第15話 永遠に忘れない




 僕は病院へと駆け付けた。

 電話を切った後、部長ボスに「早退します」と一言告げてから、僕は走った。部長はきょとんとかわいらしい顔をしていたが眺めている余裕なんてなかった。


 入口の自動ドアをくぐりいつもの病室へ向かう。病室のドアは開いていた。室内を見るのは初めてだったが、そこに人影はなかった。ナースステーションで聞いてみた。そう多くない名前のせいか「足利あしかがさんは……」というだけで俯きながら案内された。


 数ある扉の中の一つに案内される。

 薄暗い室内はろうそくの明かりのみで照らされていた。

 そこにベッドが一つと、横たわる一人の身体。顔には白い布をかけられ、身じろぎもせずに眠っている。

 鼓動が早まる。

 ぞわぞわとしたものが背中を這いずる。

 僕は白い布をゆっくりとめくる。

 そこには。


 足利あしかが迅人はやとの顔があった。

 紛れもない。

 会わなくて半年以上経つが、見間違うはずもない。

 足利迅人本人だった。


 僕は全身から力が抜け落ちる感覚に襲われる。

 なんとか立ったままでいられるものの、僕は数歩下がって壁に寄り掛かった。


「…………」


 なんだ。

 何が起こっているんだ。


 頭の中はそればかり。そんな言葉ばかりが巡り巡って、別に何を考えるわけでもない答えを見つけようとするわけでもないまま静止していた。


 気付けば、部屋の隅では数人が泣いていた。家族や友人の方だろうか。挨拶をした方がいいかと、力ない脳で考えたが、お互いそれどころではないようだった。

 その人たちの中に、一人だけ椅子に座って顔を伏せている女性がいた。この場に似合わずパンツスーツを身にまとった女性……足利みどりさんだ。足利迅人の奥さんである。

 部屋が暗いせいもあって、俯いた彼女の顔は見ることができなかった。

 笑顔のはずはないので泣いているのだろうとは思ったが、普段の彼女を見ると気丈な女性という印象があったので、涙を流して泣くというのはちょっと想像できなかった。

 いや、旦那が死んで目の前にいるのだ。

 泣いて当然のことなのだが。

 あの個性的な夫婦はそこに違和感を抱いてしまう。

 ……失礼だな僕は。

 一番悲しいのは彼女のはずなのだ。

 なにせ新婚なのだ。

 結婚してすぐ旦那が体調を崩して入院。しかも原因不明。そして半年後には亡くなっている。悲劇が一度に重なり過ぎている。

 彼女の絶望感は想像に難くなかった。

 僕は誰に何を告げるわけでもなく、その場を出る。

 最後に振り返ってみたが、肩越しに見えるベッドの上には、やはり足利迅人が横になっていた。



 翌日。

 無情なもので、仕事というのは止まってくれなかった。

 隣り合った机に座っていた同僚が死んだというのに、会社の業務は翌日からも続いた。

 その日の朝礼では足利に黙祷を捧げた。そして日中のオフィス内がいつもよりどんよりとした雰囲気にのまれていた。

 だが、その程度だ。

 チーム合流の前に足利は倒れていたので、実質、彼が死んでもメンバーの数は変わっていない。

 業務に支障は一切なかった。

 その事実が腹立たしくて腹立たしくて仕方なかった。

 彼一人死んでも何も変わらない世界に、僕は激怒していた。

 やり場のない怒りだ。どこにもぶつけることなんてできない。だから仕事に打ち込んだ。

 そして本当はこの怒りでさえ『偽り』だ。自分がひどく落ち込んでいるというのがわかる。周囲の人間が死を迎えたという経験が僕にはまだなかった。これほど沈鬱になるものだとは。

 その沈んだ感情をなんとか奮い立たせるための怒りだ。仕事に打ち込むしかない。自分は自分の日常を送るしかない。

 僕が足利にしてやれることは、実に何もなかった。



 ほどなくして足利の葬儀が執り行われた。

 葬儀社の斎場には20人強の人たちが集まっていた。

 僕はもちろん、部長や主任も参列した。身内と近しい周囲の人間ということで、それほどの人数は集まらなかったが、それでも葬儀社のあまり大きくない斎場に集まるには十分な人数だ。


 倉木くらきも葬儀に参列していた。

 彼はの僕と目が合うと、大きく息をついて僕の肩を叩いた。

「最後の挨拶、してこいよ」

 僕は焼香台の前に行き、慣れないながら焼香を行う。

 帰り際、脇で控えている奥さんと目が合った。

 お互いに礼をした。

 これが、足利翠さんとの初めての挨拶になった。まさかこんな形でかわすことになるなんて誰も思わないだろう。


 セレモニーは滞りなく進む。

 出棺され、そして火葬場へと入っていった。

 参列した一同は順繰りに、足利の顔を見る。これが本当に最後の謁見となる。

 主任は見るなりハンカチで口許を押さえ泣いてしまった。部長が背中を軽くたたいて慰めている。


「寝ているようにしか見えないな」

 倉木は足利の顔を見た。

「足利は仕事ができた男だが、それだけでなく頭がいい。会社に限らず社会を支えていく人材だったろうに。表情は無機質な奴だったが……」

「そうでもないさ」

 言うと、倉木は僕の方を見た。

「足利迅人はとても人間らしかった。ホッブズの言うニンゲン――『心臓を動力エンジンとした機械』じゃあなく、どこまでも人間臭い奴だったよ」



“効率マン”

 まるでスーパーヒーローか機械にでもつけられそうな名前は、足利迅人という一人の男につけられた。

 彼は効率的に働き、効率的に生きて、そして、効率的とは言えない早さで死を迎えた。

 彼の聡明さや優秀さに憧れはしても、彼の短い人生を羨む人はいないだろう。

 だから僕は忘れない。

 まだ二十代も半ばだが、永遠に忘れない。

 足利迅人のことを。

 足利迅人という名前の人間のことを。



 彼の眠る棺は奥の部屋へ運ばれ、シルバーの扉の奥へと消えていった。



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