「チョキチョキ……」


 美波は皿一杯の焼きそばをペロリと平らげ、律義に手を合わせ『ごちそうさまでした』と言った後、居間の方に走っていった。そして、また色紙を花の形に切り始めたので、僕も洗い物を程々に彼女の傍でその様子をじっと眺めていた。


 ニュース番組が夜の八時五十五分を知らせる。

 僕はテーブルの卓上時計を見て、デジタル文字の八時五十五分を確認する。

 

 姉さんは今日はもう美波を引き取りに来ないのだろう。僕の家は大学の近くにあって、姉さんの家から車で一時間は掛かる。ゴールド免許を盾に優良運転者と威張る姉さんはいつも無茶な運転(少なくとも僕にはそう見える)をして、五十八分、五十七分……とそのわずかな差を縮めてきた。だけど、僕からすれば若干一時間という点に変わりはない。


 でも、こんな時間だ。今から車を飛ばしてくることはないだろう。


「…………」


 美波が色紙に顔を近付け、目をこらしている。

 どうやら今度はうんと小さい花を切りたいらしい。


「チョキチョキ……」


 彼女は紙の端から狙いを定め、五つの花弁でできた小花の形に切り取っていく。もちろん下書きはない。それでも、どの花も花弁が綺麗に弧を描き、一つとして花に見えない花はなかった。


「凄いね、美波。それどこで覚えたの?」

「…………」


 ふと美波が顔を上げ、虚ろな目をする。

 

「美波?」


 彼女の視線の先を追っていくと、テレビ画面に辿り着いた。

 番組と番組の合間の五分間のニュース番組。キャスターが機械的にニュース原稿を読み上げた後、九時の時報と共にゆっくり礼をするところだった。

 一瞬、ほんの一瞬、美波がこっちを見た。気がしただけだった。美波を見ると、彼女はテレビに釘付けになっていて、なんてことのないコマーシャルを見ていた。


 ――――――おかあさん、どこ?


 また、それを聞かれた気がした。


 さっきはそれとなく躱したのだ。

 あまり詰められても上手く答えられない気がしたから。


「美波……、このCM、そんなに気になる?」


 十五秒のコマーシャルはとうに別のコマ―シャルに変わっていた。だから僕の質問はどのコマーシャルに対する質問なのか分からない。だから、彼女からしっちゃかめっちゃかな回答が来ることを期待した。


「気にならない」


 彼女は今度は確かに僕の目を見て答えた。


「そっか」


 美波は明らかに僕と会話をしたがっていた。

 少しでも会話を延ばして僕から姉さんの情報を聞き出したがっていた。ニュース番組の時刻を気にする素振りを見せたのは、僕に『こんな時間になってもお母さんが現れない』ことを伝えるためだ。

 

 そして、『お母さん、いつ来るの』ではなく、『』と訊いたのは姉さんが既にここに来れないことを知っているからだ。


「美波、おはか作ったよ」


 美波は手にたくさんの〝花〟をすくって僕に差し出した。


「お墓がどうしたの?」

「お母さん、言ってた。おはか作ったらじいじとばあばが来るって」

「お墓でじいじとばあばには会えた?」

「会えた」

「そっかあ。それじゃあ……、お母さんに会いたいからお墓を作ったの?」

「そう」

「美波は親孝行だね」


 僕は美波の柔らかい頭を撫でる。

 美波はくすぐったそうに僕の手を払いのけて、


「まだ おはか いる?」


 小首を傾げて、そう言った。



 ---------------------- キ リ ト リ セ ン -----------------------



 美波、ごめんな。

 

 どうしようもない叔父さんの懺悔を聞いてくれ。

 

 僕は、二番より一番が好きだ。第二志望じゃダメだった。今の現状が物語るように。第一志望に死んでも行きたかった。憧れの圭一さんに少しでも近づきたかった。でもあの人は僕を嗤った。あの人自身が僕を良い様に作り上げたくせに。壊す時はあっさりだ。だから、あの人の言うようにすくらいのことをやってのけたわけだ。いま勉強しないと僕は人をコロさなきゃいけなくなる、と自分に言い聞かせる。そうして自分を律することを教えてくれたのは、あの人自身だ。


 僕は、あの事実を誰にも知られる訳にはいかなかった。姉さんに殺害現場を見られていたなんてとてもショックだった。だけど、それは、現場を見られていた事実に対してではない。夫が殺される現場を見ていながら、それを隠蔽しようとしていた事実に対してだ。

 姉さんは圭一さんの浮気に気を悪くしたようだが、僕は姉さん自身も浮気をしていることを知っていた。というより、姉さんは僕に対して特段隠し立てをするつもりはないようだった。(美波を実家に預けると怪しまれるという理由で)彼女はよく僕の家に一人娘美波を置いていった。そして、浮気相手の家に向かい車を飛ばす。連夜、二分も三分も時間が縮んでいくのは、少しでも早く逢瀬を重ねたいからか、それとも、圭一さんが帰ってくる前に家に帰りたいからか。そのどちらにしても許されるべきことじゃなかった。

 だから、コロしてやった。こんな夫婦の間に生まれた美波が可哀そうだと思ったからだ。



---------------------- キ リ ト リ セ ン -----------------------




 美波が生まれて間もないころに圭一さんはした。

 

 そして今日、姉さんをも亡くし、美波は孤児となる。


 だから、僕が親代わりになる。


 この子を立派な大人に育ててみせる。



「よーし、美波」


 僕は大きく息を吸いこむ。


「おはか、いっぱい作ろうか」


 美波は物憂げな顔をして、でも明るく振る舞おうとする叔父の寂しそうな表情を見て、ふっと微笑んだ。


「たくさんおはかを作った後にね」


「うん」


「他に切って欲しい物があるんだ」


「……うん」



 チョキチョキチョキ……、チョキチョキチョキ………。





(一夜のキリトリセン 終わり)













 



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一夜のキリトリセン 白地トオル @corn-flakes

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