片翼のエンジェル
三石 警太
片翼のエンジェル
じんわりと汗が滲み、クーラーの温度を一度下げる。
ガァーッという音がいっそう大きくなり、耳障りだ。
8月も終わりに近づき、スマートフォンには"学校嫌やー"という文字が溢れる。
適当にスマホを弄っていると、ドアが叩かれコンコンとノック音が響く。
「…ご飯、ここ置いておくわね。たまには、下に降りてらっしゃい。じゃあ…ね」
カツカツと足音が遠のいていく。
僕はドアを開け、お盆の上にご飯と味噌汁と目玉焼きが置いてあることに気づく。
それを持ちガチャリと部屋を閉じる。
勉強机に朝食を置き、黙々とそれを食べる。
味など感じない。
ひたすら機械的に食べる。
食べ終わり、小さく「ご馳走さま、でした。」と、呟く。
ネットサーフィンをしながら、クラスの人たちがみんなで集まって遊んでいる写真をアップしているアカウントを見る。
そこには、あたりまえのように自分の姿は無い。
まるで、最初からそこにいなかったように。
そんなことも、今ではさほどショックを受けなくなった。
今年は中学最後の年、みんなはいい高校に行こうと躍起になっている。
その年に、自分は何をしているのだろうと途方もない気持ちになる。
過去に囚われていないで、自分を偽り学校に行ったほうが良いことはわかっている。
過去の鎖を引きちぎり、学校に向かおうとしたこともあった。
しかし、学校の最寄駅に着くと足が鉛のように動かなくなり、冷や汗がタラタラと落ちてくる。
脳内に様々な場面がフラッシュバックする。
最初はあからさまに机を離されるだけだった。
隣に座った女子は、スクールカースト上位の女子3人組で、その中のリーダー格の生徒だった。
何やらヒソヒソと話し、日が経つにつれ机と机の距離が離れていった。
そして、その行為は日に日にエスカレートしていった。
机に落書きされ、上履きに画鋲を入れられた。
そして、いつしか周りの人達の視線が自分を嘲笑う目にしか見えなくなっていた。
その場面がフラッシュバックして足が動かない。
なぜ、僕が標的にならなければならなかったのか。あいつら3人組は誰でも良かったのか。ただ、サンドバッグがほしかっただけなのか。
家に引きこもるようになってから、僕の思考は一段とネガティブになっていった。
僕なんか、生きている価値など無いのじゃないか。
どうせ、僕が死んだって悲しむ人なんかいない。
死んでいることに気づかれるかどうかだって怪しい。
いっそ、楽になってしまおうか…。
そう考えるようになっていた。
8月も終わり、家の前は慌ただしくなった。
通学する小中学生が、楽しそうな和気あいあいとした声をあげ、同じ方向に歩いていく。
その様子を家の窓から眺め、なんとも言えない虚無感に襲われた。
そんな悶々とした日々を送っていると、ある日、どこからともなく人間の形をした"何か"が目の前に現れた。
「あなた、オーラが汚れていますよ」
にこやかに語りかけるそいつは少年のような見た目をしていた。
うっすらと光り輝いていて、実体がない。
「おまえ、誰だよ」
「私は天使。あなたと取引をするため下界に降りてきました」
その天使の眼差しには、他の人のように家畜を見るような目で見て来る時のような邪悪さを感じなかった。
赤ん坊のような純粋無垢な目をしていた。
「取引って?」
「あなたの望みをなんでも一つ叶えましょう」
さも当然かのように、なんでもないことのようにその天使は話した。
「そのかわり、それ相応の代償をいただきます」
不思議と、その天使のいうことに嘘偽りがあるとは思えなかった。
見た目といい、オーラといい、この世に生きているものだとは到底思えなかった。
「なんでも、いいの?」
「はい、なんでも仰ってください」
どうせ、この世に未練などない。どんな代償を払ったって、死に勝る代償はないだろう。
そう考えていた。
そして、何を願おうか悩んでいたところ、あるメロディーが頭に浮かんできた。
小学生、まだなんの問題もなく、一番楽しかった時期。
音楽の授業で合唱の練習をしたあの曲。
『翼をください』
「翼、僕に…翼をください」
「かしこまりました!では、あなたに翼を授けましょう!」
あの曲の中で、富よりも、名誉よりも、欲しがった翼。
バタバタと翼を羽ばたかせ、空高く飛んでいく鳩になれたらとなんど夢想したか。
「しかし、代償としてあなたは、今日限りの命とさせていただきます!」
は?
