第4話
ごうごうと燃え盛る炎の砦を背に立つ灰藁は、もはや先ほどまでの疲労感を発してはいない。むしろ、最初に鴉人達と出会った時にはなかった覇気のようなものすら纏っているように思えた。
「さて……」
一歩、また一歩と警戒する鴉人達に近づく灰藁。予想外が立て続けに起こる状況下で、鴉人達は混乱していた。
一歩、また一歩。灰藁は自宅の庭を散歩するかの如く、全く緊張や威圧といった強張りのない足取りで移動している。にも関わらず、鴉人達は異常なまでのプレッシャーを灰藁から感じ取っていた。何かとてつもないものが近づいてくる感覚を確かに感じていること、それ自体が今までの生涯で強者の立場にしかいなかった彼等にとってどれほどの恐怖であるのかは想像に難くはない。
先に飛び出したのは鴉人の男だった。雄叫びを上げながら、弾けるように灰藁の胸元めがけて突っ込んで行く。そして手を引っ掻くような形に変えた。見かけは人間のそれであるものの、野生を生きる獣人の手は強く、鉄板なども紙同様に引き裂いてしまうだろう。まともに喰らえば、人間などはひとたまりもない。
ところが灰藁は、涼しい顔でそれを払いのけた。ガコッ!とまるで樫の木を力いっぱい棍棒で殴ったような、とても人の手同士のぶつかる音とは思えない音が辺りに響いた。
「ウグァッ‼︎」
鴉人は怯まず身体を横に捻り、遠心力をつけた裏拳を放ってきた。灰藁は再度虫を払うようにそっけなく弾き、腰を落としてもう片方の手で正拳突きを見舞った。
「ギゲェァ……あ⁉︎」
脇腹に感じたことのな衝撃と痛みとを感じた鴉人は、目をひん剥いて吹き飛んだ。その速度も、おそらく自分の翼を使って急いで飛んだ時くらい、或いはそれ以上の速度だったのだろう、鴉人は速さに恐怖するような顔をしていた。
そして山の中ゆえ木との衝突を免れられるはずもなく、豪速を保ったまま大木の幹に打ち付けられた鴉人の男は血を噴き出してずるりと地面に転がり、動かなくなった。
一部始終を棒立ちのまま見ていた鴉人の女は、急に恐ろしくなり翼を広げ、そのまま一目散に飛び立った。
しかし灰藁は、それを見逃そうとはしなかった。深く腰を落とすと、次の瞬間、灰藁は地を強く抉って跳びだした。もはや女がその音を拾うより早く、灰藁は女を地に蹴落とした。
土を舞わせ地に叩きつけられた女は、地を這ってよろよろと逃げようとしていた。しかし次の瞬間には、頭上の剛拳がその意識を打ち沈めていた。
灰藁は白衣に付いた鉾や煤を払い、ひとつ息をつくと、伸びている鴉人の女と男からそれぞれ羽根を抜き、落ちていたカバンの小分けになったポケットの中に入れた。
「カバンの中身は……無事か。やれやれ、何か壊してしまえばビティムに合わせる顔がない」
カバンについた汚れもはたき落としながら、灰藁はあたりを見回した。
「この周辺にも幾つか図鑑で見た植物があるな……。む、あれはリェチャナ茸か?」
派手な黄色のキノコを見つけ、灰藁は思わず歩み寄る。
この世界へ来てから一番最初に名前を知った植物だ。
「丈は三〜六センチらしいが、どうにも小さく見えるな。まぁ、実物とは大体そんなもの……んぁ!?」
灰藁は驚いて、思わず歩を止めてしまった。
近づいた場所にあったのは、キノコばかりではなかった。
ツギハギの服を着て、汚れた青い布切れを履いた長い黒髪の少女が、群生するリェチャナ茸の上に横たわっていた。
見れば顔や腕からは血が出ていて、切り裂いたような傷跡があった。おそらくはさっき戦った鴉人達がつけたのだろう。
鳥類系の獣人は、人でありながら鳥類の習性のほうを色濃く持っている。他の巣から餌として子供を獲ってくることも、別に珍しいことではない。灰藁はそれを知っていた。
「つまり、こいつの両親は争い敗けた……ということか。運が良けりゃ生きてるか?いや、巣に誰もいない隙を狙ったのか……。いずれにせよ、わざわざ助けにまでは来ないだろうな。人の姿をしてようが、所詮は獣だ」
灰藁は力なく横たわる鴉人の少女を、哀れむように見下ろしていた。そして数分の間そのままだった。
急に夜空の方を向くと、灰藁は何か独り言を言っていた。その内容は、だいたいが自然の摂理とそれに対する彼自身の冷たい賛同だった。その後また少女を見下ろすと、一言だけはっきりと呟いた。
「となれば、これもまた自然の摂理だ」
