第6話

 アムダは首をコキコキと鳴らし、大きく息をつくと、灰藁に改めて笑いかけた。

「歓迎しよう。君はなかなかに面白い思考回路を持っていると聞いてね、正直ウズウズが止まらないよ」

 アムダは拳を握って、揺らす動作をした。

「所長は未知のものとか、特殊なものが好きなんだよ。灰藁は結構面白い人間だから、気に入られるんじゃないかな?」

 ビティムは補足するように言った。灰藁からしてみれば甚だ失礼な発言だが、いたって悪気はなさそうだった。

「それで……そちらのお嬢さんは?」

 アムダはリェチャナに目をやった。今度もまた、何やら面白そうに笑っている。

「彼女は訳あって俺が預かっている……まぁ、居候のようなものだ」

「おいおい灰藁、お前だって居候じゃないか……。てか、所長には敬語で」

「カッカカ!いいんだ、そういう常識に囚われない人間のほうが面白い!私は敬語を使えだなんて、ここの職員にも言ってはいないからな」

「所長、そういう問題ではないような……」

「ビティム」

 アムダはビティムの口元に人差し指を当てた。

「敬語とはすなわち、敬意を表明するために使う言葉だ。しかし敬意を相手に対して抱いてもいないのに敬語を用いてしまうのが人間の上下関係というものだ。果たして私に対して敬語を用いる者の中に、どれほど真の敬意を抱いている者がいるだろう?私はこれを全員ではないと仮定している」

 アムダは嬉しそうな顔で灰藁の方を向いた。

「君は私に敬意を持たないのを隠そうともしなかった。これから君の上に立つであろう存在に対してね……。私はそれを咎めたりはしない。むしろ、その方が良い!包み隠さぬのは生物本来の持つ選択肢だ!そして生物本来の姿は何とも美しい!君の考え方は、私の感性を非常に激しく揺さぶってくれた……!」

 両手で天井を仰ぎ、アムダは続けた。

「ああ、なんて素晴らしい客人だ‼︎こんな男が私の研究者で働くというのか‼︎素晴らしい‼︎素晴らしいじゃないか‼︎ビティム、君は私にとんでもないサプライズをしてくれた‼︎」

 アムダは後ろを向き、そのまま向こうの通路を歩いて行く。その途中で叫んだ。

「さて灰藁、君の入社は認めよう!完全なまでに生物的なその姿を失うんじゃあないぞ!」

 アムダが見えなくなった後も、その笑い声が室内に響いていた。しばらく黙っていた灰藁は、やがて口を開いた。

「……晴れて入社って事でいいんだな?」

「そうみたいだな……。てか、所長はああいう人だからよかったけど、ちゃんと上司には敬語を使えよ?」

 同じく黙っていたビティムも返答した。しかし灰藁は敬語を使う気など毛頭なかった。彼が生きてきた中で敬語を使う場はほとんどと言っていいほど無かったし、ましてや敬語を強要する者がいようものなら、上下関係を保っていなければ力を表明できない無能と見なし真っ先に関わりを断つだろう。

