第13話 生きている、というだけ
「それは、いわゆる植物状態というやつか」
端的過ぎて「そんなことはわかっている」と言い返した。
僕と倉木は居酒屋に来ていた。
そんなに時間は経っていなかったが、僕はもう四杯目のビールに手をかけていた。
プロジェクトは進み、新たなチームへと合流も果たした。
足利の椅子はそのチームに置かれたまま、僕がその仕事を引き継ぐことになった。いや、僕だけではない。
時間だけが進む中、それでも僕はなかなか本意気を出せずにいた。
仕事に行き詰まっているというわけではないのだが、集中力に欠けていた。
そんな僕を見かねてか、倉木は飲みに行こうと誘ってくれた。
「はっはっは。まぁそう落ち込んでも仕方ないだろう。いずれ目を覚ますさ」
以前の暗い表情はどこへやら、倉木はそんな風に僕を励ます。今は、彼のそんなところが羨ましいと思った。
「仕事の問題は解決したのか?」
倉木は少し前までそのことで悩んでいるようだった。AIのことだったか。僕には聞いてもよくわからないことなのであえて深くは聞いていなかったが。
「解決、といえば解決かな。根本的なところはまだまだだが。それでも、一応の前進はしているところだよ」
なんとも曖昧な様子だった。本人は納得しがたい前進なのだろうか。
僕も、経験していることだ。プレゼンした内容が全部通らず、結局は複数の案件をいいとこ取りされた、あの時の僕たちと似ているのだろうか。
「順風満帆にうまくいけば万々歳なんだろうが、仕事もそう簡単にはいかないというものだろうか。
話を戻されてしまった。僕としては足利の
「大丈夫だよ。みんなに手伝ってもらっているし。順調に進んでいる。
「はっはっは。その意気だぞ白井」
笑い飛ばす倉木の姿に毒気を抜かれつつ、少し元気をもらった気がした。無闇に明るい彼はなぜか乾杯をしてきた。
なんの乾杯だ。
「なぁ、白井……」
さっきまでの空気とは一変して、倉木は声を低くする。
「お前はもしかしたら、怒るかもしれないが……」
「……なんだよ?」
「足利は、ホッブズを
以前の飲み会。
足利も参加したときの話である。
足利は哲学者であるホッブズの主張を推しているというのが話の話題になった。社会契約説を唱えたホッブズの主張は、今考えても、足利らしいものだと思う。
「人間は心臓を動力源とした一種の自動機械人形だ、てことか? 人間の目的は、ただ自分の生命活動を維持させることだけだってやつ」
「おぉ! 知っているのか! ホッブズの『機械的運動論』を」
倉木は目を見開いて感嘆していた。信じられないという風に大仰に腕を広げてみせた。外国人みたいな仕草をするなこいつ。
「白井、よく知っているな。お前が興味のなさそうな事なのに」
「勉強したんだよ、あれから。お勉強はつまらないけど、友達の話題についていけないのはもっとつまらないんでね」
なにしろ前回の飲み会では“前日のテレビ番組を見ていない小学生“みたいな蚊帳の外っぷりだったからな。興味がなくても少しは僕も混ざりたかったというものだ。
そして倉木は足利のことを聞いてホッブズの主張を真っ先に思い浮かべたのだろう。今の足利はただ生きているだけの状態と言えなくもない。そんなこと、彼の家族に聞けたら怒られるかもしれないが、生きているのに何も行動していないというのなら、そう思われるのも強く否定はできない。
足利をそう表現することを、僕が起こると思ったのだろう。
だが僕自身も『機械的運動論』を見た時に、足利のことを思い浮かべたのは事実だった。
今の足利は、心臓を動力とし、他から酸素や栄養素を与えられて生きている。
そんな風に心の中で足利を表現した時、僕は自分を殴りつけてやりたくなった。
本人でも家族でもない僕は、足利のことをただの機械と評する人間に、怒りをぶつけてしまうんだなと、初めて認識した。
「すまないな、白井」
あぁ、そうか――。
倉木も同じか。
こいつもそうだったのか。
倉木も僕も、あいつのことが好きだったんだな。
このジェンダーレスの時代にこんなことを言うと誤解を招くかもしれないが、誰にどう思われようがこれは揺るぎない。
僕は――人間として彼を尊敬していただとわかった
友達だったんだ。
同僚ってだけじゃない。
失ってしまえば悲しむだろう。
もう話せないとなれば悲しむだろう。
彼は僕の中で、どうしようもなくかけがえのない存在となっていたのだった。
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