第18話 赤ん坊
『テトラシティ プロジェクト』
それはこの数ヶ月で何度も目にし耳にしてきた言葉だ。
住人がより良い暮らしを送るための実験的ニュータウン。
多くの企業が提携した一大プロジェクト。
政府の後ろ盾を得た、これからのこの国の礎となるかもしれない街づくり。
その街では人間が生活する上で必要な、身の回りのあらゆるものにAIを搭載するらしい。
テレビやパソコン、電気圧力釜や電子レンジ、IHコンロなどの家電。
電気給湯設備やソーラーシステム、セキュリティシステムなどの家設備そのもの。
そして車にも、携帯端末にも。
そして携帯端末と家庭とをネットで繋げば、帰宅前にあらかじめ風呂を沸かせるし冷暖房も入れられる。端末で呼べば、車が迎えに来てくれる、なんて未来が来るかもしれない。
そんな近未来の桃源郷のために、
その補足説明には立ち上がった
「AI技術は進化が著しいよ。だがまだまだ発展途上だ。全くのゼロから人間の生活を補助できるレベルにするにはやはり壁がいくつもある。シティができるまでまだ時間はあるが、現場にいる俺からすれば、実践投入は厳しいものがあるよ」
説明しながら、倉木は服を払っている。
僕は腕を組んで倉木を睨みつけた。
「だから実際の人間の脳を使うだって?」
そんな話の飛躍があるのか。
AI開発は納期まで間に合わないから、人間の脳をコンピュータに繋ぐ。そもそもそっちの方が技術的に難しいという気はするが、目の前で実現しているのだから僕も言葉が出ない。
可能か、不可能か。そんなことは
「世界的には昔から研究が進められていたのよ。もちろん秘密裏にね。一般のメディアに出ないというだけのことよ。特に軍事分野では成功例も出ている。人道的な方法と言えるものではないけど」
「今目の前にある
誰も、何も答えなかった。
僕は周りの人間たちを見回す。どうやら誰も弁明するつもりはないようだった。
「なんにせよ、だ」
取り次いだのは足利だった。
「AIでの管理が難しい以上、私が補おうというわけだ」
「にしても、別に足利自身が繋がる必要あるのか? 普通に人間がコンピュータの画面とにらめっこして管理してればいいんじゃないのか」
「街一つ分の管理ともなれば、その方法では最低でも20人は必要だろう。しかも数が増えれば増えるほど、各家庭の個人情報が多くの人間に知れていくことになる。スパコンに繋がった私一人いれば、どちらも解決する話だ」
なるほど。
コンプライアンスもちゃんと考えての話なわけか。
「でも、足利を疑うわけじゃないが、お前に任せるから安全だという保障があるのか?」
「その点は問題ない。機械と一体になっている今の私には、個人情報を悪用するメリットがないからな」
「そんなことはないだろ。売ったり流出させたりすれば――」
「そんなことをしても、意味がないんだよ。今の私には金というものが要らないからな。食も娯楽も必要ない。個人情報を手に入れても悪用しようがないのなら安心だろう」
足利の説明はもっともだった。
仮に、大量の個人情報を使って国家転覆や経済破綻を起こそうと思えば、でき得るだろう。でも、その先に待つのはこの研究所の電源を落とされる、という結果だ。それは結局、
足利はここで働くしかないのだ。
人々のために、自分を犠牲にしながら。
それこそ、足利にメリットがあるとは思えないのだが。
「足利。お前、本当にそれで――」
それでいいのか、と言おうとしたとき、翠さんに侍従の女性が駆け寄る。
「翠様、お嬢様が」
「ぐずっているのね。仕方ないわ……連れてきてちょうだい」
わかりました、と退室する女性。
ほどなくして、彼女はまた戻ってきた。
その腕にはおくるみに包まれた赤ん坊が抱かれていた。
赤ん坊はわーわー泣きながら僕たちの方まで連れてこられる。
女性から、翠さんへ渡される。
見たところまだ生後1,2か月くらいの本当に小さな赤ん坊だった。
「まさか、その子……」
僕の言葉を読んでか、翠さんが答える。
「
先程まで泣いていたが、母親の翠さんに抱かれた瞬間、ぴたりと泣き止み穏やかに呼吸を繰り返した。
そうだ。思い出した。
足利に結婚したのだと聞かされた時、相手は妊娠していると言っていた。
もう生まれていたのか。
足利が入院している間か、あるいはその前にか。
生まれたタイミングはどうでもいいが、とにかく足利は親になっていたのだ。
母の腕に揺られながら、娘――葵ちゃんは寝息をたて始めた。
「穏やかに寝ているな」
足利は、娘を見つめながらそう話した。足利の身体はピクリとも動かない。カメラを通して赤ん坊の姿を見て、マイクを通してその寝息を聞いているのだろうか。
合成された機械的な音声からは彼がどのようにその赤ん坊を見ているのかが感じ取れないが。
「…………」
足利は何も言わなくなった。
赤ん坊を、自分の娘を見ているのだろう。
おとなしく眠る我が子を見つめているのだろう。
その沈黙からわかる。
彼が父親として我が子を見守っているのだということを。愛しく思っているのだろうということはそれだけで伝わった。
普通の父親のように。
「それでいいのかよ」
「…………」
だからこそ、僕は見ていられなかった。
「そんなカプセルに閉じこもっちまって、この子をもう抱くこともできないんだぞ。一緒に遊ぶことも、勉強を教えてあげることも、一緒に食事をすることすらできない。そんなんでいいのかよ、お前は……!」
「…………」
答えろよ。
スパコンの、そのすさまじい処理速度で答えられるなら答えてみろよ。
自分自身は効率的に働けて満足かもしれない。
だが、娘の成長を一番近くで見られないというのはどれほど辛いものなのか。
人の親でない僕には想像しかできないが、苦しいのではないか。
悔しいのではないか。
父親として善い方向へ導くことができない。
道を誤った時、そばに行って正してやることもできない。
無念が、込み上げてきた。
「そんな……そんなんで……いいわけ、ないだろぉ!」
僕は思わずカプセルに拳を振りかぶる。
相手は人間の肌ではない。殴ってわからせるなんて青春ドラマみたいなことはできない。
そんなことはわかっている。
だが、考えるより先に行動していた。
僕の中の、納得できないという思いが突き動かしていた。
足利からすれば、この行動でさえ「直情的だな」と一笑に付すだろう。
だが、これでいい。
これが人間だ。
人間が人間として生きているという証だ。
拳が振り下ろされる瞬間、僕はその腕を掴まれた。
掴んだのは翠さんに付き従っていた女性だ。
彼女はそのまま僕の腕を背中へと捻り上げる。
「うわぁ!」
情けない声を上げるが身動きができない。
完全に腕を
そして彼女は間髪入れず、僕の首筋へと手刀を入れた。
瞬間、視界がぐらつく。
僕は膝から崩れ落ち、その場に倒れてしまう。
目の前が歪んで徐々にブラックアウトしていく。
「あなたには悪いのですが、監視をつけさせていただきます」
掴んでいた女性は、そのままその腕に拳銃型の機械を当て、引金を引いた。薄れゆく意識の中で一瞬、注射のような痛みが走る。
「今あなたに仕込んだのは発信機です。この研究所のコンピュータで監視しているので、くれぐれもバカな行動はとらないように……」
そこまで聞こえてから、僕の意識は朦朧としていった。
友人が死んだと思ったら、機械に繋がれて死ねないゾンビのように働かされていた。
そんな、まるで悪夢のような現実から意識は離れていく。
どうせならこのまま記憶がなくなってしまえばいいのにと、叶わぬ願いだけが
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