24.エピローグ

 ――二〇二〇年、四月下旬。正午。S県K警察署食堂。

 昼の食堂はごった返している。見渡してみると、民間人の利用客も多く、警察の人間は半数程度しかいないように見えた。もっとも、僕が顔を覚えていないだけで、警察関係者も多いのかもしれないけれど。

 連日、慌ただしい。昼食を昼に摂れるだけ、今日はまだ落ち着いている方だといえる。

 きつねうどんの乗ったトレイを手に、空いた席を探す。ふと側の席に着いていた白髪頭の男性が、隣の丸椅子をぽんぽんと叩いた。

「高田の坊ちゃんじゃないか。ここ、空いてるよ」

 宇徳係長だ。僕はありがたくその席に座らせて貰うことにした。

「お疲れ様です。いやぁ、助かりました」

「まったくなんで好き好んで、警察署に飯食いに来るかねぇ。この辺りにはファミレスもたくさんあるってのに」

「ちょっと……聞こえますよ」

 宇徳さんが普段と変わらないトーンでそんなことを言うので、慌てて人差し指を口の前に立てた。ただでさえ風当たりの強い昨今、民間人に聞かれたら何を言われるかわかったものじゃない。

 この怖いもの知らずの係長は、来年には定年を迎える、この道四十年の大先輩である。しかし本人がとっても気さくなので、僕のような経験の浅い下っ端でも気後れせずに接することができるのは、彼のいいところではあると思う。

 そしてこの大先輩は、僕の新しい相棒でもあった。

「しかし坊ちゃんも災難だな」

 宇徳さんはそう言って、カツ丼をかきこんだ。僕は宇徳さんの咀嚼が終わるまで、返事を控えた。

「僕の災難ですか?」

「そう。こんなむさ苦しいおっさんが相棒ってのも嫌だろ? 特に、今までが今までだっただけに」

 それは、考えたこともない。でも、ショックだったのは確かだ。

 宇徳さんが相棒になったことではなく、楠葉さんが遺体となって発見されたことが。

 彼女はひと月前から消息を絶っていた。北澤さんの件もあったせいで、警察内部は色めき立った。その後、一週間が過ぎようかという頃になって、彼女は見付かった。町外れの山の麓に建つ、立派な屋敷の中で。

 発見のきっかけは猟友会からの通報だった。猟犬が入り込んだ敷地の中から、人の死体を見付けたというものだった。現場に向かった捜査員によると、犬が掘り返したと見られる穴から、かろうじて人の姿だとわかる死体が覗いていたという。死体は行方不明になっていた、佐倉友護であると断定された。そしてその敷地が、件の屋敷の建つ場所だった。

 発見当時の楠葉さんは、なぜか家政婦を思わせる格好をしていた。その体に残っていた傷は、大きく分けて三つ。頭と、胸と、それから、顔。顔のものは古傷だった。彼女はずっと、その傷を化粧で隠していたのだ。

 致命傷は、胸を一突きにしたナイフ。指紋は拭き取られていた。

 そしてこの屋敷、調べてみるとなんと、所有者の名義は楠葉さんになっていた。彼女は、自身の別宅で殺されたということになる。そして佐倉の死体が彼女の所有地にあったということは……。

「佐倉友護を殺した犯人は、本当に楠葉さんなんでしょうか」

 僕は小さくこぼしていた。宇徳さんが味噌汁のお椀を手に、横目でこちらを見る。

「あの屋敷がどんな状態だったか、知ってるよな」

「窓は全部はめ殺しにされて、その上、強化ガラスが使われてました。壁の一部にはもともとドアが付けられてた形跡があって、唯一の出入り口である玄関ドアも、両面シリンダーに替えられてたとかで」

「その訳わからんリフォームを依頼したのが楠葉本人だってのは、担当業者から裏を取ってるだろ。あの子が事件に関わってた可能性は非常に高い」

 宇徳さんはそこまで言ってから味噌汁をすすった。僕らS県警は二件の刑事殺しに続いて、その刑事の一人が殺人者である可能性があると、世間からはバッシングを受けている立場だというのに。この人はどこまでも堂々として見えた。そしてそんな彼をどこか、頼もしく感じている僕もいた。

「でもそうなると、楠葉さんは誰に殺されたんでしょう」

 屋敷内からは複数人の毛髪も検出されたが、誰のものかは未だに解析中。

 現時点で考えられる容疑者は、二名。

「日根野和に続いて、走り歩まで行方がわからないなんて……」

 どちらも日根野大和が殺された事件に大きく関わっている。和に関しては、大和の死体発見当時から連絡が付かない。早ければ今日にでも、彼らの親族のDNAを採取することになるだろう。

「そもそもですよ。マンションの事件の被害者は、本当に日根野大和さんなんでしょうか」

 僕のつぶやきに、宇徳さんは胡乱げな視線を向けてきた。

 日根野兄弟は、双子だった。それも一卵性の。なんらかの理由から、大和が弟に成り代ろうとした、なんてことは――

 隣から、盛大な溜め息が聞こえた。

「坊ちゃんは相変わらずだなぁ」

 含みのあるその言い方に、流石にむっとする。

「その坊ちゃんっていうの、やめて下さいよ。これでももう二十六なんですから」

「そういう根拠のない深読みをするところが、坊ちゃんが坊ちゃんたる所以なんだよ」

 宇徳さんは、今度は爪楊枝を手に取っている。知らぬ間に定食の器は全て空になっていた。考えるのに夢中で気付かなかった……。

「死体の指紋はちゃんと調べてるだろ。部屋の指紋も。あの死体は、あの部屋の持ち主である、大和で間違いない。わかったら、伸びる前にそろそろ食べな」

 指摘されて初めて、目の前のうどんをまともに認識した。こしをなくして、ふやけている。そのことにすら気付けなかった。何をやっているのだろうと情けなくなる。

「北澤殺しの犯人だって追わなきゃいけないんだ。忙しい日々はまだまだ続くぞ」

 宇徳さんは、意気込んだつもりなのだろうか。ひとりごちるようにそう言うと、椅子を引いて立ち上がった。「お先」と一言残して、トレイを手に去っていく。

 残された僕は、食堂から見える窓の向こうに目を向けた。

 嫌味なぐらいに、爽やかな青空が広がっていた。


 了

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