最終話 ヒトであるために




「何をしに来たんだ、昨日の今日で」

「友達に会うのに理由がいるのかよ?」


 よっこいしょ、と僕はカプセルの前に座りこみ、コンビニの袋を物色する。

 中から缶ビールを取り出して、勢いよく開けた。

 開け口から泡が溢れ出してきてしまい、僕は慌てて口を缶につけて泡の飛散を食いとめた。ぎりぎりこぼれずに済んだようだった。

「あー、危なかった。そしてうまい!」

 言いつつ、そのままぐびぐびと飲んだ。

 円盤形のお掃除ロボットが部屋の壁沿いを巡回しているのが目に入る。そこも自動なのか、と感心するが、こぼしたらあのロボットに襲われるかもしれないなと少し恐怖した。

 だが、喉を通る泡が苦しいくらいに心地よかった。

「ぷはー!」

「…………理解不能だ」

 ぼそりと足利あしかがの声が聞こえた。

「ん、なんだって?」

「目の前の現実が見えているのか? 昨日は機械に繋がった私を見てショックだったようだが。今日にはこの場所に再び訪れた。しかも酒まで持ち込んで。一体何がしたいんだ」

「さっきも言っただろ。僕は友達に会いに来たんだ。そしてこうして向かい合って話すからには、酒くらい必要だろ。まぁ、お前は飲めないだろうけどな。かわいそうに」

「…………」

 呆れてものも言えない、という雰囲気がありありと伝わってくる。

 それはそうだろう。

 僕だって自分が何をしたいのかわからないのだから。ただ、したいと思ったことをそのまましているだけだ。深い考えなどない。直情的、というやつだ。



 僕はビールをあおってから、天井を見つめる。そして世間話を始めるように、なんの変哲もないトーンで話しかける。

「まさか、お前が本当に『心臓をエンジンとした機械』になっちまうなんて思いもしなかったよ」

「ホッブズの言葉か。あれから、少しは勉強したようだな」

 足利はすぐさま反応した。しかし上から目線の言葉に少しムッとしてしまった。

 こいつめ。倉木くらきはもっと感動してくれたぞ。

「まさか命をかけてのホッブズ推しだとは思わなかったよ」

 推しって言うと好きなアイドルの話をしていると勘違いされるかもしれないが、残念ながらホッブズはおじさんだ。

「そういうお前は誰推しなんだ、白井しろい

 修学旅行の夜みたいな質問をするんじゃない。お前の推しメン誰だよ、的な。

 僕は大仰に腕を広げて答えた。

「我思う、ゆえに我あり」

「デカルトか。お前らしいな」

「僕は思い知らされたよ。目の前にはスパコンに繋がった人間。政府に委託された街づくり。もう十代でも学生でもなくなって、社会人になって、ちゃんと世界を見ている気でいたけど、僕の知らないところでいろいろなことが進んでいる

 すべてが疑わしくなっちゃうよ。

 でも、今僕はちゃんと物事を考えているぞ。『考えている僕』は確実に存在している。それが真理であり、自分って存在を信じられる根拠だ。

 人間である、自分がな」


 僕の言葉を聞いて、足利は黙ってしまった。彼があのスパコンの脳みそを使って何を考えているのかはわからない。哲学に関しての様々な検証を行っているのかもしれなかったし、ひょっとしたら単にフリーズしただけなのかもしれなかった。まぁそれはないだろうけど。

 だけど、人間が長い長い歴史の中で必死に考えてきた事柄だ。機械に簡単に答えを出されたらたまったもんじゃない。

 哲学を語るには、スパコンですら役者不足なのかもしれなかった。

 そう考えると僕は少し気分が良かった。

「これからテトラシティを管理していく奴がそれじゃあ、かっこつかないぜ」

 僕は冗談めかして言う。

 言葉通り本気で言っているわけではなかった。足利と、奥のスパコンなら街一つの管理くらい可能だろう。そんなの朝飯前なのかもしれない。

 だから、足利の反応は予想外だった。

「ふっ、そうかもな」

 足利は鼻で笑った。

 ……笑った?

