第3話

 灰藁はビティムより先に昼食を終えた。

「ごちそうさま」

「結構急いで食ったなぁ」

「ああ、美味かったもんで……」

 この世界でも一日の食事は朝、昼、晩の三度であった。繊維質の麺のような物を甘辛く煮た昼食は、なかなかに美味かった。しかし灰藁はそんな理由で急いで食事を終えたりする男ではない。

「小屋へ戻るのか?今日は仕事で一日家を空けるから、夜のことまでは面倒見れないが……」

「篭ってるさ、夕飯も自分で何かしら採ってくるつもりだ、遠慮なく戸締りするといい」

 さっさと食器を流しに置いてしまうと、灰藁は外へ飛び出していった。

「あっ、おい……!まぁいいか、流石に夜が危険な事くらい知ってるだろう……。あっ、いっけね、時間が押してる!」

 ビティムもまた急ぐように自分の分を食べ進めた。

 小屋に飛び込んだ灰藁は、本を乱雑に取り出し、それらを貪るように読み漁った。その様子は、さながら肉を貪る飢えた獣のようだった。

「どこだ……、これを完全にする最後の鍵は……‼︎」

 そう言って灰藁が胸ポケットから取り出したのは、翡翠色の液体が入った四センチほどのプラスチック容器だった。

「あの時白衣をあばら家の廃れた物置に入れておいて正解だったな……。これまで押収されてはたまったもんじゃない」

 それは灰藁の研究の結晶とも言える液体だった。この上なく強力で、それでいてまだ世界に一体も存在しない、全く新しい生物の遺伝子とそれに対応する人工のアミノ酸が含まれた液体。つまりは生物兵器の素である。しかし遺伝子が生物のそれを超越していたためか人工アミノ酸の合成が行われず、細胞を生み出せるような代物ではなかった。

「もう一つ、もう一つだ……。何かこの異質な遺伝情報を細胞に変換できるよう翻訳できる物質があれば……」

 ボサボサの髪を掻き回し、息を荒げてページを雑にめくり続ける灰藁。資料を変えてはこれを繰り返し、その光景は黄昏時まで続いた。

 かなりの長い時間が経過しても、灰藁は小屋へ来た時から同じ調子で書物を漁っていた。冷涼で快適な温度であるというのに額には沢山の汗が滲み、目は林檎のように充血していた。

 ふと、灰藁は一瞬手を止めた。

「これは」

 そのページには、この世界へ来た時に見たステンドグラスのようなキノコのような植物の絵があった。

「なに?『鮮やかな花から採れる半透明の液は、病などによる機能不全で腐食する肉体を復活させるための薬に用いられ、医療を大幅に進歩させるきっかけともなった』……か、奇跡のような効能だが、ここまでだとむしろ恐ろしいな」

 灰藁は一息つくと、再びページを急ぎめくり進めた。

「……待て‼︎‼︎」

 灰藁は鬼気迫る表情でさっきの植物が描かれたページへと戻した。乱暴にめくったので、進めていたページには大きな折り目がついてしまった。

「肉体を復活させる……。つまり、機能を失った遺伝子が細胞を生み出す事を可能とさせるのか……!」

 灰藁は満面の笑みを浮かべ、両の手で強く机を叩いた。

「そうか‼︎これが鍵だったのだ‼︎これこそが遺伝子を働かせるのだ‼︎」

 近くにあった茶色のカバンにいくつかの実験道具を放り込み、灰藁は外へと飛び出した。

「ハハハハハハ‼︎‼︎あの場所へと向かう‼︎鍵が眠る、始まりの場所に‼︎‼︎」

 大笑いしながら全力疾走する灰藁。日はもう既に沈みかけていた。

 しばらく走ると、この世界で一番最初に自分が目覚めた場所があった。灰藁は走るのをやめ、あたりを注意深く真剣に見回した。

「確かこの辺りだったはずだ……っ‼︎あれだ‼︎」

 灰藁はステンドグラスのような花の植物を見つけ、飛びつくように駆け寄り、その鮮やかでキノコの傘のような花を懐から取り出した剃刀で傷つけた。すると虹色のような半透明の液が溢れてきたので、それをすかさず空の小さなプラスチック容器で採取した。

