第17話 そこで見たもの




 エントランスから出ると、そこには一台の車が停まっていた。物々しい黒いセダンだ。

 誰の車だ?

 倉木くらきは車なんて持っていなかったはずだ。だとしたら……。

「乗ってくれ」

 背後の倉木に促される。逆らえない力のある声だった。まるで背中に銃口でも当てられているような緊張感だ。

 僕はおとなしく後部座席に乗り込む。中には既に運転手が乗っていた。黒スーツの男だった。髪も黒く、ぴっしりとオールバックにしていた。

 倉木が僕の隣に乗り込むと、何も言わずにセダンは発車した。



 高速に乗り、しばらく走る。

 だがそこからがよくわからなかった。

 下道に降りたり、高速に乗ったりを繰り返している。まるでこちらを迷わせるかのような道順だった。いや、実際そうなのだろう。

「なぁ、どこに行くんだよ」

 重い沈黙に耐えきれず、僕はなるべくフランクに倉木へ問いかける。

 だが、倉木は無言のまま、正面を見つめていた。どことなく冷や汗をかいているようにも見える。かきたいのはこっちなのだが。

 先程、倉木は「見せたいものがある」と言っていた。

 まさかこのまま殺されるというわけでもないのだろう。

 根拠の薄い楽観を持ちつつ、僕は窓の外へ目を向けた。



 1時間近くも経っただろうか。いや、沈黙のせいで時間が長く感じただけだ。本来は1時間も経っていないのだろう。

 車は山道へと入っていく。整備された道から、だんだんと小石の多いオフロードへ変わった。そのまま少し山道を上ったところだ。

 目の前に建物が見えてきた。

 夜の暗闇でよくはわからないが、そこそこに大きい建物のようだ。

 黒づくめの車は建物の前で停まり、僕は倉木に促されるままに降りる。


 外装に凝った様子のない、無機質な建物だった。

 近い印象だと公的機関の建物だろう。学校か市役所のような佇まいだ。

 だが、醸し出す物々しい雰囲気はそのどれとも異なる。

 研究所。

 そう。まるで何かの研究所のような場所だった。

 建物の正面まで歩くと、自動ドアが開いて二人の人影が近づいてきた。


 近づいてきたのは、足利あしかがみどりさんだった。足利あしかが迅人はやとの奥さんである女性。

 なぜ、彼女がこんなところにいるのだろう。

 そして、その横にいる女性。その女性は、いつか病院で翠さんとすれ違った時にもいた、翠さんの後ろを歩いていた女性だ。

 二人とも、黒のパンツスーツに身を包んでいた。喪服とはまた違う。どこかの国の諜報部員エージェントのようないで立ちである。


「なんだ、ここは……」

 思わぬ人物の登場に、思わず疑問を口に出した。

「ここは、玖宝院くほういん家の研究施設だ」

 僕の後ろで、倉木が答えた。


 玖宝院。

 その名前は、この国では知らない人の方が少ないだろう。

 近代日本の大財閥の一つだ。

 財閥解体の後、三菱や住友らと同じくこの国の経済を牽引する大企業となった。

 玖宝院グループといえば、その規模は計り知れない。

「今お前の目の前にいるのがその玖宝院家の令嬢、玖宝院翠さんだ」

 驚愕、だった。

 あの日本有数、いや、世界規模の大企業の令嬢が、翠さんだって……?

 僕は驚きのあまり唖然と翠さんを見ているしかなかった。


「とんだ失態だったわね、倉木さん」

 翠さんは腰に手を当てて言い放つ。

 日中の彼女とはまるで別人のようだった。その言葉はナイフのように鋭く冷たい。

「す、すみません」

 倉木は震えていた。

 僕の後ろにいるが、それははっきりわかる。声が上擦っているだけではない。どこか怯えている様子は見なくても十分に伝わってきた。

「まぁいいわ。知られた相手が白井しろいさんで良かった。まるっきり赤の他人に盗み見でもされたら、消えていたところよ、倉木さん」

 僕は事態が一向に飲み込めていなかった。

 いや、資料を見てしまったことが今のこの現状を引き起こしているのはわかる。

 あれが社外秘と書かれていたことも確認していた。

 それを見られてしまった。産業スパイが相手なら、確かに始末書どころでは済まない大失態だ。

 だが、消されるって……殺されるってことか?

