第16話 社外秘のプロジェクト




 葬儀が終わり、解散となる。

 親族の方々は集まりがあるのだろう。まだ中に残って、僕らを見送った。


「あの」

 斎場を出ようとしたとき、後ろから声をかけられる。

 振り返ると、そこには足利あしかがみどりさんがいた。

 切れ長の目に細いフレームの眼鏡。パンツルックではあるがいつものピシッとしたスーツではなく少し緩めの喪服ブラックフォーマルで、故人の奥さんは姿勢正しく直立し、僕の方を見ていた。


「あの、あなた、白井しろいさんですよね」

 ふわりとした印象のソプラノだった。キャリアウーマンを想像していた僕は勝手に少し強めな口調か冷たい口調の女性だと思っていただけに、女性らしい柔らかな声に少しだけ惹かれた。

「は、はい。そうですけど」

 思わずたどたどしく答える。意外性に驚いたのもあるが、なにせ初めてまともな会話をしたのである。僕は少し戸惑っていた。

「主人が生前話していました。白井さんのこと」

「そうなんですか。……はは、いい話とは思えないですけど」

「『面白い奴だ』って」

 本当にいい話じゃなさそうだった。

 あの野郎、僕を面白人間とでも思っていたのだろうか。

「あ、いいえ。違うんですよ。足利は悪い意味で話したのではなくてですね……」

 僕の顔を見てか、そんな風に否定した。

「『白井は面白い良い奴だ。理屈がどうこう、効率がどうこうということに囚われない心を持っている。俺にはない部分だ』って褒めていました」

「…………」

 要は感情的ということ、というわけでもなさそうだった。

 確かに僕と足利はまるっきり違うタイプの人間のような気がしていた。理路整然と物事を考えて最短の道を突き進む彼は、僕では追いきれない。僕は、どうしたって寄り道してしまうからなぁ。

 仕事の面で彼のことを羨ましいとは思っていた。僕より明らかに秀でた能力を持っていたからだ。

 だが、彼は僕のことを褒めていた、という。

 羨んでいたかまではわからないが、彼も僕のような考えをしてみたかったのかもしれない。

「すみません。お引止めしてしまいました」

 僕が彼の言葉を考えていると、翠さんは頭を下げる。

「それを言うために、わざわざ僕に声をかけたんですか」

「主人の話していた方がどんな方か、少し知りたくなりまして。ご参列ありがとうございました。お気をつけて」


 お辞儀をして彼女は僕を見送った。

 足利が死んで初めて、彼の思っていたことを知るというのは、なんだか不思議な気分だった。生きている間に知っていれば、もっと違う感情で接していたのかもしれないというのに。



「おい白井。少し付き合えよ」

 倉木くらきに誘われ、僕は居酒屋の門をくぐった。

 火葬が終わって夕刻。僕もなんとなく、ここで解散してしまうのはあっけないし、家に帰っても寂寥感せきりょうかんに苛まれる気がしたので、倉木の提案はありがたかった。

 特に何かを話したいわけでもなかったが、何もせず自宅にいるよりはいいかと思う。

 僕と倉木は3時間くらいとりとめもないことを話した。それは足利に関することでもあったし、仕事に関することでもあったし、何でもないことでもあった。

 別に足利のことを忘れようとしたわけじゃない。

 足利のことを話して彼を忘れないようにし、全く関係のないことを話して日常に戻っていく。

 僕たちにはそれが必要な気がした。

 知り合ってから間もない、親友と呼べるようななかでもない同僚のことなのだが、それをしないと僕らは日常に帰れないような、なんだか、そんな気がした。

 もし足利でなく、死んだのが僕なら、彼も同じことをしたのだろうか。

 お見舞いに持っていく予定だった日本酒を頼み、二人で飲んでいた。



「あの日本酒がいけなかったか……」

 悪いお酒じゃないはずなのだが、おかげで倉木は酔っぱらってしまった。なるほど飲みやすいということはこういう結果になりやすいわけだな。今日は一つ勉強になった。

 そして。

 タクシーを呼んで倉木のマンションまで送った。

「おい。ついたぞ」

 僕は隣で寝に入っている倉木を揺する。

 マジか。

 身体を起こすそぶりも見られない。

「いや、もう、あの、あれだ……寝るから……」

「いやダメだから」

 タクシーの中で寝られるとこっちが迷惑だ。運転手あっちも迷惑だろうけど。

 僕は倉木を強引に降ろす。とりあえずタクシーは帰した。泥酔状態の倉木を部屋まで連れて行って戻るのを考えると、少し時間がかかりそうな気がしたからだ。

 僕は肩を貸しながら中へ入る。

 かなり大きなマンションだった。

 正面玄関エントランスホールには自動ドアの前にパスワード入力式のセキュリティシステムがある。綺麗な内装と夜でも明るい照明。さぞかしお家賃もするだろうというマンションだ。