思っていたよりハードな代償がついてきた。
いずれは命を断とうと思っていたが、それが今日になるとは。
展開の早さに思わず尻込みしてしまったが、今日一日、翼をはためかせ最後の晩餐としよう。
落ち着いたところで、天使は「準備はいいですか?」と尋ねてきた。
ああ。と短く答えた瞬間、その天使は僕の体の中に突っ込み、消えていった。
まるで腹の中に飲み込まれるように。
痛みはなかったが、背中がムズムズした。
途端、肩甲骨の下あたりに猛烈な痛みが走った。
うがぁぁぁぁ!!!
雄叫びと同時に、部屋一面に真っ白な純白の羽毛が飛び散った。
背中を触ると、もふもふとした突起物が生えている。
「え、まじかよ。翼が、生えてる…」
バッサバッサと羽ばたくと、辺り一面に羽毛が舞い、机にあったプリントが散乱した。
「どうしたのー?大声あげて、何かあった?」
母親が近づいてくる。
まずい、母親に見られると、何かと面倒なことになる。
今日1日限りの命なのだから、無駄にしてはいけない。
僕は勢いよく窓から飛び降りた。
目を瞑り、ひたすら、
飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛んでくれえ!
と念じた。
肌にすーと気持ちの良い風があたり、目をうっすらとあけると、そこには何もない大空が広がっていた。
地上が見渡せ、自分は飛んでいるのだと気づいた。
飛び方は、正直わからない。
しかし、あそこにいこうと意識すると、自然とそこに行けた。
ゆうゆうと空中散歩を楽しみ、地上の景色を眺めた。
嫌なことなど、全て忘れられた。
気づけば、学校の最寄駅などとうに越しており、こんな距離移動したのは初めてだった。
初めての東京。
みなせっせとどこかへと向かっている。
こんなところから見下ろしたことは当然ないので、新鮮な光景を目の当たりにしていた。
みんなスマホを見ながら歩き、下を向く。
上を向き、僕のことに気づく人なんていない。
その時、デパートの屋上に人影を見つけた。
僕と同じくらいの歳だろうか。
虚ろな目で下を見下ろす女子がいた。
しばらく、地上を見つめ、やがて鉄柵を乗り越え、ヘリに座り始めた。
「…!」
気づけば僕はその子の元へと向かっていた。
なぜかはよくわからない。助けるべきかもわからない。
しかし、少なくとも翼は、その子の元へと飛び立った。
ヘリに座る女子とは反対側へと着地すると、たちまち翼は消えた。
もともとなかったかのようにしまわれ、跡形もなかったが、不思議とまだ翼の感覚があった。
静かに、ゆっくりとその女子の元に向かう。
鉄柵の向こう側を歩く。
恐怖など感じない。いざとなれば翼があるし、もともと僕は長くない。
いずれは死ぬ運命だ。
「ねえ、そんなとこに座ってたら危ないよ?」
僕はなるべく優しい声色で話しかけた。
その女子は、僕に気づき、少し顔を陰らせた。
「あなたも…同じとこにいるじゃないですか」
「僕は、いいんだよ。でも、君は、だめだ。」
「なんで、私はだめなの?私のこと、何にも知らないくせに…」
なぜだめかはわからない。だが、僕を最初に見た時に軽蔑した目で見なかった。
だからか、僕は彼女に惹かれていた。
人間として、他の人にはないなにかを彼女は持っていた。
「何も知らないけど、これだけはわかる。君は死ぬべきではない存在だ」
「なんでっ…!」
瞳の奥に、僕と同じ景色が見えた。
きっと彼女も僕と同じ、この世に絶望して、人が信じられなくなって、命を断とうとしている。
