第19話 悪い夢




「うぁ……あ……」

 身体の痛みと喉の渇きで目が覚めた。

 ハッとして飛び起きようとしたが、痛みに耐えられずゆっくりと起き上がった。

 周りを見渡す。僕の部屋だった。

 マンションのワンルーム。その端っこに置いたベッドの上に僕は寝かせられていた。

 年月日表示式のデジタル時計を見ると、今日は日曜日――足利あしかがの火葬の翌日だった。もう15時だ。昼過ぎまで眠ってしまっていたのか。


 記憶を掘り返す。

 昨日、足利の火葬の後で倉木くらきと飲み、その後ある研究所に連れていかれた。そこで、機械スパコンに繋がれた足利あしかが迅人はやとを見た。

 倉木もいた。

 みどりさんもいた。

 足利翠。

 旧姓、玖宝院くほういん――かつて財閥だった家の令嬢・玖宝院翠。

 その侍従である女性。

 そして、翠さんと足利迅人の子供――娘・あおいちゃん。

 機械に繋がっていた足利は労働していた。AIの代わりに人間の役に立とうとする、効率的に働く電脳として。


「…………」

 悪い夢でも見ていたんじゃないか。

 本当は昨日、倉木と飲み過ぎて、酔っぱらったまま自宅で寝てしまったんじゃないのだろうか。あとはすべて夢なんじゃ、ないだろうか。

 そうに違いない、と頭を振ると腕に違和感があった。

「発信機です」という言葉を思い出した。

 腕を見ると、そこには少し大きめの注射痕のような傷があった。このままではそれがどんな形状かはわからないが、直径で言えば鉛筆の芯くらいのものだろう。米粒のように小さい極小機械マイクロマシンが埋め込まれたのだろう。スパイ映画なんかで見たことはあるが、自分にこうして仕掛けられるなんて夢にも思わなかった。


 そしてこの痕があるということは――そういうことだ。あれは現実だったのだ。

 人間が脳をスパコンに繋がれて政府の事業を請け負っている。


 SF映画のようなことが現実に起こっているということだ。

 しかもとても身近な人物の身に起こっている。


 めまいがしてきた。

 また気絶しそうな頭痛が襲ってくる。

 僕はひとまず立ち上がり、冷蔵庫に入っていた水を出してそのまま飲む。

 友人を一人失っただけでなく、その友人あしかががとんでもない状況にさらされ、しかもその失った友人の奥さんやまた違う友人くらきまでもがその陰謀に関わっていただなんて。