 そんなマフィアみたいな世界の話が、今僕の目の前で起こっているとでもいうのか。

「ま、待ってくれよ、翠さん。別にあの資料、ちゃんと読んだわけじゃあないんだ。別に内容を把握できたわけじゃないんだよ」


「その言葉が信じられると思う?」


 背中がぞっとした。

 冷たいとか鋭いとか、そんなものではない。

 理屈じゃない。

 逆らえば殺される、そんな風に素直に信じられるほど彼女の言葉は真実味を帯びていた。

「ぼ、僕は何も知らないんだ……だ、だから……く、倉木のことは、許してやってくれないか……」

「そう焦る必要はないわ、白井さん。別に倉木さんを処罰しようだなんて考えていません。先程も言いましたが、知ったのがあなただからです、白井さん。あなたが足利の友人だからですよ。あなたになら、説明してもいいだろうと判断されたのです」

 判断――された?

 誰が?

「ついてきてください」

 疑問を挟む余地はなかった。

 お付きの女性――おそらくは侍従だろう、彼女は「こちらへ」と手で内部へと促した。

 翠さんの後に僕と倉木が続き、その後ろを女性もついてきた。

 監視役、だろうな。

 これでも僕たちは、完全に逃げられなくなったというわけだった。



 研究施設というだけあって白を基調とした無機質な空間が続いている。

 顔出し窓つきの重厚そうな扉が廊下の壁伝かべづたいにいくつも並んでいる。

 その一つ一つが研究室なのだろうが、僕には海外の独房のようにも見えた。

 廊下の一番奥の扉へたどり着く。

 翠さんはその扉の前で立ち止まり、何かを始めた。

 セキュリティチェックのようだ。

 扉横の、CDケース大の四角いコンソールに向けて指を出したり、顔を近づけたりしている。

 何段階あるのだろうか。

 指紋、静脈、網膜、顔輪郭、パスワード。様々なロック形式のセキュリティシステムを解除していく。それほどの秘密が、この奥にあるということなのだろう。

 そして、扉が開いた。


 そこにあったのは広い空間。

 すべての壁、床、天井が白く塗りつぶされている。

 バスケットボールの試合ならゆうにできるであろうスペースだ。だが、その内容は簡素なものだった。机にデスクトップパソコンが4,5台程度どれも3面モニターという豪華さはあるが、このスペースの室内にはかえって寂しいメンツだ。

 部屋の奥の壁はガラス張りで、奥の部屋には四角い機械の塊が陳列している。

 スーパーコンピューターだ。

 実際に見るのは初めてだが、テレビなどで見たことがある。その見た目は巨大図書館のようでもあるが、その書棚に詰まっているのは紙の本ではなくおびただしい量の基盤と配線だ。遠くから見ただけでもかなりの規模だというのがわかる。


 そして、この白い部屋の中央にあるのが一番の異物だろう。

 円筒状の物体が一つ、この部屋の主かのようにそびえ立っている。

 はじめ大黒柱かとでも思ったのだが、それは透明なガラス張りだった。ガラス容器の中には液体が満たされ、その中には――


 


「なんだ、これ……」

 まるでSF映画でも見ているような気分だった。

 顔の下半分はマスクで見えないが、確かに足利だ。間違いない。

 足利の身体は液体の中に浮かび、頭や身体の至る所からケーブルが伸びている。ケーブルは円筒状のカプセルの上から、今度は奥の部屋へと続いていた。おそらくは奥のスパコンへと繋がっているのだろう。