僕も以前はそうだった。
ひたすらに死にたかった。
しかし、彼女を前にして、心が強く叫んでいる。
彼女には、死んでほしくない。
「ねえ、僕でよければ、相談に乗るよ?」
彼女は目一杯目を見開き、みるみる涙を零していった。
「僕もね、君と同じ。死のうとしてた。命なんて、って軽んじてた」
彼女の瞳に、明るさの気配を感じた。
「君は、もしかしたら、自分が死んでも、誰も悲しまないし、気付かれもしないって思ってないかい?」
彼女は小さくこくりと頷いた。その拍子に涙が一滴、雨のように地上に落ちた。
「それは違う。他の人が悲しまなくて、気づきもしなくても。僕だけは、違う」
ぼろぼろと彼女は泣き崩れていた。
僕も少し、泣いていたと思う。
「僕は、君が死んだら、悲しいし、涙を流す。誰も君を知らなくても、僕だけは君を知っている。だから、死ぬな」
彼女は声をあげて泣いた。
天に穿つように。
空に、咆哮するかのように。
僕らは限りなく、死に近い場所で、限りなく、空に近い場所で日が暮れるまで語り合った。
彼女も僕と似た境遇だった。
だからこそ、お互い楽に打ち明けることができ、通じ合うことができた。
「ねえ、友達になってくれませんか?」
そう彼女に言われた時、僕は簡単にうん、と言えなかった。
今日1日の命だとは、言えなかった。
言ってしまえば、全てが崩れ落ちてしまうような気がした。
「僕ね、翼があるんだ。どこへでもいける翼。それで、旅をしてくるよ。だから、またいつか会えたら、また、今日みたいにたくさん話そうね」
そう言うのがやっとだった。
彼女は、鉄柵を乗り越え、大きく手を振り、階段を下りていった。
僕も手を振りながら、身を投げた。
「さあ、今日限りの命と引き換えの翼はいかがでした?」
いつのまにか、目の前に天使が立っている。
もう翼は生えてなく、周りは闇に包まれている。
「なあ、僕、まだ死にたくないよ。彼女と、もっと過ごしたい」
胸のうちをつらつらと喋ってしまう。
意識していないのに、思ったことが言葉になって、出てしまう。
「彼女に、会いたい。彼女と、話したい」
初めてできた、友達だから。
彼女となら、この世の中で生きる価値がある。
彼女のために、生きたい。
いや、自分のために、生きたい。
そう強く願っていた。
ポロポロと涙が落ちる。
その様子を見て、天使は神々しく微笑んでいた。
「それでいいのです。その言葉を待っていました」
…え?
「私たちは、自ら冥界に旅立とうとする哀れな魂の救済者。あなたには、私の体を1日だけ貸し、改心してもらいました」
そんな、意地悪な。
だったら、簡単に、友達に、なれたじゃないか。
名前とか、学校とか、聞いておけば、よかったな…。
「もう、このようなことはしないでくださいね。また、命を断とうとしたら、地獄に送りますからね」
と、天使は微笑みながら言った。
*
僕は、いつからか、誰かを探している。
それが誰かはわからないけれど、電車の中で、街の中で、自然と誰かを、目で追っている。
そうなったのは、中三の夏の終わり頃か。
なぜか、あの日以来自殺願望はなくなった。
僕はなぜか、東京のデパートの屋上で倒れていたらしく、その日の記憶は一切ない。
でも、不思議と心は晴れやかに透き通っていた。
あたりには、翼の羽が、舞っていた。
片翼のエンジェル 三石 警太 @3214keita
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