 そして上っ面だけでも敬語を使わぬ根底には、彼が天才であるゆえのプライドが少なからずあった。

「ところでビティム、仕事ってなんなんだ?」

 灰藁はきょろきょろするリェチャナに目を向けてきいた。

「ああ、仕事ね……。初心者の君には簡単なのがいいか」

 ビティムは近くの猿顔の熊人に話を持ちかけ、少し話すと熊人の男はどこかへ立ち去っていった。

「決まりだ、灰藁はリェチャナ茸の採集をしてきてくれ」

「ほう?そんな内容でいいのか」

「いいんだよ、多忙なここの従業員にとっちゃ研究資料採りに行くのも手間なんだ……。」

 ビティムがそう言うので、灰藁はあたりを見回してみた。従業員はそれぞれの机上、或いは機械の前で何やら研究などを行なっているが、いたって険しい顔も見られなかった。

「忙しそうには見えんがな……。ビティム、何か隠してないか?」

「へ?いやいや、隠しちゃあいないさ。まぁじきにやってもらう仕事とは大きく違うけどね」

 灰藁はその発言を鼻で笑う。

「キノコ採りに行かせる暇があるんなら、武器の扱いでも教えてくれりゃあいいと思うんだがな……」

「お前、なんでそれを!?」

 驚くビティムに、灰藁は冷静に答えた。

「見えたんだよ、あっちの机で扱ってる羽根……。ありゃ動物図鑑で見た危険生物バルゴ鳥のだな?その隣じゃ大鈍熊の爪。その他にも危険生物の体の一部を研究してる」

「そうだが……。てか、よく見えたな」

「そしてお前は現在は生物学に関与していないんだろ?それなのにこの研究所にいる。そして俺は資料の採集を言いつけられた……となれば、導き出される答えは一つだ」

 灰藁はそこまで言って、ビティムの返答を待った。ビティムは少ししどろもどろして言った。

「ええと、まず灰藁は、この変の地形とか環境とか理解していないんだろう?だからいきなり生物を狩るのは危険かなって……」

「そうか、それで?急に鉢合わせでもしたら?」

「そりゃあ武器は持たせるし、使い方だって」

「じゃあキノコ狩りなんぞさせる暇があるんならそっちを頼むって話だ。俺もリェチャナもできるだけ武器を使えた方が安全だ」

「それはそうだが……って灰藁、今リェチャナに武器を教えるって言ったか?」

「ん?そうだが」

 堂々とする灰藁に、ビティムは少し参ったように言う。

「この子は仕事中は研究所にとどまっててもらうよ。戦いの場になんか駆り出せないって」

「ほほう、それでいいのか?」

「え?それはどういう意」

 ビティムが言いかけたところで、リェチャナの拳がビティムの顎に直撃した。ビティムはそのまま宙に浮き、鉱物製の床に背中を打った。

「ぐげっ‼︎」

「偉そうに。おりこうさんにしてろってワケ?どうしても待ってろって言うなら、ここの壁を吹き抜けの玄関にしたげてもいいけど」

 リェチャナはファインティングポーズを取り、くいくいっと拳を軽く突き出す動作をした。

「あなたに務まる荒事が私にできないこたあないって証明されたわね。わかったら、さっさと武器持ってきて」

 リェチャナはそう言って余裕そうにそっぽを向いた。拾ってきた当時、所詮は獣人と灰藁はたかをくくっていたが、いざ言葉を交わしてみると、リェチャナは想像していた以上に流暢に会話をすることが可能だった。

「や、やれやれ……元気な子供には敵わないよ……」

 ビティムは仰向けの姿勢で呟いた。


 一通りの武器の扱いを学んだ灰藁とリェチャナは、ビティム同伴で早速狩りに出かける事になった。

「随分と早かったねぇ、二人とも。武器の扱いに慣れるのがさ」

「当然よ、私はあなた達とは出来が違うの。そして灰藁はその私が認める男だし」

「リェチャナは以前に格闘技の経験があるからな。それもかなりの流派だ」

 灰藁はリェチャナの強さを裏付けるための捏造情報を言った。ビティムはそれを知るよしもない。

「なぁるほど、単純な筋トレと実践練習だけの俺じゃあ敵わないわけだ」

「格下に謙虚にされても嬉しかないわよ」

 リェチャナはビティムに冷たく返した。灰藁以外に辛辣な発言が多いのは教えられたことではなく、単に周りをナチュラルに見下しているだけである。もし灰藁が雰囲気で強さや知性を感じさせなかったり、或いは強くする遺伝子を投与してくれなかったのなら、灰藁も見下す対象に入っていただろう。

