第2話

 小学生のころ、ムカついたらすぐに手が出る私は、男子はおろか女子からも距離を置かれていた。端的に言うと友達がいなかった。

 そんな私に声をかける奇特な奴といったら、私と別のベクトルで距離を置かれている和鳥以外にいなかった。

 馴れあう相手がほしいわけではなかった私にとって、しつこく付きまとう和鳥はうざったくて仕方がなかったが、和鳥以外におしゃべりの相手がいるわけでもない。いつの間にか私たち二人は家族ぐるみで付き合う仲になっていた。

 友達のいない二人がつるんだところで、そこから友達の輪が広がるわけがない。二人はずっと二人のまま、小学校からズルズルと続く腐れ縁である。



「おじゃましまーす」「ただいま」

 和鳥と私の言葉は違うけれど、今となっては、ほとんど同じ意味だ。

「おけーりー」

 うちのババアこと、私の母は私たち二人に同じ言葉を返す。今まで何百回と繰り返してきた、いつも通りのやり取りだ。

 びしょびしょの和鳥を着替えさせた後、私たちは夕飯を食べに私の家に向かった。

 和鳥がうちでご飯を食べるようになってから結構経つ。一人分増えたところでたいしてやることは変わんないわよ、といつも母は言う。流石、元給食のおばちゃんなだけある。

「今日は、わとっちゃんの好きな唐揚げよ」

 台所から聞こえる母の声と、漂ってくる匂いに和鳥は目を輝かせる。

「やったー!あちし、唐揚げだいすき!」

 こいつは見た目どおり、子供っぽいものであればなんだって大好物で、うちのご飯は大抵好きなものだ。……というか最近は和鳥の好みに合わせて、うちの献立が決まっている節がある。ババアめ、実の娘を差し置いてなにやってんだ。

「ね!きょーこちゃん!」

 和鳥が同意を求めるようにこっちを向く。やめてくれ、私は脂っこいものは苦手なんだ。


 和鳥は箸の持ち方が汚い。何度注意しても直らない、和鳥の悪癖の一つだ。

 もし私があんな持ち方をしようものなら、ババアは小一時間ほど説教するに違いないが、和鳥だから何も言わない。それどころか私にも向けたことのないような暖かい眼差しで和鳥が食べるのを眺めている。

「わとっちゃんは美味しそうに食べてくれるから、作りがいがあるわぁ」

 和鳥とご飯を食べているときのお決まりの文句。何度も聞きすぎて耳にタコができそうだ。

「はいはい。そちらの娘さんは不味そうに食べるから、さぞお料理も大変でしょうね」

 目には目を歯には歯を、嫌味には嫌味を。やられたなら絶対にやり返すのが私のポリシーだ。こんなんだからいつまでたっても友達がいないのだ。

 ババアと私がお互いに睨みあっている中、和鳥の興味は食卓の上の唐揚げにしか向いていない。膠着状態の母娘に代わって、和鳥は一人黙々と唐揚げを胃の中に収めていくのだった。


「ねえ、おばさん。埴輪って知ってる?」

 突然の和鳥の言葉に、私は思わず身構える。ババアは何の脈絡もない質問に、意図をはかりかねてきょとんとしている。

「知ってるけど、埴輪がどうかしたの?」

 ……あのバカ。そのことは誰にも言わない約束じゃないの。和鳥のこういうところが嫌なんだ。イライラしてこぶしを強く握りしめるが、今は和鳥を睨みつけることしかできない。

 睨んでいる私と目が合い、昼間の約束を思い出したのか和鳥は焦ったように続ける。

「あ、あ。……な、なんでもないよ!」

 明らかにおかしい様子の和鳥に、ババアは私の方を怪訝そうに見る。目を合わせると、なんでも見透かされてしまう気がして、私は思わず視線を逸らす。

 その代わりと言ってはなんだが、残り少ない唐揚げに手を伸ばし、一口で頬張る。

「……今日の唐揚げは美味しいね」

ってどういう意味よ」

 なんであんたは素直に褒めらんないのかしら、と私たち二人が何も言わないのを見て、ババアは小さく溜め息を吐く。

「まったく、誰に似たのかしら」

「少なくともお父さんじゃないね」

 似た者同士の母娘は唐揚げをはさんで再び睨みあう。和鳥はというと、さすがに反省したのか、少しうつむいて箸の先をガジガジと噛んでいた。

 そこから食卓の唐揚げがなくなるまで、和鳥は借りてきた猫のように大人しかった。ただ、食べるペースだけは全く落ちていないところがいつもの和鳥らしくて、少しほっとした。


 夜道は危ないから送ってあげなさい、とババアに言われて私は渋々玄関に向かう。和鳥を送った後、その危ない夜道を一人で帰ってくるのは御宅の愛娘なんですよ、と目だけで訴えてみたが効果はなかったようだ。

「和鳥ちゃん」

 先にサンダルを履いて玄関で待っている和鳥に、ババアは柄にもない優しい声をかける。

「もし、和鳥ちゃんがよければ、ずっとうちで暮らしたっていいのよ」

 今までしつこいくらいに聞いているであろう提案に、和鳥はいつものように答える。

「ありがと、おばさん。でも、あちしには家があるから……」

 そう、とそれ以上母は食い下がらない。どんなに頑張っても私たちと和鳥は他人だ。和鳥が決めたのなら、それを尊重しなければならない。

「またね、おばさん。唐揚げ美味しかったよー」

 ひらひらと手を振る和鳥に、母は優しい笑顔で手を振り返す。

 でも、玄関の戸を閉める前に見た母の目はなんだか少し寂しそうだった。

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