 だがしかし。

 問題がある。

 パスワード式なのだ。

 つまり僕が肩を貸しているこの男からパスワードを聞きださなければいけないというミッションがある。指紋認証なら簡単なんだろうけど。

「おい倉木」

 話しかけるが、彼は完全に目を閉じた状態で「ぅあい」と蚊の鳴くような返事をした。ぎりぎり意識はあるようだ。

「パスワード教えてくれ。でないと入れん」

「うー」

 残念ながらボタンに『う』はない。

「パスワードだよ。わかるか?」

「あー」

「数字を言え数字を!」

 大声を出してしまった。今は誰もいないけど、誰かに見られたら恐喝だと思われるんじゃなかろうか……。

「えっと……503の……えっと……」

 ぼそぼそと呟きながら倉木はボタンを押し始めた。

 自動ドアが開く。やっと進める。


 エレベーターで5階に到着し、鍵を出させて扉を開けた。

 そういえば。

 足利もこんな風に酔っぱらってマンションに送ったなぁと思いだした。

 あの時は足利の異様な部屋の様子に驚いたな。まさか倉木も、なんてことはないだろう。


 扉を開けてどうにか照明のスイッチを入れると、そこには広々としたリビングルームが見えた。僕にとってはありがたいことに家具もちゃんとあった。

 テレビにテーブル、ソファ、スタンドライト、観葉植物などなど。

 良かった。

 普通の家だ。

 変な安堵をしてしまった。

 ソファに倉木を寝かせる。肩を貸すだけではあるが、大の男一人を担ぐというのは非常に重労働だな。だいぶ疲れてしまった。


「悪い。トイレ借りるぞ」

 倉木に水を用意してから、僕はそう断りを入れる。倉木は相変わらず「うー」と唸っていた。携帯電話マナーモードっぽかった。

 泥酔マナーモード中の倉木にトイレの場所を聞こうと思ったが無理そうだった。どこかに解除スイッチがあれば押すんだけど、なさそうだしな。相手が女性なら喜んで探したいところだけれど。


 僕は手近な扉を開ける。

 そこはL字型のガラスデスクと本棚が占拠されていた。

 おそらく書斎だろう。

 デスクの上にはパソコンのディスプレイや資料の数々があり、棚から抜かれた資料本が積まれている。資料も辞書並みに分厚いのばかりだ。

 まるで小さな研究所のようだった。学者にでもなる気かあの男は。

 と。

 デスクの上に、茶封筒からはみ出た紙があった。見出しによると、“あるプロジェクト”に関するものらしい。

 これは“テトラシティ プロジェクト”のことじゃないか? 確か倉木も「うちの部署もアレに関わっている」とか言っていた。

 少し興味が湧いた僕はそれを手に取った。封筒の方には『社外秘』の判が押されている。

「…………」

 コンプライアンス的に大丈夫だろうか、こんな雑に置いていて。いくらセキュリティの万全なマンションに住んでいるとはいえ、僕はこうして入って来ちゃってるわけだし。

「……ま、いっか」

 僕は少しのぞき見することにした。

 僕も社の人間だから見ても問題ないだろう。『部外秘』ならまずかったかもしれないけど、社外秘だし。

 自分の中で理由をつけた僕はさっそく眺める。




『国民の効率的な働き方について』という大仰なタイトルと、その下には国家から委託されたというような趣旨の文面が並んでいた。

 そして――――




「なんだ、これ……」

 どうやらこれは“テトラシティ プロジェクト”の概要を示した資料ではないらしい。それよりももっと国家的で大きなプロジェクトのようだった。実験的なそのプロジェクトは今の社会を憂えた政府が人々の働きやすい社会を目指すための、『働き方改革』の抜本的な見直しと改革内容について記されていた。

 それ自体は別にいい。

 僕が絶句するような内容ではない。

 こまごまと埋められたデータもただ目が疲れるだけだ。

 けど。

 だけど。

 僕はある一文を見た途端、全身から脂汗が噴き出した。


――――被験体・足利迅人――――


 なんだ、これは。

 被験体?

 なんだこの紙。

 政府のプロジェクト?

 そんなものになんで足利の名前が載っている?

 しかも、被験体って……。

 そして、どうして――


「見てしまったか」


 扉の方を見ると、やれやれといった表情で、倉木がこちらを見つめていた。

 どうして倉木こいつが、こんなものを……。


 よく見ると、倉木は携帯電話を耳に当てていた。

 そして僕の方をうつろな目で見ながら時折「はい、はい……」と受話器へ答えている。

 僕はその場を動くことも言葉を発することもできずに固まっていた。

 身体が熱い。

 酒のせいじゃない。

 酔いなんて完全に醒めていた。

 何が起きているのかわからない状況に、頭がついていかないだけだ。


「はい、わかりました」

 電話を切った倉木が、僕に近づいてくる。

 一歩、また一歩。

 着実に近づいている。

 そして僕の肩に手を置いた。

「ついてきてくれ。お前に見せたいものがある」


 僕は何も言うことができないまま、彼と共に、マンションを出た。



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