 灰藁は手のひらサイズの二枚構造のレンズをカバンから取り出すとそれを二枚貝のように開き、下の層のレンズの中央にあるくぼみに花の液を塗りつけた。そしてレンズを元に戻して付属の白い紙切れを敷いた手のひらの上に乗せると、白を背景に拡大された液体の内容が見えた。

「結構な倍率だな……しかし見た事のない構造だ」

 灰藁は高鳴る鼓動を抑え、胸ポケットから生物兵器の遺伝子が入った容器を取り出した。

「どういった原理で滅茶苦茶な伝達を促すのだ?……いや、今はどうだっていい、これに使えるのなら……‼︎」

 灰藁は遺伝子入りの容器のキャップを開け、そこへ先ほど採取した花の液を慎重に入れた。冷静だったが、手は若干震えていた。

「……っと」

 全て入れ終えると軽く数回振り、早速それを二層レンズに取ってがっつくように観察した。灰藁は銅像になったかのようにじっと待ち続ける。そしてあたりがすっかり夜になっても根気強く待っていると、月の光に照らされたレンズの中で変化が起こった。

「良し……‼︎良し‼︎良しッ‼︎‼︎細胞が形成されている‼︎‼︎ハハハッ‼︎‼︎製作は‼︎‼︎成功だァッ‼︎‼︎ハハハハハ……‼︎」

 その時、灰藁は天にも昇る心地だったためか、反応が遅れた。

「ッ⁉︎なんだこれは⁉︎」

 何者かに両肩を強く掴まれている感覚がした。無意識のうちに下を向いていたが、そこにあるはずの地面が妙に遠かった。そして高速で木々の間を抜け、灰藁は放り出された。

「ぐぁ‼︎っ……‼︎」

 そこは屋内だった。しかし縄文人などが作ったような、星空のような鉱石を原料とした塗料を塗り固めた建物だった。卵型で窓はなく、出口には月光に照らされて誰かが立っていた。

「……腹減った」

 声から察するに女だった。そして女は、灰藁に飛びかかってきた。

「うおっ‼︎」

 灰藁が横に転がって避けると、女は恨めしそうに唸った。そして再度灰藁に飛びかかってきた。

「くっ……」

 灰藁は後ろに跳びのき、壁を背にしたまま懐に手を突っ込んだ。

「クルルル……」

 ゆっくりと顔を上げる黒の長髪の女。よく見ると服装はツギハギの服で、一部幼児向けの服や男物のスーツもあったことから数人ほど追い剥ぎした可能性が見て取れた。

「ウシャアッ‼︎」

 その時、爆音と共に、飛びかかってくる女が血を飛ばして後ろへと吹き飛んだ。灰藁の手には、煙を吐き続けるリボルバー式の銃が握られていた。

「何だこの女は……」

 女が倒れたので銃を下ろそうとしたのもつかの間、女は急に高く飛び上がった。灰藁は急いで二発の弾丸を撃ち込んだ。二発とも狙った箇所は頭だったが、一発は人間にあるはずのない背中の黒い翼に当たった。赤い血と黒い羽が落ちてきた。

「がっ……!」

「頭撃ったってのに、どうなってやがる⁉︎」

 撃ち落とされた女は地面に叩きつけられ、血が出る頭を抑えつつ立ち上がろうとした。しかし、弾丸は容赦なく襲ってきた。

「させるかよ」

「がぁぁッ‼︎」

 この女は「鴉人」である。灰藁は図鑑にて「危険な獣人」の類にこの生物がいたことを知っていたので、このまま仕留める事にしたのだ。

 頭を撃って止めを刺そうとしたものの、鴉人の女は咄嗟に頭を守った。残弾数は一発なので、確実に仕留めるべく灰藁はうずくまりつつも隙を狙う鴉人の女に歩み寄った。

「脊髄さえ狙えば死なずとも大人しく……ッぐ⁉︎」

 何者かの襲撃を受けて、灰藁は吹き飛ばされた。地面を激しく転がり、銃も落としてしまった。そして野太い声が聞こえた。

「うあぁ‼︎」

 灰藁は、飛んできたカバンと何かを転がって避ける。すぐさま起き上がると、目の前には鴉人の男が威嚇するように立っていた。

「つがいか……クソッ‼︎」

 灰藁はカバンを取り、銃を探した。鴉人の男の足元にあったので、どうにかして取れないか考えた。とはいえ、替えの弾薬は無いので、かなり焦っていた。

「銃で撃っても死なない奴相手にどう戦えってんだ……」

 思慮を巡らせていると、鴉人の男が叫び、飛びかかってきた。灰藁は咄嗟に避けたので、胸を深く斬られてしまった。また、入り口とは対照の壁側に避けてしまい、銃が遠ざかった。

