STEP3.注意書きを乗り越えましょう。
最難関だとツー子は言っていた。
成る程、と僕はその意味を今理解する。
注意書き。
扉の前に僕が立った瞬間、「扉の外はこんな風に危険ですよ」という文章が扉の表面に、如何にも危険でございと言わんばかりの強烈な黄色と、けたたましい異音と一緒になって表示された。
一つではない。
注意。注意。注意。注意。注意。注意――
次々と現れては様々な理由を持ち出して「外は危険ですよ危険ですよ危険ですからねちゃんと言いましたから外に出たら自己責任ですからね!」と口酸っぱくまくし立て、外に出ようとするこちらの心をへし折り叩きのめさんとする、注意書きの群れ。
ぐい、と。
それをにらみつけながら扉に手を掛ける。
ぶん、と。
表示される注意書きの数が膨れあがった。
危険しか感じない黄色から、もっと危険しか感じない赤色に変わる色。響き渡る異音のトーンが一段階大きくなり、鋭さを増して僕の耳をつんざく。
それでも、と自分自身に言い聞かせる。
僕たちは外に出ることができるのだと。
言い聞かせて、手に力を込め扉を開く。
そして僕は、現実世界に足を踏み出す。
□□□
現実世界に出ることは禁止されていない。
なぜって、別に禁止する必要がないから。
現実はあまり人気がある場所とは言えない。よほどドラマチックな事情がなければ、デートの場所に選んだりすると大変なことになるとツー子が言っていた。
注意はされる。
比較的危ないですよ、と。
行くなら自己責任で行ってくださいね、と。
何かがあって怒る人が出た場合、そんなときに「でも注意しましたので」と笑顔でスルーするために必要とされる。
現実世界になんて、よっぽどの物好きぐらいでなければ、わざわざ行く理由がない。僕たちはよっぽどの物好きということになる。
「なあ、知ってるか?」
と、そんな物好きな友人は言う。上半身を盛大に露出したほぼ裸のザ・あらくれもの的な覆面姿で。その大胸筋はふくよかと言えなくもないのかもしれなかったが、僕の好きなふくよかとはだいぶ違う。
ちなみに僕の姿はとんがり帽子を被って杖を手にした、ぱっと見地味なようで、よく見るとやけに露出が多い衣服を纏ったふくよか魔女っ娘。
「『引きこもり』ってのはだな」
と、友人は話を続けてその大胸筋を揺らす。
僕は「うん」と頷きふくよかな胸を揺らす。
「元々、今みたいに偉い人を表す言葉じゃなかったんだぜ」
それは検索をかければ普通に出てくる情報だ。でも、もちろん僕はそんなことを知らなかった。普通の人間は、そんなことをいちいち検索したりしない。友人はする。
引きこもり。
仮想空間がまだ仮想現実空間と呼ばれていた、まだ「部屋」が存在しなかった時代に、個人所有の住宅から四六時中仮想空間に接続し開拓を続け、現代社会の礎を築き上げた偉大なる先人たち。教科書にも載っている。親には「貴方も『引きこもり』みたいな立派な人間になりなさい」とか言われる。
ただし、検索結果によると、彼らが生きていたその当時「引きこもり」というのはあまりポジティブな意味では使われていなかったらしい。何でも、個人所有の住宅から自身の肉体を現実世界に出さないことは、あまりよろしくないとされていたらしい。ちょっと意味がわからない。今では普通のことなのに。
「まあしょうがない」
と友人はあっさり言う。
「昔は仮想空間が発達してなかった。『現実の人の温もり』云々の迷信が本気で信じられていた時代だ」
「なるほど」
「――でも、時代が変わると、言葉の意味は変わる」
「それが気にくわないと」
そうじゃない、と友人は覆面頭を振る。
「ただ、そのことに誰も彼もが無自覚なのが、なんか気にくわないってだけ」
だから、と友人は大胸筋を揺らしてこう続ける。
「今はろくでもない意味で使われている『現実』だって――はたして、どう転ぶかわからないぜ」
□□□
『注意書きを乗り越えましょう。根性で』
とツー子は人差し指を立てて僕に言った。
『あれは一種の呪文のようなものです。あの大量の注意書きを前にすると、人間は怯み立ち止まってしまいます。そして「別に今行かなくてもいいか、また今度にでも」と放置している内に、現実に行こうとしていたことなんて忘れてしまいます』
こいつは鍵なんか掛けるよりもずっと強力なバリアなのです、とツー子は続ける。
『法的に禁止されていないってだけで、現実に行くことのハードルはめっちゃ高いです。ぶっちゃけ、今のこの世界は、かつての世の中の基準に照らし合わせれば、割と結構ディストピア的です』
「僕らはこれで楽しくやってますが」
『まあ、何事も程々が一番ですからね。ちょっとディストピアちっくだけどそこまでディストピアでもないってのが、今の世の中が上手く回ってる理由ではないかと』
「随分とゆるいディストピアですね」
『ゆるディストピアですね』
「でも、そもそも」
と、僕は彼女に聞く。
「現実世界に行く意味なんてあるんですかね」
『そのための本である私としては「もちろんですよ意味なんてありまくりです。現実に行けば学業も仕事も全て順調プライベートでも異性にモテモテですよ」とでも吹聴したいところですが――』
「胡散臭いってもんじゃないですねそれ」
『でしょう? だからまあ、そういう個人的なあれこれを抜きにすれば、私みたいな一介の本として言えることはですね』
と、ツー子は片目を閉じる。
『それは貴方自身で考えるべきことですよ』
「……突き放してきましたね」
『それはまあ、本ですから』
今どきの私たちはこうしてちょっと喋ったりもできますが、とツー子は言う。
『それでも結局、私たちにできることは、誰かに読んでもらうことだけです――考えたり答えを出したりするのは、いつだって貴方たちですから』
「……そうですね」
『もし現実世界に行くことが無意味だと思ったら、貴方はここで私をぱたんと閉じることだってできるわけです』
けれども、とツー子は僕に告げる。
『でも現実世界に行くことを無意味だと思わず、この先も私を読んで頂けるならば』
アホ毛をぴょこぴょこと揺らし、
ふくよかな胸もぽよんと揺らし、
めっちゃ可愛いポーズを決めて、
ツー子は告げる。
『残り二つのステップも、どうぞよろしく』
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