 逆に言うと、灰藁はリェチャナに尊敬にも近い認め方をされている。なので、リェチャナは灰藁の言う事には極力従うことにしていた。

「ま、灰藁の強さを感じ取れてないあたり鈍感よねー」

「灰藁ってそんなに強いのかい?」

「そうよ。あなたなんか瞬殺でしょうね」

「そんなにかぁ……。でもそういうの感じ取れるっていうのも、格闘家の感なんだろうね」

 鴉人の感が特別冴えてるだけだ、と、灰藁は心の中で呟いた。

「ビティム、今回の狩りだが……」

 灰藁が他二人の前を歩きながら言った。

「狩る相手は『ランギカ』と言ったな。大型の陸上蛸だろう?」

「そうそう、初めてにしちゃあ危ない相手だと思うけど、海にいるのよりかは小さいし、地の利もある。飛び道具を使えば制圧できるよ」

 ランギカの体長は通常一メートル弱で、動きは遅いので危険性は狼未満である。とはいえ、力の強さは相応のもの、何より獰猛なので、迂闊に近づけば絞め殺され、捕食されてしまう。蛸の仲間という認識が一般だが、生物学上はカタツムリの近隣種である。

 山中を歩き続けた一行は、大きな二つの洞穴にたどり着いた。

「この先のどちらか、或いは両方だ。雨の日を好むからな……。ここは二手に分かれよう、篭ったランギカ程度なら君たちでも狩れる」

 ビティムはそう言って懐中電灯を点け、右の穴に入って行った。灰藁とリェチャナは目が効くので、そのまま左の穴へ入って行った。

 石の洞穴の中はじめじめしていた。五感が変化した灰藁は、暑いのかどうかわからなかった。四〇メートルほど進むと、突き当たりに何か大きな塊があった。否、大きなどころではない。紫色の岩のような肌の、巨大な蛸がいた。

「おいおい、十メートルはあるんじゃねぇか?思いっきり突然変異種だな」

 巨大なランギカは二人を見るなり、石柱のような触手を唸らせて叩きつけてきた。分かれて避けた二人を、更に幾つもの触手が意思を持ったように襲いかかってきた。灰藁は避ける一方で、一切手を出そうとしない。しかしリェチャナは、来る触手一本一本に拳や蹴脚で痛恨打を与えていた。

「美味しそうな御御足じゃないの、ちゃんと肉をほぐさなきゃ、ねッ!!」

 リェチャナが放った力任せの裏拳に触手は強く弾かれ、ランギカは痛みのあまり赤い目をぎょろぎょろさせた。

「リェチャナ」

 灰藁に呼ばれて、リェチャナはその方を向いた。

「これを覚えろ」

 灰藁は回避を辞め、腰を深く落としてから力強く踏み込んだ。そして向かってきた触手の一本に正拳突きを加えた。爆発音にも近い轟音が洞穴の中に響き渡り、吹き飛ばされたたった一本の触手に押されて後に続く数本の触手と本体までもが壁に叩きつけられた。

「さて、これをやってみろ。お前ならできるはずだ」

 リェチャナは壁にもたれるランギカのもとへ土ぼこりを率いて飛び込み、腰をドックンと落とした。そして大地を圧縮せんばかりの力で踏み込み、凶悪な拳を回転を加えながら突き出した。

 最初に聞こえたのは、銃声のような、空気の壁を破った音だった。そして次の瞬間には、洞穴の中に雷が突き抜けたのかと錯覚させるような轟音と共に、大蛸が風穴を中心に幾つかの肉片と化していた。

 紫と白の肉片は壁にべったりと張り付き、かなりの弾力があることを示していた。

「なるほど……手加減をしてまでやらせた甲斐はあった、まだまだ強くできるな」

 灰藁は少し狂気を滲ませて呟いた。そして突き当たりの壁に近寄って、肉片を強引に掴んで剥ぎ取った。

「リェチャナ、帰るぞ。研究所での演技は良かった」

「期待には応えるよ。強くしてくれるならね」

「ああ、もっともっと戦わせてやるさ。そのためにこの仕事を引き受けたのだからな……クッハハ、ハハハハッ!」

 洞穴には、狂気的な笑い声が響き渡っていた。それこそが自分を強くする者の原動力の露呈であるということを、この時リェチャナは発見していた。

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狂気の天才とアナザーワールド @Mu_tu_gorou

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