第3話

 夏は嫌いだ。

 暑いのはもちろんのこと、奴らの喧しさにはうんざりする。

 あいつらは自分のことで必死すぎて、周りのことが見えてない。あんまりうるさいとモテないぞ、と木にしがみついている奴らを片っ端から正座させて、説教をお見舞いしてやろうか。

「セミさんたちはね、7年間土の中で一人っきりで過ごすのに、木の上でみんなと過ごせるのは2週間しかないんだよ」

 だから、7年分いっぱい鳴かなきゃならないんだよ、と和鳥は知った顔で頓珍漢なことを言う。

 なるほどね。そう考えると、あいつらもなかなかできる奴らではある。私だったら7年引きこもったところで、人に話せる話題の一つもできそうにないからな。

 それにしたって喧しすぎる。7年間地上で過ごしていいから、もう少し静かに生きることができないもんかね。

 和鳥は連日続く暑さやうんざりするような蝉の喧噪も意に介していないようで、私を置いて長い長い坂をずんずん上っていく。

 和鳥を追って自然と目線は上がる。まだまだ続く坂道にげんなりして、私は足を止めた。次、和鳥が振り向いたらおんぶを要求しよう。

「……」

 私の悪だくみを知ってか知らずか、和鳥は楽しそうに坂を上る。そうして一回も振り向くことがないまま、姿が見えなくなってしまった。

「おーい……わとりぃ」

 弱々しい私の声は坂の上の和鳥には届かない。

 このまま立ち止まっていても埒が明かない。私は渋々一歩を踏み出す。

 自分の一歩を人類にとって大きな一歩だと言ったやつがいるらしいが、私にはこの一歩がそんな大層なものには思えない。

 この一歩は私にとっても人類にとっても小さな一歩だ。


 平らな土地が少ない私たちの町では必然的にほとんどの物は坂にある。

 もちろん、私たちが目指す墓地も坂の上にある。山の斜面に住宅が所狭しと並ぶこの町を一望できる場所に和鳥の両親は眠っている。

 自分たちの娘をこれまでもかと可愛がり、親バカという言葉はこの人たちのためにあるのだ、と小さい頃の純真無垢な私をドン引かせていた彼らはある日突然いなくなった。

 買い物の帰りにブレーキとアクセルを踏み間違えた車に轢かれて、二人は和鳥を家に置いたまま、二度と帰ってこなかった。その後のことはよくわからない。ただ、母や周りの大人たちがバタバタと慌ただしかったのは覚えている。

 3人家族から一人っきりになってしまった和鳥はその時中学生で、一人で生きていくなんてできるわけもない。それなのに、和鳥は家を離れ、親戚と暮らすことを嫌がった。一人じゃ何もできないくせに、一人暮らしをすると言って頑として譲らなかった。

 途方に暮れた和鳥の親戚一同の前で、それなら私が面倒見ましょうか、と空気も読まずに手を挙げたのがうちの母である。

 それ以来、和鳥は私の家で飯を食い、それ以外は自分の家で過ごすという生活を続けている。


「はい。おとーさんとおかーさんにお土産」

 お供え物の花の隣に、和鳥は埴輪を置く。

 初めて埴輪を見つけてから数日たつ。あの後も和鳥は庭を掘り続け、発掘した埴輪はもうすぐ二桁になろうとしている。

「ねえ、和鳥」

 なあに、と和鳥は埴輪をくるくる回しながら、私の方を向かずに返事する。

「その埴輪、売らないの?」

 そうしたら、もっといいもの食べれるんじゃないの。もっといい暮らしができるんじゃないの。初めて埴輪を掘り当てた日から、幾度となく聞いてきたことを私は懲りずに繰り返す。

「売らないよ」

 和鳥も、何度も繰り返してきた言葉で返す。

「これはあちしたちの埴輪だもん」

 ”あちしたち”には和鳥と誰が含まれているのだろうか。これは和鳥以外にはわからない。でも、私にはなんとなくだがわかるような気がする。

 家から離れたがらない和鳥を見て、母や周りの大人たちは和鳥が両親との思い出を大切にしているのだと言っていたが、多分違う。

 長年和鳥を見てきた私にはわかる。こいつは自分の両親がもうこの世にいないことが本当にわかっていない。いつかひょっこり戻ってくると心のどこかで思っているのだ。

 お前のお父さんとお母さんはもう帰ってこないんだよ、と一生懸命墓石に水をかける和鳥に残酷な言葉を投げつけるのは簡単だ。

 でも、そんなことは私にはできない。喉元まで出かかっている言葉を飲み込んで、私は残った水をバケツごと隣の土地神の石碑にかける。

「帰ろうか、和鳥。」

「うん!」

 少し日が落ちてきた墓地には、誰かが持ち込んだ花火の音が響いている。

 昼間あれだけうるさかった蝉も夕方にはすっかり大人しくなっている。入れ替わりに鳴きだした鈴虫の声は蝉と比べておしとやかだ。

 やっぱり長い間引きこもっているのがいけないんだ、お前らも鈴虫を見習え、と言ってやろうと周りを見渡したが、逃げ足の速い蝉たちはもう一匹もいなかった。

 借り物の柄杓とバケツを返して、再び長い長い坂と向き合う。

 下からはあんなに長く見えた坂も、上から見ると案外短く見える。

「京子ちゃん」

 空いた私の右手を和鳥はそっと握る。

 和鳥の手は小さくて、強く握ると壊れてしまいそうだ。でも、その手の温かさにちゃんと生きているのだと感じ安堵する。

 合わせたわけではないが、私たち二人は同時に一歩を踏み出す。

 この一歩は私たちにとっても人類にとっても小さな一歩だ。

 それでも、この小さな一歩を繰り返して私たちは前に進まなければならない。

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