第14話 世界から消えた




 結果から言えば、倉木くらきとの飲み会はとても助けになった。

 暗くなっても仕方がない。

 彼は僕にそう思わせてくれた。

 そして、足利あしかが無謬むびゅうの友人であることをわからせてくれた。

 そう思うだけで、僕は足利の回復を待つことができるようになった。

 我ながら単純だなー、なんて楽観的に肩をすくめた。



 もう半年以上も経つだろうか。

 季節がいくつ移り変わったか知れない。

 集中力の欠如はいつの間にかなくなっていた。

 新しいチームの中で、足利の帰りを待ちつつ、僕は仕事を続けていた。足利から引き継いだ仕事もなかなか順調にできている。彼ほど効率的にこなせてはいないのだろうが、それでも難なくやり遂げていることに自分のステップアップを感じずにはいられなかった。


 見ていろよ、あの野郎。勝手に長期間留守にしやがって。帰ってきた時、仕事の進捗ぶりに驚かせてやるからな。そんなモチベーションで、僕は作業を進めていた。



 あれから、何度も足利の病室を訪ねた。

 でもその度に、面会はお断りしていますという札が扉にかかっていた。

 何度も、何度も。

 お見舞金の封筒を持って行っても。

 フルーツの盛り合わせを持って行っても。

 中身もろくに見たことのないビジネス書を数冊持って行っても。

 病室の中には通してもらえず、看護師さんに「これ渡してください」と預けて帰るだけ。


 何をやっているんだ、足利は。

 いや、何をやっているんだ、僕は。

 まるでお百度参りのように何度訪れても、足利の具合はともかく、その姿さえ見ることができないなんて。

 そして、こうして空振りするたびに、本当は入院なんてしていないんじゃないかという考えが浮かんでくる。僕がたちの悪い夢を見ているというだけで、オフィスに行けば何事もなくパソコンに向かっている彼の姿があるのではないか、なんて考える。

 だが、そんなことはない。

 オフィスに行っても、当然ながら彼の姿などない。

 どこにも、足利あしかが迅人はやとの姿なんてない。

 まるで最初から足利迅人なんて男の存在などこの世界になかったかのように。みんなの記憶にはあるがその実体がどこにもない。神隠しにでもあったかのように彼だけが世界から消えた。


 馬鹿馬鹿しい。

「……疲れているな、僕も」

 そんな現実離れした妄言を叩いてどうしようというんだ。

 何も進展しない。自分の気持ちをおかしな形で無理やり整理しようとしているだけだ。元々いない存在ならこんなにあいつの身を案じることもなくなるって? 馬鹿を言え。大の大人がそんな子供みたいなことで決着をつけられるわけがないだろう。

 会社の廊下を進みながら大きな溜息をついた。

 昼食をとり終わり、社員食堂からオフィスに戻ろうとしているところだ。

 変な考え事が頭から離れなくて、せっかくのトンカツ定食の味も覚えていない。

 どれもこれも全部足利のせいだ。

 そうだ。

 そうに違いない。

 あいつが退院してきたらトンカツ定食をおごらせてやろう。これだけ迷惑をかけられているんだ。それでも足りないくらいである。

「…………」

 …………。

 ……まぁ、なんだ。

 今度病院に行ったときは、りすぐりの日本酒でも持って行ってやろう。


「……あの、白井さん?」

 僕を呼ぶ声がして、ビクッと反応してしまう。

 すぐ目の前には、蓮実はすみ千草ちぐささんがいた。

 すぐ目の前というか、本当にぶつかる寸前のところまで来ていた。まるでこれから抱き合うカップルくらいの距離に、蓮実さんの――華奢な女子社員の身体があった。

「うわっと……!?」

 僕は反射的に飛びのいた。変な声が出てしまった。

「あ、ごめんなさい、白井さん。ずっと呼んでいたんですが、なかなか止まってくれなくて」

 蓮美さんは下の方を見て、落ち着きなく両手を合わせたり離したり指を組んだり離したりを繰り返していた。なんとなく、顔が赤いように見える。

「こ、こっちこそごめん! か、考え事していてさ!」

 声が上擦る。

 格好悪いなあ、男として……。


 そんな僕の様子を見て、彼女はクスッと笑った。

「ど、どうしたの……?」

「あ、いえ、ごめんなさい。あんまり慌ててたから。それに、今日は持ってないんですね、荷物」

 荷物?