灰藁はかがんで、少女を抱え上げた。そして依然として冷たい表情を保ったまま、山路を歩いていった。
ビティムは理解できなかった。
朝に帰宅するなり灰藁が「金を貸して欲しい」と頼んできたので、金に余裕のあったビティムは快く貸した。なかなか高額だったので、研究費の足しにでもするのだろう、なんて熱心な男だ、と。
しかし買ってきたものが気になり庭まで出てみれば、この不可思議な居候の男は、あろうことか女物の、それも十代で育ち盛りくらいの少女が着るような服を買ってきた。
それがビティムにはどう思慮を巡らせようと理解できず、思わず理由を尋ねた。灰藁は小芝居をして答えた。
「昨夕、遭難した少女が訪ねてきた。可哀想な事に服はぼろぼろで、とても外を歩けないような格好になっていたのだ」
灰藁は苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。
「なるほど……、う〜ん……。いまいち理解は追いつかないけど、その娘が無事ならまぁ、いいかな?」
ビティムは尚も混乱していたが、遭難した少女は無事、その一点でその話は片付けることにした。
「ああ、それとだ」
灰藁は付け加える。
「仕事が欲しいから、何か紹介してくれないか?帰る場所が無いとは言ったが、世話されてばかりにもいかんだろう。それに、少女を住まわせると言ってしまったのは俺だし、俺がその分の面倒は見てやらなきゃならない」
本当の事を言えば、灰藁は鴉人の少女の事について介入されたくなかった。だから自分で面倒を見ると言ったのだ。それに、穀潰しのままでビティムがいつまでも優しくしてくれるとも思えなかったし、正味養われてばかりでも居心地が悪かった。
ビティムは目を上にやり、考える動作をする。世界は違えどやる事は同じなのか、と灰藁は思った。
しばらく考えたのち、ビティムがこちらを見て言った。
「灰藁さ、俺と同じ仕事してみないか?ちょうどもうすぐ仕事だし」
ビティムはにこやかに笑う。灰藁は思わず聞き返した。
「何の仕事なんだ?」
「それはまぁ、行ってみてからのお楽しみさ!お前なら、きっと気に入るぜ!」
灰藁は首を傾げた。しかしビティムが言うのだから、ついて行っても損はないだろう。まして文句を言ったところで進展する予感もしなかった。
「わかった、見てみよう」
「決まりだな‼︎」
そう言ってビティムは意気揚々と家に戻っていった。少女向けの服が入った茶紙袋を抱えたままの灰藁は、さっさと小屋へ引っ込んで行った。
中へ入ると、鴉人の少女がぽつんと部屋の隅にいた。
「ほう、効果が出たな」
昨晩目を覚ました時には、灰藁を見るなり喚き散らして大暴れし、恐怖と興奮を交えた威嚇を灰藁に向け、近づくことを断固許容しなかった。
灰藁はそれを巣ごと襲撃を受けてから餌として連れて来られるまでのトラウマから来るものだとして、その体験を忘却させるべくリェチャナ茸を数本摘んできて小屋の隅へ投げておいた。
「流石に腹が減っては食うだろうなと思ったが、やはりか」
少女は灰藁に気づくと、あたりをきょろきょろと見回した。見たことのない白い空間に、少女は戸惑いを隠せずにいた。
「まだ慣れないだろうが、ここが優れた空間だと知れば落ち着くだろう……。さて、これを着な」
灰藁がボンと紙袋を差し出すと、少女は興味ありげに中身をがさごそと漁った。中身は、桃色とベージュを基調とした腕の白いVネックと、水色のサルエルパンツ、それから灰色の短い靴下に黄緑と水色のスニーカー、おまけにシンプルな藁帽子が入っていて、灰藁がいかに人間らしい格好にさせるか考えたのかが伺えた。
少女は目を輝かせ、灰藁の言葉通りに着用するべくツギハギの服を脱ぎ始めた。灰藁はさっと出口に向かう。
「後で下着も買いに行くからな……もちろん売り場に行くのはお前だが。着替えたら邸まで来い」
灰藁はそう言い残して小屋を出た。
「さて……、ビティムのことだ、奴の分まで飯を作ってくれてる事だろう。そうでなくとも、小屋に篭りっぱなしってのもおかしな話だからな……。はぁ、面倒になりそうだな」
灰藁はひとりため息をつき、ビティムのいる家へと向かった。
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