 しかも自嘲気味に僕の冗談を肯定した。

「確かにこの程度で悩んでいるようでは、オレにはすべてを管理するのは難しいかもしれないな」

 意外だった。

 僕はてっきり「問題ない」ときっぱり言い放つと思っていた。

 足利自身も不安感じているのだろうか。テトラシティを管理するということに関して。

 だが。

「勘違いするなよ、白井」

 足利は笑い口調で続けた。

「オレにこの国の管理は難しいかもしれないな、と言ったんだ」

「…………なんだって?」

 この国――だって?

 何を言っているんだこいつは。

 今度は僕が黙る番になり、足利が続ける。

「街一つ管理するのには全く問題ないだろう。だが、この国全体までこのシステムが広がった時には、さすがにオレだけでは厳しいだろうな。まぁその時までにはAIも使える程度には成長しているだろうから、問題はないだろうな」

「おい、待てよ。どういうことだ、それは」

 鼓動が激しくなってきた。

 国全体?

 システムが、国全体に広がる?

「なんだ、気づいていなかったのか、白井。テトラシティは布石に過ぎない。政府が本当に狙っているのは、AIによる全国民一人一人の監視と管理だ」

 監視。

 管理。

 不穏なワードが続く中、足利はさらに饒舌になっていく。

「生活の中にAIを導入すれば、家事、運転、エネルギー効率、人間関係……生活におけるすべての面で効率化が可能になる」

「ああ。それはテトラシティのシステムだな」


「そうだ。同時に政府は、いや、政府内部のAIは、その人間一人一人の性格や趣味を把握できる。それによって向いている職業の斡旋や好みの異性との引き合わせも可能になるだろう。無職の人間はいなくなり、少子高齢化対策もできる」

 足利の語りは止まらなかった。

「人間個人個人のの思考能力、学習能力に優劣があるのは当然だが、AIによる、個人に合った学習プログラムを受けることで優劣の差を縮めることも可能だ」

 彼の言葉はよどみなく抑揚もなく、定型文を流し読みしているようにも聞こえたし、嬉々として語っているようにも聞こえた。

「人々が悩みなく労働、生活することによって犯罪は減り、GDPは順当に増える。未来の見通しがきく理想的な国家の完成が見えてくる、というわけだ」

「お、おいおいそんなの……」

「国民は政府に促されるまま生活すればいい。何も考えずに幸せになれる。そんな理想郷を、実現できるかもしれないのだ」

 それが。

 それがこのプロジェクトの全貌……?

 政府が主体となり、AIによって国民を管理。そして国民はその政府を妄信して生きていれば、勉強も、仕事も、結婚も、家庭生活もうまくいく。


 それは。

 それはそれは。

 幸せになれるのかもしれない。

 国民総活躍社会の国家になれるのかもしれない。


 いや。

 けど。

 だけど、だ。

 そんなの、生きていると言えるのか。

 好きなことを勉強できず、好きな道にも進めずに、好きな人じゃなくて気が合う人と結婚する。

 そんな個人思想の許されない人生、楽しいのか。

「みんなが自由に生きられなくなる。そんな未来でいいのかよ?」

「苦痛に悩み心をすり減らしながら生きていくよりはマシなんじゃないのか? 人間は無駄が多すぎるからな。思い悩む暇があったら前進すればいい。進んだ先で何かが見えてくるかもしれないというのに、立ち止まっていつまでもウジウジ悩んでいるのは非効率だろう?」

 そんな……そんな言い方ってないだろう。

 そりゃ、楽して生きていけるならそれでいいのかもしれないが。

 うまくいかないのが人間で、悩むのも人間だろう。

 人間が人間らしい生き方を放棄するなんて、そんな悲しいことはない。

「許せないな……」

 感情が、口からこぼれた。

「何だって?」

「許せねえよ。そんな政策を考えた奴が。そんなの、国民に、人間であることをやめろって言っているようなもんだろう? どんな苦労もない人生を送ったら、そんな発想ができるんだ……」

「…………すまないな」

 謝った。

 足利が、だ。

 別に足利に謝ってほしいわけではないのだが、と思っていると、彼はそのまま続ける。

「オレなんだ。この政策を考えたのは」

「…………は?」


 政策を、足利が考えた?

 政府の政策を、なんの変哲もないサラリーマンが考えたってのか?