 これからどう生きていけばいいというんだ。


 彼らは、その秘密に関して何も言わなかった。

 口外するなとか、邪魔をするなとか、そんなことは一切言わなかった。

「…………」

 当然だ。

 誰かに言ったとして、信じてもらえるわけがない。

『死んだ友人が、実は電脳コンピュータに繋がれて強制労働させられていたんです!』

“お前の脳を機械コンピュータで見てもらえ”と言われるのがオチだ。

 関わるな、とすら言われていない。

 秘密を知ってしまってもなお、プロジェクトに関する仕事を続けろと言うのか。

 こんな記憶ばくだんを抱えて何事もなく携われというのか。

 苦行だ。

 人間の所業じゃない。

 友人が100%他人のために働いているというのに。

 それも政府の指示で。

 公僕として。

 何も思わずそれに協力なんてできるものか。


 だけど……僕に何ができる。


 黙って働けば、僕に危害を加えることはないだろう。

 危害を加える気なら、とっくに僕は消されているだろう。

 翠さんは秘密を知られた倉木に対して「消そうと思えば消せる」というニュアンスで話していた。

 それは僕も同じ。

 たまたま足利の友人だったから秘密を打ち明けたというだけだ。

 足利は、いわば盾のようなもの。

 僕が「こんな研究所は破壊してやる」とでも言えば、足利を人質にされるか、僕自身を葬るか。最初から何もできないのだ。

 いや、そうでなくても、僕にそんなことが、最初からできるわけもないのだ。

「あいつは何もできないだろう」と、それすら見透かされているんじゃないかと思えて腹立たしいが、確かにその通りだ。

 何もできない。

 もう僕は、どこで何をすることもできないだろう。

 明日から普段通りの業務をこなしつつ、この秘密を墓場まで持っていくことが、僕に課せられた枷なのだ。



「……はぁ」

 疲れた。

 今の今まで寝ていたはずなのに、身体はどうしようもなくだるくて重かった。

「寝よう」

 気分を紛らわす、なんてできようはずもない。

 僕は再びベッドに倒れこみ、目を閉じた。


 瞼の裏には昨日の光景が反復される。

 見たくもない光景。

 知りたくもない現実。

 歩みたくもない未来。

 すべてがごちゃ混ぜになりながら僕の胸を締め付ける。

 忘れよう。

 今は寝て、明日仕事へ行き、普通に過ごそう。

 それで万事が丸く収まるのなら、それでいいじゃないか。

 思い悩んでも答えが出ないなら、それしかできないのならそうしよう。

 人間なんてどうせ『心臓をエンジンとした機械にすぎない』んだ。

 与えられた命令を効率的にこなせば生産的な社会になる。

 それでいい。

 すべてを、忘れよう。


 そうして眠りにつこうとした時、ケータイの着信音が響いた。

 枕の横に置いてあるそれを手に取る。

 画面を見ると“蓮実はすみ千草ちぐさ”と表示されていた。

 そういえば連絡先を交換していた。

 こんな時になんの用事だろう。

 画面に指をかける。

「…………」

 僕は鳴り続ける電話を、枕の下に潜らせた。なおもくぐもって苦しそうに鳴っている。

 枕に頭を乗っけて、そのまま眠る。

 こんな気分で何を話そうというのだ。

 どんな話をしても、きっとこのモヤモヤした心は晴れないだろう。

 でも、あの優しい子の電話を無碍むげにするのは惜しいなぁ。

 怒ったりするだろうか。

 いや、彼女は本当に優しい。

 明日会社で会ったら、

「もう。昨日電話したのに何で出てくれないんですかー」

 なんて頬を膨らませて抗議してくるかもしれない。

 その時は改めて癒されよう。

 彼女の天使ぶりに酔いしれるのを楽しみにしつつ、再び眠りに落ちていった。



 思えば。

 日中ずっと寝ていたのだ。

 そりゃ夜に目が覚めるのは必然だった。

 しかも一日何も食べていない。水を飲んだだけだ。

 本当に苦行をする必要なんてないのに断食をするところだった。

 寝たらなんだか頭がすっきりした。

 僕は最低限の身なりを整えて外へ出る。

 コンビニ辺りで適当にカップ麺でも買おうかと歩く。


 とても静かな夜だった。

 それはそうだ。 

 もう深夜の1時を過ぎている。

 終電も終わっている時間だ。

 日曜の夜中に外でいつまでも起きている人間なんてそうそういないだろう。

 散歩がてら、駅前のコンビニまで歩いた。

 当然と言うべきか、コンビニには明かりがついている。ついてなくては困るけど。

 こんな時間でも働いている人がいるのかと思うと、ありがたい気持ちでいっぱいだった。

 店内の客は僕一人のようだった。

 店員さんは棚を見ながらメモを取っている。

