第3話 四月は仲間外れにされた少女の怨嗟の声。

 あとから聞いた話だが、芒崎先生は生活指導の担当ということで間違いなかった。


 生活指導担当の二番手として昨年から活躍していて、素行の悪い生徒を取り締まりつつ生活態度の改善を促すという通常のお仕事のほかに、『転入生や、それに準ずる生徒のサポート』という役割も担っているのだそうだ。

 諸般の事情によって入学が遅れた者、あるいは海外からの留学生なんかもその対象に入るらしい。


………………………………………


「………峠ちゃん!!!」


 声量としてはさっきの生徒会長には劣るものの、比べれば圧倒的に眩しい声色で彼女は叫んだ。それは目の前が眩むほど。

 呆けている間に彼女は歩を進めていたらしく、気づけば俺の眼前まで迫っていた。


「峠ちゃん………峠ちゃん峠ちゃん峠ちゃん峠ちゃん!!!」


 過負荷で潰れたストリーミング再生のごとく同じ言葉を叫ぶ、叫ぶ。

 握りこぶしを作って、背筋をのばして、力いっぱいに。

 そして俺と視線を合わせた瞬間、


「ひさしぶりだね! 峠ちゃん!!」


 ようやく固有名詞以外の日本語を俺に投げかけた。


「えっと…岩崎…だったっけ? 確か4年の時に転校していった…」


「うん! そうだよ! おぼえてない?」


 おぼえては、いた。

 そして彼女の叫びを脳がとらえた瞬間、彼女に関する情報がまるで死体でも掘り返されたように頭の中に溢れ返った。



 岩崎、枝葉。

 小学校時代の同級生。

 3年に進級するときのクラス替えで一緒のクラスになった。

 話すようになったのは確か4年の1学期くらいから。

 転校していく3学期末までけっこう仲良くしていた気がする。

 


 うん。その笑顔、その立ち居振る舞い、あのころの彼女と同じだ。

 確かに彼女で間違いない。

 しかし次の瞬間、同じだと認めた故の強烈な違和感が走る。

 


 同じ、すぎる。



 小学生が高校生に変わるほどの歳月が経ったというのに、彼女の挙動があのころとまったくと言っていいほど変わっていないのだ。

 外見は変わっては…いる。昔から小柄な女の子ではあったが、女子高校生と言って不自然でないほどの身長はあるし、女性特有の丸みについてはなかなかどうして…いや、煩悩退散。


 しかし、発する言語のレベル、にじり寄ってくる際のモーション。

 そしてまっすぐに俺を見つめる、その眼差し。

 記憶の彼女と比較してみて、まったく同じなのだ。

 挙動だけが、小学4年生の彼女とまったく同じ。

 まるで、心だけがコールドスリープさせられていたかのように。


 …そんなことは、ありえるか?

 

 確か半年前くらいに、こんな題材を扱ったSF小説を読んだ気がする。

 数年ぶりに意識を取り戻したなんて生易しい話じゃない。オリジナルより肉体レベルを成長させたクローンに、人格を移植させられた男の子の物語。まるでその設定が目の前で活かされているようだ。


 まさか、


 まさか、岩崎は、


 まさか、岩崎は、本当に、


「岩崎さんね、帰国子女なの。5年ほどご家族のお仕事の都合でカナダに行ってたのよ。日本語をしゃべるのも随分久しぶりみたいでね、身振りがおおげさなのも声が大きいのも勘弁してあげてね」


 はい赤っ恥―――。

 彼女の『日本人としての』言語レベルが変わってなかっただけでした。

 ボディランゲージもそりゃ激しいよね。

 脳トレみたいな謎の方程式『日本10年+海外5年=日本10年』が奇跡的にが成り立っちゃったんだろうね。


 …まぁ実際本気で思っていたんじゃなくて、目まぐるしい展開に俺の心が勝手に逃避をはかっただけなんだが。


「えへへ~峠ちゃんだ峠ちゃんだ~」


 小型犬が飼い主の帰宅を喜ぶように、岩崎は俺の周りを何周も何周もする。

 とりあえず今俺の周りに円形の気流を作ろうとしているのが、小学校のときにクラスメートだった『岩崎枝葉』ってことは理解した。物証なんかなくても関係ないほどの確信がこの胸にある。


「随分ご立派になって…お姉さん一度もあなたのことを忘れたことなかったのよ! ししし!」


 笑顔に加えて笑い声までいっしょだ。海外に引っ越したあとも、楽しい日々を積み上げていくことができていたのかな。それならば、よかった。


「…? むぅ…峠ちゃん! 無視はひどいよう! なんか言ってよ!」


 よかったついでにさて困ったなというところか。

 いや、困ったを通り越して、参ったな………。


 俺がこの高校を選んだ理由はなんだったか。


 たったひとつのそれに殉じたわけではないが、中でも比重の高かったのが『俺のことを知っている人間がいないこと』だった。それが蓋を開けたらいきなりこれか。


「えっと、お前はカナダにいたんだよな?」


「うん、そうだよ?」


「この高校にはどうやって入れたんだ?」


「知らないあいだに受かってたよ?」


「…」


 俺は即座に頭を抱える。

 FBIの陰謀説。公共電波の悪用説。自分の出生に驚きの秘密説。

 瞬時にさまざまなイメージトリップをしてみても目の前の現実は変わらない。

 知らないあいだってのは、一体全体どういうことなんだ!


