 これは面倒な話になりそうだぞ、と僕は本を読むことにリソースを割くことを諦める。僕の趣味嗜好に合わせてリアルタイムで組み変わり、最適化されていく文字列を追うことを止め、栞情報を挟んでから本を最小化。見下ろせばそこにある、ふくよかな胸の谷間にひょいとしまい込む。やはりふくよかは正義だな、と僕は思い、それからいつも通りに妙なことを言い出した友人に、自身のリソースを振り分ける。


「何が」


「子どもであることと、現実的であるってことは違う。全然関係ない。同じように、大人であることと、仮想的であるってことは違う。全然関係ない」


「まあ。そりゃそうかもだけれど」


「なのに大人の連中ときたら、無理矢理に現実的なものを子どもに押しつけて、自分勝手に仮想的なものを自分たちのものだとして抱え込んでいる。卑怯だ」


「卑怯」


「おうともさ。だからもし今みたいに社会が仮想的なもので回っていなかったら――もっと現実的なもので回っているなら、大人は子どもに向かってきっとこう言うぜ」


「――もっと現実的になりなさい?」


 友人の考えを先読みして僕は言うが、友人は気分を害するでもなく、むしろ満足げな顔でうなずく。


「そんなのってさ、馬鹿みたいだろ?」


「まあ、確かに」


「というわけで」


 と、そんなわけで友人は僕に言ったのだ。


「ちょっと現実で会ってみようぜ」


 それでそれでずいぶんと馬鹿げたことじゃないのかな、と僕はちょっと思う。


      □□□


 でもまあ、そんなわけで。

 僕は仮想空間のホームスペースにて椅子に座り、ライブラリから借りてきた『超簡単! 現実世界に出るための5つのステップ!』という本を呼び出す。

 念のために言っておくと、ナビとして付いている三頭身のアホ毛美少女がめっちゃ可愛いかったからではない。三頭身にデフォルメされているにも関わらず彼女の胸がふくよかだったこととも、もちろん一切関係ない。ふくよかがどれだけ正義だったとしても、それとこれとは別の話である。

 トップページに描かれた美少女のデフォルメイラストを、指先でクリック。僕は良識のある人間なので、ふくよかな胸を押したりはせず、アホ毛の部分を押す。


『まずは、すてっぷわん!』


 と叫びながら、ぴょん、と女の子が飛び出してきて、


『まずは「靴」を履きましょう!』


 と超可愛い声と仕草で告げる。


『外に出るには靴を履かなければならないのです。素足で地面を歩くと足が痛くなりますからね』


 と説明する女の子の台詞に合わせ、本のページもくるりと次に進む。


「えっと」


 と僕は女の子に言う。


「貴方のお名前は」


『ツー子です! フルネームは波初・ツー子。波に初めてと書いて当て字で「はう」と読みます! これから貴方が現実世界に出られるようにびしばし教えてあげますからね! よろしくです!』


 といって、めっちゃ可愛いポーズを決めるツー子。それに合わせてアホ毛がぴょんぴょんと揺れる。ついでに胸も揺れた。


『返事は!? 返事はないですか!?』


「はい」


 それに対して「よろしい!」と彼女は返事を返してくる。今どきの本は読者に応じて柔軟に中身を変える。ナビ付きともなると疑似人格だって普通に有する。


『というわけで靴の履き方を説明します!』


 よろしいですかよろしいですかー、とツー子は指を一本立て、ふくよかな胸をぽよんと張って僕に告げる。


『現実では、靴を替えるには、靴を履く必要があります。つまり一定の技術を必要とします。仮想空間のように切り替えとかできません』


 確かに言われてみればそれはそうだが、言われるまでは気づかなかった。

 なるほど、現実ってのはやはり厄介だ。


『靴には靴紐が付いていますよね?』


「ええ」


『靴を履くためには、この靴紐を一旦解いて、靴の中に足を入れて、それから靴紐を結び直す必要があります』


 へえ靴紐ってあれただの飾りじゃなかったんだ、と僕はちょっと驚いて検索。なるほど、確かにそのような情報が出てきた。検索すれば簡単に知れるようなことでも、興味の範囲外にあるせいで僕たちが知らないことは結構多い。


『では、練習用のプログラムを起動します。強制的に靴を練習用のものに切り替えさせてもらいますが、よろしいですか?』


「はい」


 と頷くなり、僕の履いていたぴかぴか光ってぽむと可愛い音が鳴る仮想的なデザインの靴が、現実的なデザインのクラシカルなスニーカーに切り替わる。矢印が出現して靴紐の部分を指し示し、紐の一部が赤く光って手で掴む場所を僕に教える。


『では、指示通りに手を動かしてくださいね。何度か繰り返しますよー』


 と、ツー子に靴紐の結び方のレクチャーを受けながら、やれやれ現実ってのは随分と大変なんだな、と僕は思う。


『それにしても』


 と、ツー子は僕に尋ねる。


『どうして現実に行きたいんです? いえ、別にプライベートなことなら答えなくてもいいですけれど』


 どうやら、読者アンケートらしい。

 つまり答えなくても別によかった。

 が。


「友達と会いたいんです」


 と僕は答える。

 別に素敵に揺れるツー子のふくよかな胸につられたわけではない。そうじゃない。


「変な人でしてね」


『へえ。現実でデートですか』


 そんなツー子の言葉に、僕はたぶん間違いなく変人に分類されるであろう友人のことを思い出しつつ「うーん」と三秒ほど悩んでから、


「そんなところです」


 と、答えておいた。

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