 つまり、今の足利は脳や身体がスパコンと同一化されているという状態なのだろうか。

 SF映画的見方をするとそうとしか見えない。


「足利、なのか……」

 頑張って事態を把握してみたものの、そんな自信のない確認が僕の口から漏れ出た。

「そうよ。あなたの友人であり、私の夫。足利迅人よ」

 翠さんはそう言う。とても無機質な声だった。

 夫がこんな非常識な状態にあってもなにも不思議はないかのような顔色だ。

「なんでだ。今日、確かに火葬されたじゃないか……」

「お前が葬儀で見たのは本物の足利迅人ではない」

 僕の疑問に、倉木は冷静に答える。

「あれは人形だ。かなり精巧に作られてはいるが、ただの人形だよ」

 人形、だって?

 バカな。

 あれが人形……。

 精巧にもほどがある。棺の窓から間近に見ても全く気付かないほどの精巧さなんて……。

「わからないだろうな。俺でさえ本物と見間違うほどだった。人形だなんて思わない先入観も加わればなおさらわからなかっただろう」

 なおも冷静な物言いの倉木に、僕は無性に腹が立ってきた。

 倉木は知っていた。

 火葬で焼かれたのが飲ん行だったということも、本物がこんなカプセルの中に入っているということも。

 騙されていたという事実と、なおも落ち着いているれる倉木に対して、僕は食ってかかった。

「倉木! お前は知っていたんだな。その上で黙っていたんだな!」

「……すまん」

 倉木は首だけで俯いた。

 それが僕のイライラを加速させた。

「僕が聞きたいのはそんな言葉じゃないんだよ! こうなるって知っていて、足利とあんなに普通に話したり、足利のことを僕に話したりして笑っていたのかよッ!」

「……すまない」

 なおも謝罪の言葉だけが漏れる。

 僕は腕に力を入れて、そのまま倉木を突き飛ばした。

 倉木はしたたかに背中を打って床を転げた。

「この野郎……!」

 なおも怒りのおさまらない僕は倉木に覆いかぶさろうとしていた。自分でもやり過ぎた行為だとは自覚している。だけど、今の信じられない状況と、裏切られたショックが僕に暴力的なストレス解消を実行に移させた。


 だが。

「やめてくれ、白井」

 その言葉で、僕は止まった。

 倉木が発した、んじゃない。

 背後から聞こえた。

 カプセルの方から。

 足利の方から。


 僕は振り返った。そこには相も変わらずカプセルの海で浮いている足利の姿があった。先程から何かが変わった様子はない。

「やめてくれ、白井。倉木を許してやってくれないか」

 また聞こえた。

「足利、なのか?」

「そうだ。相変わらず直情的だな、お前は」

 聞こえた。聞き間違えるはずがない、足利の声だ。

 あの液体の中で直接喋っているのではないだろう。おそらくは合成音声ソフトを使って足利の声を再現しているのだ。いつもの声よりも少し電子的な、機械っぽい話し声だった。


「久しぶりだな、白井」

 目は塞がれたまま、足利は僕に語りかけてきた。

「話せるのか。お前の身体、今一体どうなってるんだ……」

「生身の身体はほとんど機能していない。目で物を見ることもできないし、口を開くこともできない。体内器官や手足はシャットアウトしている」

「シャットアウトって……」

 そんなことができるのか、という質問には意味がない。実際、目の前でそれを目の当たりにしているのだから。それに、本当にシャットアウトできているのかは、そもそも問題ではない。

「今の私は室内に備えたカメラの映像を脳に取り込んでお前を見、合成音声をスピーカーから流してお前に語りかけている」

「お前の状況はわかったけど……なんでだ。いったい何のためにそんな窮屈なところに閉じこもっちゃったんだよ?」

 僕が知りたいのは今の足利の状態でもどんな気分かでもない。いったいどんな理由があれば人間を、死を偽装してまで機械に繋ぐという行為ができるのかということだ。

「それはな……」

 僕の質問に、足利は間髪入れずに答える。



「『テトラシティ プロジェクト』のためだ」



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