第4話

 窓の外では、梅雨に降らすのを忘れた分を取り戻すかのように、土砂降りの雨が降り続いている。

 晴れの日にはあんなに元気な和鳥も、雨が降るとしおらしい。顎をだらしなく机に乗せて、惰性で点けているテレビを眺めている。

「ひまだねぇ、京子ちゃん」

 和鳥はテレビの向こうで繰り広げられている若い男女の愛憎劇をつまらなそうに眺めながら言う。

「そうかぁ?」

 インドア派の私には和鳥の気持ちはさっぱりわからない。

 テレビでは、口論もそこそこに女が包丁を持ち出し、男に詰め寄っていた。

 いいぞ、もっとやれ、と私は静かに興奮する。たまにしか見ないからこそ昼ドラは面白い。

 ひまだよぉ、と和鳥は手に持っている埴輪をくるくると回す。

 記念すべき十体目のそれは今までと違い、人型ではなく筒状だ。

 こんなのも埴輪というのか、と出てきたときは驚いたが、案外埴輪の定義は広いみたいだ。ネットで調べてみると、円筒型埴輪としてどこぞの博物館にも飾られているらしい。

 いびつな筒状のそれを見て私は首をかしげる。どうにも弥生人の感性は理解できない。こんなもん作って何が楽しいのか。ついに埴輪とにらめっこを始めた和鳥のように、奴らも相当暇を持て余していたに違いない。

 ピンポン、と私の意見に同意するかのように玄関のチャイムが鳴る。

 こんな大雨の日に誰だろう、と疑問を抱く私をよそに、和鳥は嬉しそうに立ち上がる。雨で暇を持て余している和鳥からしたら、こんな退屈な一日を変えてくれるのなら誰でもいいのだろう。ぱたぱたと、和鳥は小走りで玄関へと向かう。

 一人取り残された私は窓の外に目を向ける。

 年季の入った窓に打ち付ける雨粒はどんどん勢いを増している。

 和鳥にとっては残念なことに、まだまだ退屈な時間は続きそうだ。



『雨はね、大抵良くないものを運んでくるものよ』

 ふと、いつだったか和鳥のお母さんに言われた言葉を思い出す。

 確か、あの日も今日みたいに雨がしつこく窓を叩いていたと思う。

 雨が降ると、小さい頃の和鳥は外で遊べないもどかしさでいつも泣いていた。さんざん泣き喚いて、疲れた和鳥が和鳥のお母さんの膝で寝るまでがワンセット。その横で私は当時流行っていたゲームを進める。

 膝で寝ている和鳥の肩を優しくたたきながらおばさんは言う。

『雨はね、大抵良くないものを運んでくるものよ』

 何度目かわからないカントー地方制覇に挑んでいた私は、その言葉が自分に向けられたものと分からず無視をする。

『……京子ちゃん』

 おばさんはさっきと同じように優しい口調で、さっきよりも語気を強めて私を呼ぶ。流石の私もこのまま無視し続けるほど肝は据わっていない。渋々ゲームを中断しておばさんの方を向く。

 わざとらしく大げさに咳払いをした後、おばさんは続ける。

『雨はね、大抵良くないものを運んでくるものよ』

 さっきと全く同じ言葉を全く同じように繰り返すおばさん。その得も言われぬ迫力に気圧けおされた幼い私は何も答えることができない。

『……』

『……』

『……なんで?』

 しばらくの沈黙の末に出した私の答えは、おばさんが期待した通りのものだったらしい。少しだけおばさんの表情が明るくなる。

『ふふん。それはね、古来から雨は神聖なものとして崇拝されてきた一方で災害を呼ぶといった側面もあったのね。古事記では――』

 おばさんは嬉々として語り出す。

 困ったことにこの人は重度の教えたがりで、ことあるごとに聞いてもいない蘊蓄うんちくを長々と話すという何とも迷惑な癖があった。

 初めてそれを聞いたときに、すごいねとお世辞を言ったのが良くなかったのだろう。おばさんはしょっちゅう私を捕まえては、べらべらとその知識を惜しげもなく披露していた。

 また始まった、と幼い私が露骨に嫌な顔をするのに気付いたのか、おばさんは慌てて話を止める。

『……と、とにかくね、京子ちゃん』

 おばさんはそう言いながら、私の手を握る。

 喧嘩ばかりでゴツゴツしていた私の手と違って、おばさんの手は細く華奢で、繊細なガラス細工のようだった。ほんの少し冷たいその手は、強く握ってしまえば壊れてしまいそうに脆い。