 と彼女の言葉を反芻はんすうする。それから気が付いた。今まで僕は、彼女と会った時には必ず両手に荷物を抱えていたことを。そしてなぜか急いでいたことを。

「もしかして僕のこと、いつも荷物抱えて歩いている奴だと思ってる?」

「そ、そんなことないですよぉ。でも、あの、えと……えへへ」

 笑ってごまかされた。

 多少はそんなことを思われていたのかもしれない。だとしたらものすごく恥ずかしい気分だった。


 いや、恥ずかしがっている場合じゃない!

 今度こそ、これは連絡先を交換するチャンスなのだ!

 勇気を振り絞って聞くのだ。携帯電話番号を教えてくださいとォッ!


「はいこれ」

 蓮美さんが何やら紙を差し出してきた。

 かわいらしいキャラクター柄のメモ帳に数字の羅列が綴られている。

「……え、これは」

「あの、私の電話番号です。そういえば、お互い知らなかったなぁって。今度会ったら渡そうと思ってずっと持ってたんですよ……?」

「…………」

 なんだ、この胸を締め付けるような感覚。

 嬉しい気持ちが身体中を満たしているのに、器官が圧迫されるようなこの感覚は……。

 ただ、一つだけ、確実に思ったことがある。


「天使かッ……!」


 いつも荷物を持った僕を助けてくれたり、僕がしたいと思っていてもなかなか切り出せずにいたことを、まるで察知していたかのように差し出してくれたり。

 ここまで気遣いができて優しい子だとは思いもしなかった。

 この苦しい気持ちの正体がわかった。

 僕は彼女をかわいいと思ってしまったんだ。

 そして思わず会社の廊下で女の子に向かって天使かなんて叫んでしまった。

 まったく。本当に何をやっているんだ、僕は。

 蓮美さんは目の前の男がいきなり大声を出したことにビクッとしていた。いや、当然の反応だ。

 そしてその言葉の意味がわかってかわからずか、どうすればいいのかとひとしきりあたふたとしてから。


 ――微笑んで、両手で自分の頭の上に輪っかを作った。


 天使だった。

 目の前に天使がいた。

 こんな阿呆な男のわけのわからない発言を一生懸命考えた結果の行動なのだろう。

 なんか照れた表情でそう返してくれた蓮実さんが、とてつもなくかわいく見えた。



 後輩女子に天使のポーズ(?)をさせるという稀有な体験をしてからのこと。

 僕と蓮実さんは互いの連絡先を登録し、何とも言えない空気で別れた。

 救いだったのは彼女が別れるまでの間も笑っていてくれたことだ。楽しそうに笑ってくれていた。本当に天使のようなスマイルだった。


 オフィスまでの道中、携帯画面の蓮実さんの名前を見ながら歩いていた。

 できる男ならあの場で次に遊ぶ約束までこぎつけるものなのかもしれないが、まぁいいだろう。こちらは電話番号というスーパーレアアイテムを手に入れたのだ。しかも使い捨てアイテムではない。いくら電話しても消費されない魔法のアイテムだ。

 何度も電話されたら確実に嫌われるだろうから、一応使用限度はあるのかもしれないが。

 なんにしろ。

 こんな浮かれた気分になるのはいつ以来のことだろうか。

 最近沈みがちな気分だったので余計に浮かび上がっていた。天使に天界へと連れていかれたような気分である。

 だが、大切なのはこれからだ。

 先程もあったが僕の行動いかんではすぐに嫌われてバッドエンドを迎えてしまう。


 気持ちを前向きにして携帯をポケットにしまおうとした時、着信が入った。


 そして、スピーカー越しの知らせを聞いた時、僕は今まで頭の中にあったいろいろな思いが、考えが、すべて無になっていくのを感じた。

 頭の中が真っ白になる。

 目の前がモノクロームになったような気がした。

 すべてが。

 この世界の全てが信じられないような気持ちに、突き落とされていった。


「足利が、死んだ…………」

 真っ白のうろになった頭の中に、その言葉だけがポツンと落ちていった。



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