第30話 カテドラルのエルバ 2 


 フューレンプレアはその後、聖女としてカテドラルで絶大なる影響力を振るった。


 にえの王国の真実が人々の前に示されることはなかった。


 彼女は分断の王の呪いを打ち破った英雄のうちの一人としてたたえられた。


 一方で、贄の王国は無条件におとしめてよいものとして、人々の間に存在し続けた。フューレンプレアもまた、贄の王国のあやまちを断ずることで自身を正当の立場に置くことを躊躇ためらわなかった。


 ヒトハミはなかなか姿を消さず、彼女をペテン師と呼ぶ声もまた絶えなかった。


 多くの尊敬と侮蔑、おもねりと中傷をその身に受けながら、彼女は毅然きぜんと権力の座にあり続けた。


 ヒトハミの被害は徐々じょじょに数を減らし、マイの穂が重々しく頭を垂らすようになった。


 花が咲いた年に、彼女は権力の座を降りた。公人としての彼女の最後の言葉は、次のようなものだった。


「花を見に行ってきます。」




 ゴートはカテドラルに戻るなり挨拶もせずにニトに乗って行方をくらまし、その後エルバたちと再会することはなかった。


 彼がどこへ行ったのか、誰も知らない。


 西へ向かったという噂だけが、まことしやかに囁かれた。




 マッドパピーは英雄という存在に名を連ねてヘリオで権力を手に入れ、それをあますことなく使って好き勝手な研究に没頭した。


 彼の発見と発明は人々に多くの恩恵と被害、無駄と余力を与えて辟易へきえきさせた。


 周囲の評判はさておいて、本人は極めて幸せそうであった。




 その日、エルバはいつもの城壁の上に立って、遠くの景色を見つめていた。


 城壁に吹く風の匂いが、いつもと異なっていた。


 そこから見える色彩しきさいも、常とは違う。


 朝霧の向こうの丘に、うっすらと緑が広がっていた。


 忘れ果てていたその色と匂いを知覚した途端、眼の奥から熱いものが込み上げて来た。


 ふと気配を感じて隣を見ると、白の魔法使いが立っていた。


 驚くエルバに視線をやって、白の魔法使いはにんまり笑う。赤と黄色の瞳の中に、緑の光がくるりと回った。


「お久しぶりです。」


 エルバは驚きに跳ね回る心臓をなだめて、かすれた声で挨拶をした。


 久しぶり、と白の魔法使いは親しげに言った。


「一体何の御用ですか?」


 エルバは冷ややかな声で問いかけた。初めの驚きを脱してしまうと、心はすっかりいでいた。


 白枝の剣はどうした? 白の魔法使いはエルバに問うた。


「ヘリオの湖に捨てましたよ。僕にはもう、必要のないものです。」


 それは勿体ない、と、白の魔法使いは超然ちょうぜんとした雰囲気に似合わぬ庶民的な発言をした。彼が突然身近な存在になったような気がして、エルバは戸惑った。


「……僕に剣と力を与えてこの世界に送り込んだのは、何故なぜだったのですか?」


 エルバは緑の丘に目をやって、白の魔法使いに問いかけた。緑の復活を喜ぶ人々がちらほらと丘に集まって、新芽の上で小躍りをしている。


 特に理由はない、と白の魔法使いは答えた。


 呆れるエルバに、白の魔法使いは純白の小枝を一本差し出した。小枝は見る間に形を変え、一本の白い剣となった。


 これを君にやろう。白の魔法使いはからかうように言った。


「僕にはもう必要のないものです。」


 エルバはきっぱりと答えた。白の魔法使いは温かい笑みを浮かべて、そうかと頷いた。そしておもむろに城壁から身を乗り出し、真っ逆さまに落ちて行った。


 エルバは慌てて城壁から身を乗り出したが、彼の姿はどこにもない。


 確認に降りようと踏み出した足が、何か柔らかいものを踏んだ。


 足を退けると、城壁を構成する石煉瓦の隙間から、鮮やかな緑が顔を出していた。


 踏まれてもなお懸命に、光に向けて葉を伸ばしている。


 懐かしい匂いをはらんだ優しい風が、エルバの髪をかすめて流れた。


 城壁の下にも、白の魔法使いの姿はなかった。


 白い花が一輪、力強く咲いていた。

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花の贄 文月(ふづき)詩織 @SentenceMakerNK

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