第5話
本日の昼の食卓には、牛乳のようなスープに黄色の極々細い麺が入った料理が出された。煮込み料理らしく、色とりどりの野菜がたっぷりと入っている。
食器は三人分あった。おそらくは客をもてなすための予備であろうが、こういった状況で活躍するとはこの食卓にいる誰もが予想していなかった。無論、それを気にかける者もいなかった。
「いただきます」
合掌する灰藁の隣の椅子には、鴉人の少女が座っていた。瞳の色は黄金色なのが鴉人の特徴だが、この世界でその瞳の色は別に珍しくはない。どちらかといえば、灰藁の濃い茶色の目の方が珍しいくらいだ。そのため、着替え終わった少女の可憐な姿は、もはや人間と思ってしまえば疑いようはない。
少女が何も言わずに食べ始めたため灰藁は少しぎょっとしたが、いただきますはこの世界では自分しか行わない事を思い出し、ふうとため息をついた。幸い獣人は知能がただの人とさほど変わらないため、しっかりと食器を使って食べている。
「そうだ、君、名前は?」
ビティムはふと質問をしてきた。灰藁は少し焦ったが、すかさず答えた。
「リェチャナ」
リェチャナ茸の群生している場所で拾ったため、その名が真っ先に思い浮かんだ。大抵の生物は、発見された場所の名前か発見者の名前が付く。そんな灰藁の思考回路で咄嗟に弾き出した答えならあまりにも必然的なものだった。
「へぇ……。リェチャナか、珍しい名前だ」
「ちなみに姓はヤマトだ」
「おお、それも珍しいな」
存在しない国の呼び名なのだから当然だ、と、灰藁は心の中で呟いた。
「それじゃあリェチャナ、ご両親が見つかるまでの間、よろしくね」
灰藁はビティムに、リェチャナの両親は散り散りになったという設定を聞かせていた。微笑みかけるビティムに対し、リェチャナは見向きもしなかった。
「まぁ、あんな状態で山の中を歩いてきたんだ、しばらくは簡単に心を開いてはくれないだろう」
「そっか……。まぁ、それならそれでそっとしておくさ。いずれは元気になってくれるといいな」
ビティムはそう言って、麺をかっこんだ。
「ごちそうさん」
「あえ……?んぐ、灰藁、ずいぶんと食べるの速いね、意外に大食い?」
「ん?ああ……」
鴉人の少女も、ちょうど飯を平らげた。灰藁は、今の自分の食欲が獣人と同じレベルにあることを実感した。以前の彼なら、これほどまでにすぐ食事を終えることは有り得なかった。具材のないポタージュスープですら、ぼーっと考え事にふけりながら、ゆっくり時間をかけて食べていた。
「そういえば灰藁、白衣の前開けないのか?」
「いや、少し激しく動く時にポケットを安定させたくてな。ちょうど昨日、それで採取した資料を駄目にした」
「ハッハハハ!ならしょうがないな」
ビティムは笑って野菜をかっこんだ。灰藁の白衣の下に、血がべっとりと付いたシャツが隠されているのには気づかなかった。
「さて、まだ出発まで時間があるだろう?少し準備してくる。時間になったら小屋の外から呼んでくれ」
「おう」
灰藁はそう言って、リェチャナを連れて家を出た。
その後灰藁は小屋へ向かった。リェチャナを連れて中へ入り、部屋の中央あたりまで行きリェチャナと向き合うようにして立った。今現在リェチャナがどの程度人間界に馴染める状態なのかのテストをするべく、灰藁はいくつかの質問をした。
常用言葉の意味、風習、社会常識、コミュニケーションの取り方、などなど、人間性があるかを確かめた。
人と暮らさぬ獣人は大抵俗世から離れただけの人間のようなものであるため、大抵の質問には正しく答えることが出来た。少し人間関係を築く際に障害になるであろう答えが返ってきたこともあったので、それはその都度注意した。
次に灰藁は、いくつかの約束をした。
立場上は自分が保護者であること。
鴉人だと極力周囲に知られないように努めること。
見知らぬ人間とは最低限の関わりで済ませ、なるべく口を聞かぬこと。
勝手に目の行き届かぬ場所に行ったり、あるいは勝手な行動をしないこと。
すぐに暴力を振るったりしないこと。