『もし、和鳥に何かあったら――』



「――きょーこちゃん!」

 玄関から響いた和鳥の声に、私は現実へと引き戻される。

 和鳥の声にはいつものような呑気さは微塵もなくて、私の心を少しだけざわつかせる。

 ああ見えて、和鳥は人付き合いが上手い。いつもなら私がいなくても来客の対応くらいはできる。私をわざわざ呼ぶということは、何か問題でもあったのだろうか。

 切羽詰まった和鳥の声に急き立てられるように、私は慌てて立ち上がり、玄関へと向かう。

 玄関では和鳥と見知らぬ男がなにやら揉めているようだった。

 眼鏡をかけて、不健康そうな顔色をしたやせ型の男。

 目の前で両手を広げてこれ以上は入れるまいとばかりに立ちはだかる和鳥に、そいつはあからさまに困惑している。

「いや、僕はただ一度見せてくれと言ってるだけで……」

「だめ!はいっちゃだめ!」

 何が起こっているんだろうか。途中から来た私にはさっぱり状況が分からない。

「あ、きょーこちゃん!このひとが――」

 どうしたもんか、と後ろで考えあぐねている私に和鳥が気付く。それにつられて、不健康男も私に目を向ける。

「ああ、君なら話が通じそうだ。君たちの保護者と話がしたいんだが――」

 そこまで言った男の目線は私の手元に釘付けになる。

「――!それは、円筒型埴輪じゃないか!」

 驚いたように目を見開く男の言う通り、私の手元には円筒型埴輪がさも当然かのように収まっていた。どうやら私は相当慌てていたみたいだ。無意識のうちにこいつを引っ掴んできたらしい。

「墓地の埴輪と言い、どうしてこの町にはこんなにも埴輪がごろごろと転がっているんだ!」

 不健康男は急に眼を輝かせ、両手を広げている和鳥をはねのけ、ずかずかと家に上がり込む。

 突き飛ばされた和鳥は壁に背中を打ち付け、そのままバランスを崩して床に倒れる。


 その瞬間、しつこく降り続いていた雨の音が途切れて、辺りが急に静かになる。

 不安になるくらいの静寂の中で、和鳥の泣き声だけが聞こえる。

『もし和鳥に何かあったら――』

 気のせいだろうか、おばさんの声が聞こえた気がする。

「――――」

 不健康男は私に近づきながら何か言っているが、そんなことはどうでもいい。

 私は玄関の横で子供みたいに泣き叫んでいる和鳥しか見ていない。


『もし和鳥に何かあったら――』


『和鳥を守ってね、京子ちゃん』


 いつのまにか右手を握りしめてる、と気付いた時には体は動いていた。

 一歩踏み出すのと同時に、不健康男の顔面に拳を叩きこむ。

 ぐにゅり、とした柔らかい感触は一瞬だけで、すぐに骨と骨とがぶつかるのを感じる。

 非力な私だが、カウンター気味に入った拳は男の体を浮かすのには十分だった。

 ゆっくりと宙を舞った男は、鈍い音を立てて床に放り出される。

 馬鹿みたいに泣き喚いていた和鳥も、目の前に倒れた男に驚き、思わず泣くのを止める。

 床に倒れている不健康男は何が起こったかわからないようで、驚いた様子で私を見つめている。

 どろり、と男の鼻から真っ赤な血が垂れる。

 男はそこでようやく痛みを感じたようで、顔をしかめて鼻を手で押さえる。手で押さえても鼻血は止まらない。指の間からぽたぽたと床に血が垂れる。

「……えれ」

「は、はい?」

「帰れ!!」

 久しぶりに出した大声は、自分でもびっくりするくらい甲高かった。

 ひいっ、と悲鳴にも似た声を上げて男は慌てて立ち上がり、そのまま土砂降りの雨の中を傘もささずに逃げるように走っていく。

 ズキズキと殴った方の拳に痛みを感じる。もう片方の手にもじわじわと痛みを感じるのは、握りしめすぎて爪が食い込んでいるからだと思う。

 全速力で走った後のように息が荒い。ドクドクといつもよりも早く脈打つ心臓の音が耳元で聞こえる。

 私は今どんな顔をしているのだろう。

 和鳥は鼻をすすりながら床に点々と垂れた血を見るばかりで、私の方を見ようとしない。

 私も和鳥も何も言わない。

 二人っきりの玄関には雨の音だけがいつまでも響いていた。

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庭に埴輪に和鳥がいる じゅげむ @ju-game

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