「要領を得ないようだから、私から説明するわね」


「…ありがとうございます」


 信頼できるところからの助け舟に、思わず素直に感謝してしまう。


「単純な話よ。彼女の両親がうちの理事長と懇意なのよ。帰国するっていう連絡を理事長にしたときに『じゃあよろしくね』ってことになったらしくて…」


「…おもいっきり裏口じゃないですか…」


 我ながら下品な言葉を使ったものだ。しかし釈然としないこの気持ちを吐露せずにはいられなかった。『じゃあよろしくね』なんて一言で、俺の『知り合いいないいない願望』は潰されたのか…。いくら私立とはいえ、裁量が過ぎるのでは。


「いえ、私も彼女についての資料には目を通してるけど、ここに入学して問題ないと判断できるくらいの成績は収めていたみたいよ? だから理事長も迷いなく彼女を受け入れる態勢を取ったんじゃないかしら」


「本当ですか…」


 彼女の屈託のない…幼気な…何も考えてなさそうな言動を見ると、ここに進学できるほどの学力を有しているようには思えない。

 しかしその一方で、俺にはひとつ思い出したことがあった。

 小学4年生の当時、彼女の成績は非常に良かった。俺や悪友と付き合うようになって、行動がどんどん本能的に変わっていったんだった。


「もーう! なにを2人でこそこそ喋ってるのよう!」


「あらあらごめんなさい。別にあなたを仲間外れにするつもりはないのよ? むしろ私が仲間外れになるんだから、ふふっ」



 …ちょっと待て。

 今、聞き捨てならないセリフを聞いた気がするが…。



「というわけで…鮎川くん! しばらくこの子のお世話、頼んだわね!」



 ………やはり。


 『頼みがある』と言われて、俺はいくつかの予想を立てた。いや、予想を立てたというよりは心の準備をした、といったところか。

 例えば『荷物を運べ』とか『掃除を手伝え』とかそういう一過性の頼みなら、わざわざこんなところに呼び出す必要もなければ俺である必要もない。故に、『継続性』があり、『俺である必然性』がある頼みだということは分かっていた。部活動紹介イベントの前に、ご丁寧な前振りもされていたしな。

 

「…世話というのは、具体的にどういうことをすれば?」


「とりあえず今から校内の案内をしてあげてちょうだい。で、明日からは放課後毎日ここに来ること。その都度指示を出してあげるから。OK?」


 放課後毎日って…随分簡単に言ってくれるな。


「…わかりました。行こうか、岩崎」


「えっ! いいの? 峠ちゃん! やったあ!!」


「ふふっ。よかったわね~岩崎さん」


 心の底から喜んでいる岩崎を促し、生徒指導室の外へ向かう。


「どこに連れてってくれるの? 峠ちゃん?」


 跳ねるように岩崎が指導室の外に出る。



 そして、扉を閉める。



「あっ! えっ!? 峠ちゃん!? なんでしめるの!?」


 扉の外で、岩崎の慌てる声。

 構わず俺は不信感を込めた眼で先生を射抜く。


「あ~け~て~!! 仲間外れにせんといて~!!」


「…どうして彼女を追い出したのかしら?」


「すぐに開けますよ。転校生が知り合いなら、学校案内をすることくらいは自然なことですから」


 施錠をし、先生に2、3歩近づいていく。


「扱いとしては彼女も『新入生』なんだけどね…まぁいいわ。で、なに?」


「わりと無茶苦茶なことを言ってるっていうご自覚はありますか?」


「…ふふ、ふふっ。あなたそんな顔もするのね。本当に面白いわ」


 計算高そうというより、本当に楽しそうに先生は笑う。


「無茶苦茶なことを言っているつもりはないわ。あなたも言った通り、あなたが彼女と旧知の仲だと知ったなら、協力を仰ぐのはごく自然なことじゃないの?」


「流れが気に入らないんですよ。こちらの事情も斟酌しないで確定的に話を進める…そんな態度でこられたら、普通は腹を立てますよね」


「固いわね~それでいて言い方が過不足なく辛辣!! 流石、現国の入試結果がトップなだけあるわね」


 ここが教室であなたが教師でさえなければ、もっと言葉を選ばずに胸元を抉りたいところだったんだが…スレンダー体系の先生の胸元をこれ以上抉るのも殺生な話なのでやめておこう。


「参ったわね。ちょっと先生見誤っちゃったみたい。…とりあえず、学校案内が終わったらもう一度ここに戻って来てくれない? あなたひとりで」


 なにやら思慮深いところを見せたかと思うと、先生は俺に新しい提案をしてきた。俺にとって『強弱を使い分ける人間』は厄介なだけ…というわけではなく、理性的に話ができるといういい面もある。そういう相手となら、話をしても別に構わない。


「…終わったら、岩崎は先に帰していいんですね?」


「ええ」


「わかりました。では、またのちほど」


 再びきびすを返して扉の方に向かうと、外にいるはずの女の子の抗議の声や行動はすっかり止んでいた。ひょっとして帰ってしまったかなと思い、施錠を外し扉を開けると…。



「ひさしぶりだというのにこの仕打ち…ふんだ…いいもんね…わたしはひとりでだって生きていけるもの…」



 怨嗟の感情に飲み込まれた岩崎が、三角座りの膝に顔をうずめて俺を待っていた。

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