「おいおい、そんな。誰かをかばって言っているのか? そんな必要ないんだぜ?」

「嘘ではない。オレが考えたんだ」

 すまない、とまた謝ってから、足利は説明した。


 1年位前のこと。

 足利はある政府高官にメールを送ったらしい。

 ある政府高官とは言うが、誰か一人に送ったわけではない。

 メールの内容を実現可能な人物――心当たりがある人間に一斉に送ったのだ。国民をAIが管理し統制する社会の構想、いや計画書を。

 そこからは本当にあっという間だったそうだ。

 効率的に運べるようにメールを送ったらしいが、それにしてもあっという間だったそうだ。

 それはそうだろう。たった1年でここまで大きなことになっているのだから。魔法でも使ったんじゃないかと思えてくる。


「じゃあ、お前は……お前が望んで、今機械に繋がれているってことか?」

「そうだ」

 僕が唖然としながらした質問に、軽々と答えた。

「政治家とコンタクトしたのち、企業たちが動いた。そして巨大勢力を誇る玖宝院くほういんグループも動き出したことで、物事は一気に加速した。まさか、娘のみどりが直接オレに接触してくるとは思いもしなかったが」

 そして彼らは付き合い始め、春には僕と足利が同じチームになり、プロジェクトに携わるようになった。

 僕の知らない裏では倉木くらきも翠さんも協力しながら、足利とスパコンを繋ぐ準備をせっせとしていたということか。

「念のため言っておくが、翠と結婚したのは、別に政略結婚でもなんでもないぞ。本当にお互い惹かれ合ったというだけだ」

「…………。いいよもうそれは。なんだよそのノロケ全開の弁明は。悲しくなるからやめろよ」

「すまない」

 謝るんじゃねえよ。

 さっきの「すまない」と同じ沈鬱さテンションで謝るな。

 泣くぞ。

 ここで昨日のあおいちゃんみたいに泣いてやろうか。


 と、そういえば。

「葵ちゃんも、その一人になるんだぞ。国のお偉方に意のままに操られて、好きなように育てられる。そんなんでいいのか、お前は」

「葵か……」

 少し悩むかと思ったが、足利は間髪入れずに答え始める。

「娘が幸せに生きていけるのなら、オレも本望だ。悩んだり悲しんだりする姿を見たくないというのは、お前も理解出来るところだろう?」


 足利の言葉を聞いて、僕は少しイライラした。

 なんだその言い方は。まるで他人事みたいな言い方じゃないか。

 足利おまえの意見じゃなくて、一般的な親としてはそういうもんだろう、みたいな言い方じゃないか。

「僕には出来ないな……!」

 イライラした感情のまま、僕は言葉をぶつける。

政府ひとに命令されるまま、他人ひとのために自分の全てを捧げて、人類ヒトの未来を創っていこうとするなんて。他人ひと他人ひと、自分は自分だろう。他人のために自分を殺すなんて――」

「オレは、そんなことすら考えていなかったんだと思う」

「……え?」

 力ない声だった。

 今までの抑揚のない感じとは違う。いや、変わらず抑揚はなかったのかもしれないが、僕には一際沈んだ声に聞こえた。

「オレはただ、効率的に生きることができればそれでよかったのかもしれない。自分のためとか他人ひとのためとか意識するわけでなく、周囲の人より、自分の方が早く良く仕事をこなす自信があった。そこに快感を覚えたんだ」

 それが趣味だったんだ、と足利は続けた。


「読書をしたいとか、映画を見たいとか、ランニングをしたいとかと同じだ。オレは効率的に物事をこなしたい。そのために人生を捧げるなら本望だし、今はそれができている。今のオレはそれでいい。お前は理解できないだろうがな」


「…………」

 そう、だったのか。

 僕は、根本的なところで間違っていたみたいだ。

 僕は足利のことを尊敬していた。人間として生きている時からだ。

 そして今こんなことになっても、その気持ちは変わらなかった。どころか、感謝と、労いの気持ちが重なっていたんだ。

 こんな境遇に追いやられて大変だろうに、と。

 自分の身体を犠牲にするなんて僕には出来るわけがない、と。

 そう思っていたのに、彼の認識は違うようだった。

 自分で今の境遇に持ち込んで、今も自分の望むままに動いている。


 それはどこまでも独善的なものなんじゃないか――?