「くぅっ、がぁ……‼︎うぅ、位置的に挟まれてる……ッ!迂闊には動けんな……ッ」

 左手に男、右手に女、中央に一発限りの銃。男は元気で、女も立ち上がりかけている。それに対して、座り込み壁にもたれるしか無い灰藁。もはや絶望的だった。しかし、僅かな勝機すら消すような事態が起こっていた。

「あれはッ⁉︎」

 男がカバンとともに投げ込んだものに、灰藁は匂いと音で気づいた。

 それは、裂け目の入ったガスボンベだった。

 鴉人は人工物を好んで集める習性があるため、取ってきたものなのだろう。男がこれをどういう目的で裂いて投げ込んだのかは幾つも考えられるが、入り口以外に空気が出入りする場所はなく、充満するのは容易であるため、唯一の対抗手段である銃が使えなくなったのは灰藁にとって痛恨打だった。

「……万事休す、或いは絶体絶命……」

 灰藁は自分の中で血がおぞましい巡り方しているのを実感していた。息も荒く、汗もぞうっと吹き出していた。

 鴉人の男は振り向くと、落ちている銃に歩み寄った。限界の中灰藁は、おもむろにカバンに手を突っ込んでいた。

「習性だもんな……そうだ……頼む……まだ来るなぁ……ッ!」

 灰藁は、カバンから頑丈そうな注射器を取り出した。そして空気を抜いて、胸ポケットから遺伝子の容器を取り出してキャップを開けた。そしてそれを注射器に移した。

 一方で鴉人の男は銃を拾い上げ、いろんな角度から眺めていた。女は男に灰藁のを見て盗んだらしい使い方を教え始めた。

「まずいッ……‼︎急がねば、ッ‼︎」

 体力の限界とこんな状況でも来てしまう高揚感で手が震えて、腕をまくるのも困難だった。自分の心臓の音が良く聞こえる。

「うおお……動け‼︎‼︎」

 息が今まで無いほどに荒い。胸が焼けるように痛い。あらゆる要素が手を震わせる。

 鴉人の男がこちらに銃を向ける。持ち方は正しい。引き金に指がかかっている。

 血管を。うっすら青黒い線を。

 確実に。

「うおおおおおおおおああああああ‼︎‼︎」

 しっかりと刺さった注射器から、翡翠色の液体が血管に流し込まれた。そしてそれは上がりきった灰藁の心拍によって、豪速で体を駆け巡った。

 刹那、激痛。

 痛い。

 熱い。

 そんなものではない。

 あらゆる苦痛を表す言葉ではとても表現できない痛み。

 そして、表現しきれない。

 灰藁はつつかれたミミズのようにのたうち回った。血を吐き続ける胸も黙るほどに痛かった。声にならない痛哭とともに、乾いた息を不安定に強く吐き続けた。

 やがて痛みは、身体中を這い上がるような力へと実感が変わっていった。鴉人たちは灰藁の様子にやや怖気付いていたが、男はついに、動かなくなった灰藁めがけて引き金を引いた。

 轟音と激しい光、そして灼熱の業火が、鴉人の巣を吹き飛ばした。

 外へ飛ばされた鴉人二人は、転がったのちよろけて立ち上がった。

「ご飯……」

 腹をさすって女が呟く。

「また、取ってこよう……」

 男はそう返し、首を鳴らした。

 しかし、二人は驚愕した。

 瓦礫とともに燃え盛る炎の中に、確かに影を見た。

 それはゆっくりと近づいてきて、やがてその正体が露わになった。

「これが俺の化学だ」

 炎に照らされた灰藁の胸には、深い傷などもうどこにもなかった。

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