 発注の準備でもしているのだろう。

 僕が来たことによって、僕のために客対応とレジ打ちをしなければいけない。

 ありがたいのと同時に大変だなぁと労いたくなる。

 たぶん、あいつも、今頃働いているのだろう。あいつは寝る必要がないしな。

 僕はカップ麺やらビールやらコーヒーやらをレジまで運ぶ、会計を済ませる。

 コトン、と缶コーヒーをカウンターに置く。

「え、あの……お客様……?」

「頑張ってください」

 それだけ言って店を出ると、

「あ、ありがとうございます!」

 元気な声が背中に聞こえた。


 駅のロータリーでタクシーが1台停まっていた。

 彼も大変な中頑張っているのだろうなぁ、と見たこともない運転手さんに同情する。

 僕が知らないだけで、世の中にはこんなに頑張っている人たちがいる。

 各々が自分のため、誰かのために頑張っているんだ。

 僕もまだまだだなぁ。なんにも知らないんだ。

 また、あいつのことが頭の中に浮かぶ。

 本当に、なんにもわかっていないんだ。

 僕は後部座席のドアまで行ってコンコン、とノックする。

 気付いた運転手さんがドアを開けてくれた。

 乗るなり、僕は買っていたもう一つのコーヒーを運転手さんに渡した。

「お、すみませんね。ありがとうございます」

 なんて人のよさそうなおじさんは頭を下げた。

「いえいえ、いいんですよ。運転手さん、ひとっ走りいいですかね」

「お客さん、ひょっとしてお代は缶コーヒーこれで、なんて言いませんよね?」

「ははは、まさか」

 僕が行き先を告げると、運転手さんは少し怪訝そうな顔をしながら発車させた。



 タクシーを走らせて30分も経たないくらいのこと。

 僕の案内通りにタクシーは山道に入り、やがてオフロードにさしかかる。

「お客さん。あんた……」

「心配しなくても大丈夫ですよ」

 疑いの声を発するが、一応言うとおりに車を走らせてくれる。

 やがて前方に建物が現れた。

 外観を見ると、明かりは全くついていなかった。

 タクシーのライトに照らされた建物は、山中の暗がりから突然現れたようにも見えただろう。

「ここでいいです」

 建物の前でタクシーを止める。

「ありがとうございました」

「あんた、自殺なんてする気じゃないでしょうね……」

 僕はお金をトレイに出してから、運転手さんに微笑んだ。

「しませんよ、そんなこと」



 タクシーを見送ってから、研究所の玄関エントランスまで歩く。

 なぜ来たのだろう。わからない。

 何をすればいいのだろう。何を言えばいいのだろう。何も考えずにここまで来てしまった。

 だけど、ここまで来たからには引き返せない。

 進むしかないんだ。

 だってタクシー返しちゃったし。

 近づいても自動ドアは開かなかった。明かりもついていないのだから当然だろう。僕は地面に合った拳大の石を拾い上げる。

 自動ドアに向かって、その石を振り上げたその時、

 建物に、明かりが灯った。

 そして自動ドアが開く。

 僕は何が起こったのかと、その光景を唖然と見ていた。

白井しろいか?」

 建物の中から、合成音声の声が聞こえた。

 誰だ、なんて確認するまでもない。

 それは紛れもない、足利迅人の声だった。どうやら施設の至る所にスピーカーが備えられているらしい。声はそこから響いていた。そして足利は、同じく至る所に備えられたカメラからこちらを見ているということか。

 この施設内にいる限り、足利の掌の上というわけだ。

 僕はあえて掌の上に乗った。

 迷わず一番奥の扉まで進む。

 その間人の気配なんて一つもなかった。

 昨日は部屋の奥から赤ん坊が出てきたから、もしかしたら奥さんや一部の職員は住み込みなのかと思っていたが、そうでもないらしい

 いるのであれば、足利の声より先に出てきていただろう


 奥の扉まで辿り着いた。

 だがそこで僕は立ち止まらざるを得なかった。そこには指紋やら網膜やらのセキュリティシステムがあるからだ。

 ここまで来たのに何もできない。

 今更頭を抱えていると、ピーガシャン、とロックの解除音が聞こえた。

 扉が、あっけなく開いたのだ。

「入れよ、白井」

 またも足利の声。彼が遠隔操作で解除したようだった。

 ……もう要塞だな、あいつの。

 肩をすくめて、僕は入室する。

 昨日と同じ光景が広がっていた。

 だだっ広い白の空間と、何台かのコンピュータ。

 そして。

 真ん中にそびえる大黒柱のような円筒形。



 透明なそのカプセルの中には、足利迅人の姿が、相も変わらず浮かんでいた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る