庭に埴輪に和鳥がいる
じゅげむ
第1話
去年よりも遅れてやってきた夏はひと際暑い。こんな息をするだけで喉が焼けそうな暑さの中で、外に出ている奴は正気じゃない。
私のようにインテリジェンスあふれる人間は、こんな時どうすればいいのかを知っている。こんな日は冷房の効いた部屋で、カルピス片手にネットの波に乗っかっているのが正解だ。異論は認めない。
少なくとも、あいつみたいに炎天下で意味もなく庭を掘り続けているなんて、正真正銘のアホがすることだ。
「きょーこちゃーん」
一階から、舌足らずな声が聞こえてくる。どうしてあいつは私の都合が悪いときに限って、私を呼ぶのか。あいつはアホだが間の悪さにかけては天下一品だ。毎度毎度のことながらイライラする。
パソコンはたった今起動したばっかりだし、カルピスも一口も飲んでいない。このまままホイホイと下に降りれば、氷が融けて折角の濃いカルピスが薄まってしまうだろう。
あいつが何の用で呼んでいるかはわからないが、今回は無視することにして私はパソコンのモニターに目を戻した。
いつもアクセスしているコミュニティでは、私の町で最近出土した
「きょーーこちゃーーん!」
さっきよりも大きな声。
こっちの気も知らないで、あいつは私が聞こえていないと思っているのだろう。聞こえてる聞こえてる、聞こえたうえで無視してんの。
あいつは悪意というものを知らない。みんながみんな良い人だと純粋に信じている。このまま世に出たら、すぐに騙されて、利用されて、ボロボロになって死んでいく。あいつはそういう人間だ。
私はあいつに浮世の厳しさを教えるためにあえて無視しているのだ、なんて都合のいい言葉で芽生えかけた罪悪感を押しつぶす。
「……ん?」
ふと、一つの書き込みに目が留まる。そいつは埴輪の起源や歴史的価値を引き合いに出して、より高値で売ろうとしか考えていない他の奴らを愚かだと罵倒していた。死者の霊がどうのこうの、悪霊や災いがうんたらかんたら……。
その書き込みにレスを付けている人はまだおらず、放っておけば数ある書き込みの中に埋もれてしまうのは明らかだった。
私だっていつもならスルーしてしまうようなくだらない書き込みだが、生憎と今の私は機嫌が悪い。カタカタと思いつくままにキーボードを叩く。
『アホか、埴輪なんてどっかの弥生人がテキトーに作ったに決まってる。そんなもんにいちいち鼻息荒くしているお前も十分愚かだよ』
くだらない書き込みにはくだらないレスがつく。是ネットの常識也。さっきまでのイライラを吹き飛ばすかのように私は力強くEnterキーを叩こうとした。
「――きょーこちゃんっ!!」
突然襖が開く。……いや、予兆みたいなものはあったのだけれど。
振り向くと廊下に
半袖半ズボンの小学生みたいな恰好の和鳥は泥まみれで、朝っぱらからの発掘調査は順調に進んでいたみたいだ。廊下を見ると、泥でできた和鳥の足跡がくっきりと残っている。
「……あーあ、あんたこんなに泥まみれにして。誰が掃除すると思ってんのよ」
もちろん私は掃除しない。多分うちのババアが何とかするだろう。
和鳥はえへへ、と悪びれた様子もない。
「きょーこちゃん、あちしね、大発見しちゃったかも」
舌足らずな喋り方も相まって、和鳥は実年齢よりも幼く見える。こいつが私と同い年だなんて、長い付き合いの私でも信じられん。
「ほら、これ!」
和鳥は大事そうに手に持っていた、これまた泥だらけの塊を私の方に突き出す。
「化石だよ!」
んなわけあるか。一般家庭の庭から化石がポンポン出てきてたまるかよ。
「あんた、この暑さでついに頭がやられたのね」
もう手遅れだわ、と私は首を振る。努力はわかったから庭に戻してきなさい。
「ほんとだって!化石だもん!」
いつもはすんなり言うことを聞く和鳥だが、今日はいつもと様子が違う。こういう時の和鳥は、てこでも動かないのを私は知っている。
仕方がないので一度庭に出て、和鳥が持ってきてた泥だらけの塊を洗ってみることにした。
「和鳥……やりすぎよ」
昨日まではシンプルだが整っている、綺麗な庭だったのだ。この夏の暑さにも負けずに青々と茂っていた芝生は見ているだけで、ネットのいざこざに疲れた心を癒してくれた。和鳥だってこの庭はうちの自慢なんだよって、そう言ってたじゃないの。
ほんの一日弱でこんなにも変わってしまうものなのか。あんなに生い茂っていた芝生はもうそこにはなく、代わりに深さ2mほどの穴が5つばかり空いていた。
「すごいでしょ、これ」
褒めて褒めてと言わんばかりに、和鳥は屈託のない笑顔をこちらに向けてくる。
いくら自分の家だからって限度ってもんがあるでしょうが……
「……はぁ。もういいから、さっさとそれ洗っちゃうよ」
穴に落ちないように気を付けながら庭の隅にあるホースを手に取る。しばらく使っていなかったので、壊れていないか心配だったが杞憂だったみたいだ。蛇口をひねるとごぽごぽ、とホースに水が満たされていく音の後に、きちんと水が出てきた。
化石だよ、大事に扱ってね!なんて言う和鳥には溜息しか出ない。
「これどこ置けばいーの?」
「うん、そのまま持っといて」
きょとんとする和鳥に向かって最大出力で水をかける。勢いよく和鳥にあたった水は透明な花びらのように四方に散って、辺りを水浸しにしていく。
ホースを持っている私にも、水は跳ね返ってくる。うだるような暑さの中でも、水に濡れたところはほんの少しだけ冷たい。冷房ほど涼しくて快適ではないが、夏も案外悪くはないなと思わなくもない。
きゃー、と甲高い声を上げてはいるが、和鳥も気持ちよさそうだ。そんな和鳥が腹立たしくて、ホースの出力を上げようとしてみるが、これ以上はダイヤルが回らない。悔しいけれど、執拗に顔を狙うことで溜飲を下げることにする。
「あれ?」
ほんの数分で和鳥はもちろん、和鳥が見つけた化石とやらもきれいになっていく。
やっぱりそれは化石じゃないみたいだ。化石というよりはむしろ――
「和鳥、それって埴輪じゃない?」
間違いない。ドラム缶みたいな体に、いかにもやっつけで付けましたって感じのシンプルな手。なによりもぽかんと空いた間抜けそうな目と口。和鳥が大事そうに抱えているそれは歴史の教科書で見覚えのある埴輪そのものだった。
埴輪ってなあに、と首をかしげる和鳥をよそに、これを売ったらいったいいくらになるのだろうか、なんて私は一人鼻息を荒くしているのだった。
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