灰藁の言うことに従うこと。
これらの約束を、リェチャナはすんなり受け入れた。小屋は吹き抜けの巣よりも断然居心地が良かったし、食事に関しても灰藁たちといれば美味いものが食える。灰藁は特に無理強いもしないので、リェチャナは約束を守ることにデメリットを感じてはいなかった。
「そうだ、それと……」
灰藁は何かを胸ポケットから取り出した。それはプラスチックの小さな容器だった。中には浅葱色の液体が入っている。
灰藁は腰のポケットから頑丈な注射器も取り出して、容器の中身を注射器に取った。
「しぶとい生物だから、感染症の心配は無いと思うが……。ビティムは使わないらしいから、俺のを使い回す他ない」
灰藁は独り言を呟きながら、リェチャナの腕をさする。そして天然由来の麻酔薬を塗ると、リェチャナの腕の血管にしっかりと針を刺し、注射した。
リェチャナは顔を引きつらせ少しびくっとしたが、痛みがないことがわかるとすぐに顔に落ち着きを取り戻した。
「よしよし、いい子だ」
灰藁は注射器を抜き、リェチャナの様子を見守る。リェチャナは少しぞくぞくっとした様子を見せたが、次第に自分の手を握ってみたり揺れ動いてみたりし始めた。
「フフ、不思議な感覚か?力が溢れるだろう」
灰藁は少し狂気を帯びた微笑を浮かべた。
「うん……!一体、何やったの?」
リェチャナはうきうきしたような表情で灰藁に質問した。考えてみれば、彼女が笑顔を人間に見せたのはこれが初めてだったかもしれない。
「あれはお前を強くするものだ」
灰藁もうずうずしたような顔で答えた。リェチャナに投与したのは、サンプルを薄めて作成した生物兵器の遺伝子だった。投与した際の激痛がリェチャナの人間不信を引き起こすことを危惧して、効果を薄めたのだ。その分、強くなるにはまだまだ投与回数を重ねなければならない。
「おーい、行くぞー」
外から声が聞こえてきた。ビティムが呼びに来たらしい。
「さて、時間か……。リェチャナ、行くぞ。くれぐれも勝手な行動は慎むようにな」
「わかってるって」
リェチャナは笑顔でウィンクした。灰藁はまだ不安を拭えなかったが、鴉人は他の獣人よりひときわ賢いので信用することにした。
山を抜けて着いた場所は、大きな研究所だった。外から見れば窓が丸いだけの病院のようだが、中はどちらかといえば美術館や博物館のような造りをしていて、天井には複雑な形をした大きなシャンデリアがいくつもぶら下がっていた。
「ほぉ……まるで美術品だ。こういう伝統的な製法でもあるのか?」
「左様でございます」
灰藁の横から割って入ったうやうやしい声の主は、紺のスーツを着たオールバックの獣人だった。どことなく猿のような顔だが、耳が頭上にあるので霊長類の獣人ではない。形から察するに、熊の類いだろうと灰藁は推測した。
「この製法はアムダ・アラッバという伝説の職人が広く世に知らしめた技術でございまして、彼の故郷であるこの地ヴレイダでは、百年経った今もなお愛され、あらゆる建物に用いられておりまする」
「ふぅむ……」
灰藁は再度上をじっと見た。よくよく見れば、何やら趣向も凝らされているのがよく分かった。模様はあらゆる生物の形に作られていた。目線を戻すと、熱心に上を見上げるリェチャナと、造形のこだわりに灰藁が興味を持ったので嬉しそうにする熊人がいた。
「む?ビティムは……?」
「こっちだよ」
ビティムは熊人の反対方向から、誰かと共にやってきた。それを見るなり、熊人の男は深々と礼をした。
「所長、彼が灰藁です」
「ほっほ、確かに珍しい空気を放っている」
白衣を着た、短めのたてがみのような金髪の男が、灰藁の元へやってきた。そして灰藁を物珍しそうに眺めると、にかっと白い歯を見せて笑った。
「私は、ここヴレイダ生物研究所の所長、アムダ・グルーザイだ!ビティムから話は聞いているよ」
アムダはさらに強く笑んだ。その顔に、灰藁はどこか馴染み深さを感じていた。
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