 奥さんを、娘さんを、すべての国民を政府の、自分の意のままに操るのが、本望なのか。


 僕は、恐怖を覚えた。

 そして、僕はその場に立ち上がる。

「いつか必ず死ぬと思い知らなければ、生きていると実感できない」

 僕は最近覚えた一説を言葉にした。

 当然のように、足利は知っているようだった。

「それは、ハイデガーの思想か」

「人間は必ず死ぬ。それ以外にも、生きていればいろんな『悩み』や『不安』を抱えることになる。『不安』を感じるからこそ、人間はそれを乗り越えようと頑張れるんだ。『死』を感じるからこそ、人間は『ほんとう』を生きたいと思えるんだ。悩みや不安のない人間なんて、ただ感情のない機械と同じだ」


「そんなの、生きているなんて――言えないだろ」

 僕は足利を睨みつけて言葉を続ける。


「なぁ、聞かせてくれ。テトラシティの“テトラ”って、“4”って意味だよな? なんでテトラシティなんて名前にしたんだ?」

「なんだいきなり。なんの話だ?」

 話がコロコロ転回する僕の言葉に、さすがの足利もついてこれないようだった。


 テトラシティ。

 ヒト、土地、エネルギー、AI。

 その4つで構成される未来型実験都市――プロジェクトの概要ではそう説明されていた。

 だが、どうもそれだけとは思えない。

「世界にはさ、テトラって種類の魚がいるよな。観賞魚として日本でも愛されているらしい。その意味も、込められているんじゃないのか?」

 実験的都市(四角テトラの水槽)の中で生活する実験体(観賞魚テトラ)たち。

 洒落が利いているじゃないかよ。

 それを眺めて楽しむ足利おまえや政府の役人たち。

 さぞ楽しいだろうな。

 まるで等身大の育成ゲームをするみたいで。


「白井、お前何を考えている……?」

 抑揚のない声で足利は言う。

 だが、僕は答えない。

「一つ聞かせてくれ。足利、お前――人間か?」

「なに……ッ!」

 今度は明らかに驚いた声で、合成音声は言った。


 せっかく親友を殺すんだ。

 裁かれるなら、器物損壊じゃなくて、殺人罪の方がいいだろう―

 僕は石を握りこんだ。

 ビール缶じゃなくて、外で拾って自動ドアを破ろうとした、拳大の石を。


 僕は勢い良く振りかぶり、カプセルに向かって振り下ろす。

「や、やめろぉッ!」

 瞬間、僕の心臓が大きくはねた。

 激痛が胸の奥を貫く。

 何が起こったのかはわからないが、僕は腕の力を緩めなかった。

 渾身の力のまま、透明なカプセルめがけて石をぶつけた。


 パリン!

 ――と。

 表面に蜘蛛の巣のようなヒビが走り、カプセルは爆ぜるように割れて四散した。

 中の液体が外に溢れ出し、足利を支えていたケーブルはぶちぶちと千切れてしまう。そのまま、足利の身体は僕に覆いかぶさるように倒れこんできた。僕は彼の身体を受け止めつつ、共に床に転げる。

 非常事態を悟ったのだろう、ビーッビーッビーッ! とけたたましいブザーが施設中に響き渡る。同時に赤い回転ランプが部屋の中を忙しく点滅させた。


 僕は痛みが増大していく心臓を押さえる。

 息もできないほどの激痛だった。

 おそらく、埋め込まれた発信機の緊急機能だろう。僕がバカな行動をすれば血管を圧迫するとか、大方そんな仕様になっていたのだ。

 スパイ映画御用達である。

 最新技術こえーな。

 そんなことを考えながら、僕は床に大の字になる。

 おそらく、僕はこのまま死んでいく。

 だが、なぜだかそれも悪くないような気がしていた。



「足利……ごめんな……」

 申し訳なく思った。

 だが後悔しているわけじゃない。

 やっぱり、人間は人間らしく生きて人間らしく死んだほうがいいかな、なんて。

 らしくもなく大それたことを考えたからだ。



 その日。

 人類ヒトのためにすべてを捧げた男と、

 友人ひと人間ヒトであるために行動した男は、

 その人生の幕を下ろした。

 それで何かが変わったのだろうか。

 そんなことはわからない。


 死んでしまうということはそういうことだから。


 ヒトというのは、そういう生き物なのだから。



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